人気ブログランキング | 話題のタグを見る

浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
正信偈講読[61]     2014年 04月 28日
正信偈講読[61]_e0306636_926065.jpg

正信偈講読[61]_e0306636_9265788.jpg


 正信偈講読[61]

 補遺⑯ 「帰敬序」の別出

 正信偈講読[3]に関して補足します。

 『正信偈』の初めの二句について、『正信偈』の依経段に摂める説と、『正信偈』全体の帰敬序として依経段から別出する説があります。
 近年の『正信偈』の解説書では、依経段に摂める説が稲城選恵氏(『正信偈講讃―十二講―』六五頁)、別出する説が桐渓順忍氏『正信偈に聞く』二〇頁)、村上速水氏(『正信念仏偈讃述』二八頁)、信楽峻麿氏(『教行証文類講義第三巻正信偈』四二頁)、霊山勝海氏(『正信偈を読む』一六頁)など、別出する説が多いようです。
 この初めの二句を『正信偈』全体の帰敬序として依経段から別出したのは、濱田耕生『『正信念仏偈』釈要科文十二師集』(一九八六年)によると真宗大谷派の香月院深励(1749-1817)です。同書の「解題」には次のように解説されています。

 第九 正信偈講義 八巻 香月院深励述
 法蔵館発行のものによる。いつの講述か不詳、寛政九年(一七九七年)夏講のものか。
 大谷派宗学の最盛期において頂天にあった師である。偈文を解釈するに「今家ノ意」という言葉がしばしば見られる。他家の意との相違を強調し、通途の思いにすぎたる功徳を認める誓願をバックに特色を出すのである。その結果、文章の関連性、副詞語の義などに疑問な点が見受けられる。科の立て方は『説約』以後ほぼ一定的になってきているが、取意としては師の『帯佩記』よりも『説約』に近いものが多い。ただし特色としていえることは、初二句を完全に別立てとして「帰敬」とし、一一八句は「広講仏徳正明」として、それに依経分と依釈分とがあるとする。このことは香月院のみに見られるところである。(六丁右)

 具体的には、深励は『正信偈講義』にて、次のように述べています。

 帰命無量寿如来南無不可思議光已下入文觧釈コノ一部ノ分科諸註異義アリ或ハ序正流通ノ三分トスルアリ私記ハ初二句ハ序分法蔵已下ハ正宗分弘経已下流通分トス又仏法僧ノ三宝ニ約スルアリ或ハ惣別ニ約スルアリ初ノ二句ハ惣第三句已下ハ別釈ト如此諸註一準ナラス今一々不評之先輩ノ義ヲ聊潤色シテ分科ス先此一部大分為二初ノ二句ハ挙所讃体帰敬二ニ第三句已下ハ広讃仏徳正明コレ一部ノ大科ナリ其第二科ノ中ニ二初依経分二ニ依釈分已下細科ハ下ニ弁ス(以下略)(深励『正信偈講義』法蔵館、昭和48年、37頁)
by jigan-ji | 2014-04-28 01:02 | 聖教講読
<< 寺報「光明」 寺有地の沿革 >>