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浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
正信偈講読[172]     2016年 01月 14日
 補遺[124] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[23](2013年7月28日)を補足します。正信偈講読[233、234](2016年9月13、14日)を参照して下さい。

 Ⅲ 依釈段  一 三国の相承  


一 三国の相承

Ⅲ 依釈段 ―七高僧によって教義を説く―

一 三国の相承

【本文】
 印度西天之論家 中夏日域之高僧 顯大聖興世正意 明如来本誓應機

【書き下し文】
 印度西天の論家、中夏(中国)・日域(日本)の高僧、大聖(釈尊)興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。

【現代語訳】
 インドの菩薩方や中国と日本の高僧方が、釈尊が世に出られた本意をあらわし、阿弥陀仏の本願はわたしたちのためにたてられたことを明らかにされた。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 「印度」以下の二行四句は、総じて三朝の高僧弘教利生の本心を明かす。「顕大」等とは、釈尊発遣の聖意を顕かす。「明知」等とは、弥陀済度の仏願を示す。(和訳六要鈔一二八頁、宗祖部二六九頁)

《正信偈大意》
 「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機」といふは、印度西天といふは天竺なり、中夏といふは唐土(中国)なり、日域といふは日本のことなり。この三国の祖師等、念仏の一行をすすめ、ことに釈尊出世の本懐は、ただ弥陀の本願をあまねく説きあらはして、末世の凡夫の機に応じたることをあかしましますといへるこころなり。(註釈版一〇二九頁)


【釈義】

◎印度西天之論家 中夏日域之高僧
 「印度西天之論家」以下「唯可信斯高僧説」までの七十六句は、七高僧の業績にもとづいて讃えられる「依釈段」です。まず、依釈段の最初の四句は総じて三国の七高僧を讃じます。
 「印度西天之論家 中夏日域之高僧」は【現代語訳】に「インドの菩薩方や中国と日本の高僧方が」とあります。
 「印度」とは、インドを指します。もとペルシャ人が東方に海のような大河(インダス河)があったことから、その地方をインド(海)とよんだので、それが国名になったといわれます。「西天」は、インドは中国の西にあり、天竺ともいわれているので西天ともいわれました。恵然は「西天は東漢に対するなり。」(『句義』二九二頁)と釈し、隨慧は「西天とは五竺中の西を指に非ず。只是支那皇和(神聖な日本国の意・池田注)の西にあり、故に西天と云ふ。」(『説約』七六頁)と釈し、仰誓は「西天は西方天竺の略語。勦(月筌『勦説』二一頁)の「西方の天涯」は穏たかならず。軌(若霖『文軌』四八頁)に云ふ。「五竺中の西を指すに非ず。只是れ支那皇和の西に在るが故に云ふなり」」(『夏爐』一三七頁)と釈し、僧鎔は「天は天竺の略語。西方天竺と言ふごとし」(『評註』一五頁)と釈しています。『玄義分』には「「仏」といふはすなはちこれ西国(印度)の正音なり」(七祖篇三〇一頁)、「教文類」には「西蕃・月支の聖典」(註釈版一三二頁)とあります。「論家」とは、「論を造りて一家を成す」(『評註』一五頁)、論(経・論・釈の論を指す)を作った人の意で龍樹と天親を指します。
 「中夏」とは、中央にある盛んな国の意で、中国人の自称です。中夏の中は天下の中枢、夏は大の意で、中国人が自国を自ら尊んでいう語です。「中華」の華は美の意で、中華といった場合は、文化の中心地の意です。インドを中心に考えると中国は東に位置しますから「東夏」ともいいます。「中夏」も「東夏」も中国を指します。
 「日域」とは、日の出るところという意味で、日本のことです。月筌は「域とは、『説文』に「邦也」と」(『勦説』二一頁)と釈しています。「高僧」とは名も徳も非常に高い僧という意味で、ここでは曇鸞以下の五祖を指します。仰誓は「今、支那皇和の五祖を指して高僧と言ふ。」(『夏爐』一三八頁)と釈しています。


