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浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
正信偈講読[115]     2015年 06月 09日
 補遺[67] 等ノ言観小両経ノ隠彰ノ義ヲ摂ス

 隨慧(1722~1782、真宗大谷派贈講師)はその著『正信念仏偈講義説約』(真宗全書第39巻所収、以下『説約』と略す)にて、『正信念仏偈』は大分して二つになり、その一つは大経に依り、二つは師釈に依ると言い、次のような問答を設けています。

問フ何故ゾ。三経ニ依ラスシテ偏ニ大経ニ依ルヤ。答。我祖ノ興宗立教。総シテ三経七祖ニ依リ。別シテハ大経論註ニ依ル。和讃ハ広ク浄土ノ法門ヲ讃ス。故ニ三経ノ意ニ依ル。今ハ別シテ真宗ノ行信ヲ明ス。故ニ偏ニ大経ニ依ル。観小両経ハ顕ニ十九二十ノ願ヲ開設ス。方便ノ教也。故ニ真実教文類云。大無量寿経。[真実之教 浄土真宗] 愚禿鈔云。易行浄土本願真実之教。大無量寿経等也ト(宗祖部455頁、註釈版502頁)。等ノ言観小両経ノ隠彰ノ義ヲ摂ス。(『説約』真宗全書第39巻326頁)

 隨慧は、親鸞は三経七祖によって立教しているにもかかわらず、なぜ、依経段は三経でなく偏に『大経』に依っているのかと問いを立てます。それに答えて、和讃は広く浄土の法門を讃ずるので三経の意に依っているが、『正信念仏偈』は真宗の行信を明かしているので、「教文類」に真実の教は『大無量寿経』とあるように、偏に『大経』に依るといいます。第十九願と第二十願を開設する『観経』『小経』は、『愚禿鈔』に「易行浄土本願真実之教『大無量寿経』等也」あるように、「等」に摂せられ、この「等」の言に『観経』『小経』の隠彰の義が摂せられていると釈しています。
by jigan-ji | 2015-06-09 01:02 | 聖教講読
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