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浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
正信偈講読[1]     2013年 06月 03日
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 宗祖親鸞聖人七百五十回大遠忌『顯浄土眞實教行證文類』復刻(西本願寺本) 
 平成二十四年一月十六日発行

正信偈購読[1] (正信偈講読144をご覧下さい)

Ⅰ、はじめに

 浄土真宗の門信徒は日々『正信偈』と『和讃』を繰り読みすることになっています。しかし、『正信偈』は漢文で書かれているため、その内容について理解することは容易ではありません。
 これまで、門信徒の皆さまと『正信偈』の勉強会の機会を与えていただきました。そのたびに、仏教学や真宗学の専門知識が無くても、親しみやすく、理解しやすい『正信偈』の解説書があればどんなに便利であることかと思ってきました。
 そのようなことから、『浄土真宗聖典(註釈版)』をテキストとして、『正信偈』を講読する形式で、『正信偈』の解説を書いてみることにしました。もちろん、『浄土真宗聖典(註釈版)』が無くても、『正信偈』を理解することが出来るようにしています。
 なお、以下の『正信偈』の【本文】は、真宗聖典編纂委員会編纂『浄土真宗聖典(原典版)』(本願寺出版部、昭和六十年五月二十一日)、【書き下し文】は、教学伝道研究センター編纂『浄土真宗聖典(註釈版・第二版)』(本願寺出版社、二〇〇四年五月二十一日)、【現代語訳】は、浄土真宗教学研究所編纂『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社、二〇〇〇年三月三十日)、『六要鈔』からの引用は柳瀬彰弘『和訳教行信証六要鈔』(国書刊行会、昭和六十三年十一月三十日)によります。
 また、浄土三部経や七高僧に関する引用は、浄土真宗聖典編纂委員会編纂『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』(本願寺出版社、平成八年三月二十日)、浄土真宗聖典編纂委員会編纂『浄土真宗聖典 七祖篇(註釈版)』(本願寺出版社、平成八年三月二十日)によります。
 なお、引用にあたって、真宗聖典編纂委員会編纂『浄土真宗聖典(原典版)』は(原典版000頁)、教学伝道研究センター編纂『浄土真宗聖典(註釈版・第二版)』は(註釈版000頁)、浄土真宗教学研究所編纂『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』は(現代語版000頁)、浄土真宗聖典編纂委員会編纂『浄土真宗聖典聖典 七祖篇(註釈版)』は(七祖篇000頁)、『真宗聖教全書 三経七祖部』は(三経七祖部000頁)、『真宗聖教全書 宗祖部』は(宗祖部000頁)、柳瀬彰弘『和訳教行信証六要鈔』は(和訳六要鈔000頁)と略記します。
 本講読にあたって参照した文献等は適宜に記載しますが、本講読最終回に「引用・参考文献一覧」を掲載します。

1、『正信偈』の位置
 『正信念仏偈』は、浄土真宗立教開宗の根本聖典である『顕浄土真実教行証文類』の「行巻」末尾にあります。『顕浄土真実教行証文類』は、一般に『教行信証』『教行証文類』『広文類』『本典』などと呼ばれていますが、本講読では『教行信証』と表記します。
 『正信念仏掲』は、『尊号真像銘文』に「和朝愚禿釈の親鸞が「正信掲」の文」(註釈版六七〇頁)とありますように、親鸞聖人自らが「正信掲」の言葉を用いていますので、一般には『正信偈』と呼ばれています。本講読でも『正信偈』と表記します。
 はじめて『教行信証』から『正信偈』を抄出別行したのは本願寺第七代存如宗主(一三九六―一四五七)であり、『正信偈』の民衆化に意を用いたのは本願寺第八代宗主である蓮如上人(一四一五―一四九九)です。文明五(一四七三)年三月、蓮如上人五十九歳の時、はじめて『三帖和讃』に『正信偈』を加えて四帖として開版しました。(『増補改訂 本願寺史』第一巻、二〇一〇年三月三十一日、三九三・四四一頁)
 蓮如上人は『正信偈』を注釈した『正信偈大意』に、「そもそもこの「正信偈」といふは、句のかず百二十、行のかず六十なり。これは三朝高祖の解釈によりて、ほぼ一宗大綱の要義をのべましましけり。」(註釈版一〇二一頁)と述べています。
 また、『蓮如上人御一代聞書』には、「十月二十八日の逮夜にのたまはく、「正信偈和讃」をよみて、仏にも聖人(親鸞)にもまゐらせんとおもふか、あさましや。他宗にはつとめをもして回向するなり。御一流には他力信心をよくしれとおぼしめして、聖人の和讃にそのこころあそばされたり。」(註釈版一二三五頁)とのべ、さらに、「のたまはく、朝夕、「正信偈和讃」にて念仏申すは、往生のたねになるべきかなるまじきかと、おのおの坊主に御たづねあり。皆申されけるは、往生のたねになるべしと申したる人もあり、往生のたねにはなるまじきといふ人もありけるとき、仰せに、いづれもわろし、「正信偈和讃」は、衆生の弥陀如来を一念にたのみまゐらせて、後生たすかりまうせとのことわりをあそばされたり。よくききわけて信をとりて、ありがたやありがたやと聖人(親鸞)の御前にてよろこぶことなりと、くれぐれ仰せ候ふなり。」(註釈版一二四二頁)と述べています。
 蓮如上人の子息実悟(一四九二―一五八四)の書いた『実悟記』には、「当流の朝暮の勤行、念仏に和讃六首加えて御申候事は近代の事にて候。昔も加様には御申ありつる事有げに候へ共、朝暮になく候つると、きこえ申候。存如上人御代まで六時礼讃にて候つるとの事に候。越中国瑞泉寺は綽如上人の御建立にて、彼寺にしばらく御座候つると申伝候。其後住持なくて、御留守の御堂衆ばかり三四人侍りし也。文明の初比まで、朝暮の勤行には六時礼讃を申て侍りし也。然に蓮如上人越前之吉崎へ御下向候ては、念仏に六種御沙汰候しを承候てより以来、六時礼讃をやめ、当時の六種和讃を致稽古、瑞泉寺の御堂衆も申侍し事也。然ば存如上人の御代より六種の和讃勤に成申たる事に候。実如上人の御時四反がへしと申し勤、いまの六反がへしより二返みじかくはかせ御入候つると申候。慶聞坊へ覚たる歟と御尋ね候て、末々御門徒衆には申させられ度との仰にて候へ共、慶聞坊わすれ申たるとの御返事申されて、四返がへしの沙汰もなくて果申候き。」(『真宗聖教全書』第三巻九四五頁)とあります。
 門信徒の中には、『正信偈』が漢文で書かれているので「お経」と思っている人もいます。しかし、厳密な意味からいえば、「お経」とは釈尊の説かれた「仏説」(経典)のことですから、『正信偈』を「お経」というのは間違いですが、大切な「聖教」の一つであることにかわりはありません。
 ちなみに、二〇〇八(平成二十)年四月十五日に制定された『浄土真宗の教章(私の歩む道)』には、「宗祖 親鸞聖人が著述された主な聖教」として「『正信念仏偈』(『教行信証』行巻末の偈文)『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』」と記されています。
by jigan-ji | 2013-06-03 01:02 | 聖教講読
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