[補遺] 「七祖選定」と「師資相承」について
 浄土教に関係する高僧はインド、中国、日本にも七高僧のほかにたくさんいますが、なぜ親鸞は七高僧を選定したのでしょうか。
 親鸞は『教行信証』「総序」に、「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏(中国)・日域(日本)の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。」(註釈版一三二頁)と述べ、さらに『浄土文類聚鈔』には、「ここに片州の愚禿(親鸞)、印度・西蕃の論説に帰し、華漢(中国)・日域(日本)の師釈を仰いで、真宗の教行証を敬信す。」(註釈版四七七頁)と、それぞれ三国の七高僧を相承していることが明かされています。
 この三国の七高僧を選定した「七祖選定の理由」に、次の四つの理由が挙げられます。
  ①解(知解)行(修行)双全。すなわち、自ら仏法を領解し行を実践する西方浄土願生者であること。
  ②著書弘伝。すなわち、著書を著して自行化他の意を明らかにした。
  ③発揮各設。すなわち、独特の教義を述べて他力本願の旨を宣揚した。
  ④本願相応。すなわち、本願の趣旨に相応すること。
 以上の四つの条件を満たした高僧を親鸞は七高僧と選定しました。

 七高僧の名前と生存した時期、その主な著書、独特の教義をまとめると、次のようになります。

  龍樹(南天)=インド、仏滅七百年頃(三世紀のはじめ)。
         『十住毘婆沙論』「易行品」、『十二礼』、難易二道の判。
 天親(北天)=インド、仏滅九百年頃(五世紀のはじめ)。
         『浄土論』、一心宣布を発揮。
 曇鸞(雁門(がんもん))=中国、四七六~五四二、六十七歳往生。
         『論註』、『讃阿弥陀仏偈』、自力他力の判、往還廻向の発揮。
 道綽(西河(さいが))=中国、五六二~六四五、八十四歳往生。
         『安楽集』、聖浄二門の判。
 善導(終南)=中国、六一三~六八一、六十九歳往生。
         『観経四帖疏』(玄義分・序分義・定善義・散善義)、『法事讃』、
         『観念法門』、『往生礼讃』、『般舟讃』、要弘二門の廃立、古今楷定。
 源信(横川(よかわ))=日本、九四二~一〇一七、七十六歳往生。
         『往生要集』、報化二土を弁立し、専雑の得失を判ず。
 法然(吉水(きつすい))=日本、一一三三~一二一二、八十歳往生。
         『選択集』、選択本願を顕示。
  ※なお、法然を元祖、親鸞を宗祖・高祖ともいいます。

