「教覚寺門信徒だより NAAAMO (ナーモ)第6号」(2015年2月1日発行)を頂戴しました。表紙の写真はすごいですね。大正11年1月29日撮影。69名の子どもたちと先々代住職(南荘乗心様)が写っているそうです。大正4年に「大正日曜学校」としてスタートして以来、現「教覚寺少年会」は今年百周年を迎えたそうです。歴代の御住職様の教化活動への熱意と、御門徒の皆様の御協力に敬意を表します。
改めて浄土真宗本願寺派少年連盟・日曜学校沿革史編纂委員会編集・発行『日曜学校沿革史―本願寺派少年教化の歩み―』(2007年1月24日発行)を読み返してみました。
本願寺派における少年教化の淵源は明治13(1880)年に福岡博多の萬行寺で七里恒順の指導のもと、毎月、少年会(毎月7日)、少女ママ(毎月4日)が開設されていたようです(同著3頁)。明治18(1885)年4月には、明如宗主の発意のもと、島地黙雷ら本願寺築地別院の有志によって「築地少年教会」が創立され、翌明治19年には児童雑誌『少年』(後に『教草』と解題)が発刊されています(同著4頁)。また、昭和16年以降、戦時下にあっては「日曜学校」という言葉さえ禁止され「少年会」と名のったそうです(同著62頁)。その他、今日の少年教化を考える意味でも、大変教えられる、有意義な書物です。是非、ご一読下さい。