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浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
第304回定期宗会終わる     2013年 03月 09日
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 大心会控え室にて
 前列左より高橋篤法議員(大分3期)、池田行信議員(東京3期)、平島義仁議員(鹿児島2期)
 後列左より公文名眞議員(高岡1期)、中戸康雄議員(国府4期)、足利善彰議員(東北4期)
 豊原大成議員(兵庫8期)、松永大徳議員(大阪3期)は写真に入っておりません。
 大心会は8名の議員です。

 3月8日(金)正午、第304回定期宗会は閉会しました。
 今定期宗会の通告質問で玉井利尚議員(奈良教区選出僧侶議員)は「過疎問題」について、56分間にわたって質問しました。
 玉井議員の質問に対して、桑羽隆慈総務は、真宗教団における過疎問題を「兼職と世襲」の問題としてあると答弁されました。この答弁は過疎問題の背景をふまえた、いままでにない答弁に思いました。
 たしかに過疎地域の住職や門徒においては、職を得られねば嫁も来ません。兼職ができなければ寺院や門徒の世襲も成り立ちません。「兼職や世襲」も成立しない過疎地域に、これまでの答弁のように「現在、過疎の調査・研究をしています」と説明されも虚しいだけです。調査・研究は「兼職と世襲」が可能な過疎地域の話であって、「兼職も世襲」も不可能な過疎地域においては、残された道は「名誉ある撤退」のみです。
 しかし、この「名誉ある撤退」も、過疎地域の寺院・門徒の立場での議論でなければ、あきらめの強要になってしまいます。
 通告質問や審査会での議論を聞いていて、「兼職と世襲」の不可能な過疎地域の住職・門徒の心情を理解できているのだろうかと疑問に思う、官僚的な発言・態度に接しました。それは過疎地域の住職や門徒の心情に対する無理解です。
 今月、3月11日で、東日本大震災からまる2年になります。私は、この震災の疑問の一つに、津波に遭って高台に移った者が、なぜ海辺にもどってしまうのかとの疑問がありました。この私の疑問について、自らが宮城県気仙沼に生まれ育った川島秀一・神奈川大学特任教授の『津波のまちに生きて』(冨山房インターナショナル、2012年4月26日)は明快な答えを用意してくれていました。 
 本書を私的に要約すれば、高台に移った者がなぜ海辺にもどるのかの理由の一つは、津波に遭った者のほとんどが漁師であり、いつ来るかもわからない津波の被害を予想して、毎日の生活を棄てることは出来ないということです。これは経済的な理由と言えましょう。
 そして、二つには、津波が来たら「船を捨ててでも裏山へ逃げろ」ということは理屈ではわかっていても、漁で生活している漁師は「家よりも船を救え」という考えが漁師の身体と一体になっている。この身体と一体になっている感覚こそ、日常的な漁師の生活感覚であり、この「身を棄ててまで自分の船を守ろうしたような漁師の日常的な生活感覚をおしはかることなく、陸オカの論理だけを通しては本当の意味での復興はありえない」ということです。
 ここで言われる「陸オカの論理」とは、漁師の生活感覚を無視した理屈・論理ということです。漁師の生活感覚で言えば、自分で求めなくても大漁となり、求めても漁場のクジにはずれれば不漁になるという、いわば「運」と「縁」に左右される生活感覚に生きてきた精神生活を理解することなく、定年退職すれば何千万円の退職金と年金生活が約束されている官僚の作った高台移住等の復興計画では、復興支援は難しいということです。
 その意味からすれば、これまでの宗門の過疎対策は「陸オカの論理」だけであり、「兼職も世襲」も期待できない過疎地域の住職・門徒の生活感覚をおしはかることが出来ていなかったのではないかと思いました。
by jigan-ji | 2013-03-09 16:31 | つれづれ記
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