 普門は「伝法相承の血脈を挙げるは自分の勧める所、その誤り無きを表すなり」(『發覆』一六八頁)と述べています。よって、ここで「師資相承」について述べておきます。
 法然は『選択集』「二門章」に、「いまいふところの浄土宗に師資相承の血脈の譜ありや。答へていはく、聖道家の血脈のごとく浄土宗にまた血脈あり。ただし浄土一宗において諸家また不同なり。いはゆる廬山の慧遠法師、慈愍三蔵、道綽・善導等これなり。いましばらく道綽・善導の一家によりて、師資相承の血脈を論ぜば、これにまた両説あり。一には菩提流支三蔵・慧寵法師・道場法師・曇鸞法師・大海禅師・法上法師。以上、『安楽集』に出でたり。二には菩提流支三蔵・曇鸞法師・道綽禅師・善導禅師・懐感法師・小康法師。以上、唐・宋両伝に出でたり。」(七祖篇一一九一頁)と師資相承を明かしています。「『安楽集』に出でたり。」とあるのは『安楽集』「念仏大徳所行」(七祖篇二四六~二四七頁)を指します。
 また、『西方指南抄』「法然聖人御説法事」には、「浄土宗の師資相承に二の説あり。『安楽集』のごときは、菩提留支・恵竉法師・道場法師・曇鸞法師・斉朝法上法師等の六祖をいだせり。今また五祖といふは曇鸞法師・道綽禅師・善導禅師・懐感禅師・少康法師等なり。」(拾遺部上一〇五頁)と述べています。
 しかし、親鸞は「懐感禅師」と「少康法師」を七高僧に数えていません。それは先学も指摘するように、「懐感禅師」は源信の教学におさまると理解し、さらに「少康法師」は中国の伝説の善導は何度も生まれかわってこの世に出られたという考え方をうけて善導に重ねて理解しているからです。親鸞は『高僧和讃』「善導讃」に「世々に善導いでたまひ 法照・少康としめしつつ 功徳蔵をひらきてぞ 諸仏の本意とげたまふ」(註釈版五八九頁)と和讃し、さらに、『高僧和讃』「源信讃」に「本師源信和尚は 懐感禅師の釈により 『処胎経』をひらきてぞ 懈慢界をばあらはせる」(註釈版五九四頁)と和讃しています(『深励』一九一頁、『講義』一五九~一六〇頁)。
 また、親鸞の相承には『教行信証』「後序」の『選択集』の相伝(註釈版四七二頁)や『歎異抄』第二条の「よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」(註釈版八三二頁)による法然一祖相承と、『歎異抄』第二条の、「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。」(註釈版八三三頁)の、善導・法然の二祖相承が知られます。
 普門は三国七祖の相承について「次第相承」「超越相承」「直受相承」「経巻相承」の四種を数えています(『發覆』二三五~二三六頁)。さらに、慧琳は「凡そ相承に四種あり。一に面授相承。二に自帰相承。三に感応相承。四に同志相承。出選択要義鈔 龍樹は自帰。天親・玄忠(曇鸞・池田注以下同)・西河(道綽)は皆同志。光明(善導)は西河の面授。楞厳(源信)・黒谷(法然)は、光明と同志相承なり。又元祖(法然)の光明に於る、感応相承の趣あり。七祖相承にこの別ある。」(『帯佩』五一〇~五一一頁)と釈しています。
 この「相承」について『真宗大辞典』巻二には、「相承 同一轍の教義を次第に承け継ぐこと。師資相承(選択集第一章)とも次第相承(同上)とも付法相承とも血脈相承(起信論註疏一及び選択集第一章)とも伝灯(支那の道彦の伝灯録)とも云ふ。大灌頂神呪経巻二には『師資相承して此の経典を受く』とある。師資相承とは師匠は弟子に教義を授け、弟子はそれを受けつぎて次第に授受して、同一轍の教義を維持するを云ふ。この師資相承は恰かも世間の父子相継いで一家を立つる血統相続に酷似したるを以て血脈相承とも称する。伝灯とは法灯を伝承すると云ふ意味である。(中略)我が真宗に於ては龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空の七祖を以て相承とする。而して禅宗の如きは師資相承は面授口訣の師弟関係にある者に限るとすれども、他の宗派に於ては其れに限ったことはない、或は遺書を読みて其の思想と信仰をつぎし如き、或は芳蹟を慕ふて師弟の礼を執りし如きも、亦一宗の系譜に加へることがある。天台宗には知識相承と経巻相承とを別つ、前者は面授口訣して親しく相承するを云ひ、後者は故人の遺書を読みてその思想信仰をつぐを云ふ。我が真宗の七祖相承に於て、面授口訣の師弟関係あるは、僅に道綽と善導との続柄であつて其の他はさようではない。そこで天台の名目に倣ふて云はば、親受相承と教典相承の二種に分かつことを得る、故に道綽と善導との相承をば親受相承と名け、善導源信源空の続きがらをば教典相承と称するも可なりとすべし。」(一三九四~一三九五頁)と解説しています。普門は七高僧に天台宗の師である「恵心」を挙げるのは「経巻相承」によると述べています(『發覆』一六九頁)。
 『歎異抄』第二章には善導と法然の二祖相承が明かされ、さらに存覚の『浄土真要鈔』にも、「このごろ浄土の一宗において、面々に義をたて行を論ずる家々(中略)とほくは善導和尚の解釈にそむき、ちかくは源空聖人の本意にかなひがたきものをや」(註釈版九五九頁)と二祖相承が語られています。
 この七祖相承に対する二祖相承の意味を先学は、「尚、七祖相承に対して、二祖相承が立てられることは『歎異抄』第二条、或は『真要鈔』(本四左)に明かである。宗祖が念仏往生の本願の旨趣を受得せられたのは恩師源空であり、その源空は善導の「一心専念」の文において獲信し、その善導は釈尊の教意を望仏本願と見定めて二尊一致の旨を明かにせられた。それが真影の銘文として若我成仏の文に示されたのである。されば七祖相承は教相、二祖相承は安心において立てられたといっていいはずである。然も教相と安心は別なるものではないから、二祖相承をくわしくたどれば自ずから七祖相承となる。元祖を善導に導いたのは源信であり、善導は道綽にその教えを受け、道綽は曇鸞の碑文を見て浄土に帰し、曇鸞は天親の浄土論を註解してその意底をえぐり、天親は龍樹の易行道を開顕したのであって、こうした伝承の必然性の上に七祖相承が成立したのである。」(『講草』一二〇頁)と解説しています。
 なお、親鸞は法然と、同じ時代・社会に生きた面授の弟子ですが、善導と法然は時代も異にし、中国と日本と生きた社会も異にしています。こうした場合の相承を「超越(ちようおつ)相承」ともいいます。深励は「鎮西では超越相承次第相承と云ふことを立てる(中略)西山では横の相承、竪の相承と云ふことを立てる(中略)扨日本で源信を第六祖とすること鎮西にはないこと西山にはあり」(『深励』二〇三~二〇四頁)と述べています。「超越相承」の語は「鎮西」(鎮西派)で用いられた用語のようです。
 村上速水は「相承は盲従ではなく、己証は独断ではない。すなわち、一貫したものがありながら後は前を超えてゆくものでなければならないと言える。」(『讃述』一一八頁)と述べています。
 ところで、安田理深が「親鸞は七高僧じゃないけれども、自分の使命は論家だという自覚に立って『教行信証』をつくろうとされたんだと思いますね。『教行信証』の仕事は論家ですわ。いわば八高僧です。自分で「八高僧だ」と言ったら変なもので、だから「自分は法然上人の弟子である」と。」(安田理深『教行信証講義ノート 化身土巻(十九)』一九八一年、八六~八七頁)と、親鸞を「八高僧」と捉えたのは卓見に思います。現代教学の構築には、この「自分の使命は論家だという自覚」に依拠した教学的営為が要請されていると思います。
 なお、安田の「八高僧」との指摘は、すでに恵然がその著『正信念仏偈會鈔句義』にて、「吾祖これを得これを伝え、敬信すべきを勧める。若しかくの如き則ちこの四句(弘経大士宗師等から唯可信斯高僧説の四句・池田注)、これ吾祖伝灯相承の本心を明かすの偈已む。伝灯第八相承の高僧、勧信至切なり。門葉その素志をわすれることなかれ。」(『句義』三一八頁)と述べています。恵然は親鸞を「伝灯第八相承の高僧」、つまり、「八高僧」と理解していたと言えましょう。
 ちなみに、親鸞は『正信念仏偈』『念仏正信偈』の「偈前の文」において、「作正信念仏偈曰」(宗祖部四三頁)、「作『念仏正信偈』曰」(宗祖部四四七頁)と「曰」の字を用いています([補遺]「『教行信証』の同訓異字―言・曰・云について―」を参照して下さい)。


[補遺] 「支那」について
 かつて、「支那」という文字が差別語であるかどうか問題になりました。この「支那」という文字について、中村元は次のように述べています。

  中華人民共和国でも、自分の国のことを Peoples Republic of China と称するから、シナという名は、彼ら自身の用いているものである。だが「支那」という文字を日本人が書くと、「チャンコロ」という蔑称と同じようにひびくからいけない、と彼ら自身が言う。しかし「支那」という漢字はもともとシナ民族自身の用いたものである。明版の一切経には禅籍を含めているが、「支那撰述」と記している。また非常に古い時代に、シナ人が「支那」と書いている(『大慈恩寺三蔵法師伝』第三巻、大正蔵、五〇巻、二三六ページ下、二四六ページ上、二四七ページ上)。他方、漢訳仏典で「中国」といえば、ガンジス河流域のことである。隣国の人々に対して社交的礼儀のうえから「中国」という呼称を用いるのはさしつかえないが、学問上の論議をする場合には「中国」というあいまいな表現は避けるべきである。(『シナ人の思惟方法』八~九頁)

 中村は「漢訳仏典で「中国」といえば、ガンジス河流域のことである。」と述べています。この意味での「中国」が七祖の上にもいくつか散見されます。『論註』(七祖篇六九頁)、『安楽集』(七祖篇二四六頁)、『往生要集』(七祖篇八九二頁)などを参照して下さい。
 この「支那」という語の語源は、古代インド人が当時の中国である秦をCina(シナ・支那)と呼称したものであるといわれます。恵然は「印度の人、秦を称して支那と名づけるが如くなり。」(『句義』二九二頁)と釈しています。また、仏教用語の「震旦」は梵語Cina-sthanaの音写です。Cina(チーナ)は秦の音写で、シナのこと。sthana(スターナ)は場所・地域の意です。このスターナは、今日、パキスタンやウズベキスタンなど、「~スタン」という国名中にも知られます。「震旦」は、「古代インド人が中国をチーナ・スターナ(Cina-sthana)と呼んだのにもとづく」(註釈版五九九頁脚注)といわれます。
 また、中村は「社交的礼儀のうえから「中国」という呼称を用いるのはさしつかえないが、学問上の論議をする場合には「中国」というあいまいな表現は避けるべきである。」と述べています。
 中国の民族政策を考えるとき、この中村の指摘は重要に思います。すなわち、戦後の近代化において、ソ連共産党は「ソビエト人」という民族を超えるアイデンティティを主張しました。中国もまたその近代化において「中華民族」という新たな民族意識を形成しようとしているようです。しかし、「中華民族」をつくるとなれば、当然、ウイグル人、チベット人、モンゴル人をも包摂するための同化政策を推進しなければなりません。これまで完全な同化を果たしたのは女真族(満州族)で、独自の言語もなくなってしまいました。中国共産党が伝統的な中華帝国の「漢人」と限りなく重なる「中国人」をイメージすることは自由ですが、うまくかさならないところもあるように思います(池上彰・佐藤優『新・戦争論―僕らのインテリジェンスの磨き方―』文春新書、二〇一四年、五二~五三・九六頁参照)。


◎顕大聖興世正意 明如来本誓応機
 「顕大聖興世正意 明如来本誓応機」は【現代語訳】に「大聖(釈尊)興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす」とあります。
 「大聖」とは、大聖人の意味で、仏教では仏のこと、特に釈尊を指します。「興世正意」とは、世に興出した正本意の意味で、出世の本意、出世本懐の意です。上に「唯説弥陀本願海」(本書一一九頁)とあり、『浄土文類聚鈔』には「まことに知んぬ、大聖世尊(釈尊)、世に出興したまふ大事の因縁、悲願の真利を顕して、如来の直説としたまへり。凡夫の即生を示すを、大悲の宗致とすとなり。これによりて諸仏の教意を闚ふに、三世のもろもろの如来、出世のまさしき本意、ただ阿弥陀仏の不可思議の願を説かんとなり。」(註釈版四九七頁)とあります。

 「明如来等」とは、法霖は「明如来等は、弥陀如来の本弘誓願は能く末代の劣機に應ずと説くなり。本願。本は劣機の為に起す。宣乎、劣機に應ずるなり。」(『捕影』三二頁)と釈しています。「如来本誓」とは、阿弥陀如来の本弘誓願という意味で、総じては四十八願、別しては第十八願を指します。恵然は「如来の本誓とは、大悲の宗致、凡夫の即生なり。上の所説の因位の発願これなり。」(『句義』二九二頁)と釈しています。「本誓」は「本願」の意で、すなわち、七祖に一貫するものは選択本願を明らかにしたこととなります。
 「応機」とは、機に相応するという意味で、第十八願は時機相応の教法であることを明かします。この「応機」について、「化身土文類」には、「まことに知んぬ、聖道の諸教は、在世・正法のためにして、まつたく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法、像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまふをや。」(註釈版四一三頁)とあり、若霖は「応機とは、総じては三時に通じ、別しては像末法滅の機に応ず」(『文軌』四八頁)と述べています。
 この二句について慧空は、「大聖の正意とは、釈迦発遣の本懐也。如来の本誓とは、弥陀招喚の願意也。此則ち七祖の釈義に由って二尊の本意を開き標す。」(『略述』一八頁)と釈し、恵然は「顕大等とは、これ釈尊発遣の正意を顕し、明如来等は、これ弥陀済度の弘願を示す。」(『句義』二九一頁)と釈し、仰誓は「顕と曰ひ、明と曰ふ、これ七祖の傳化の功を標す。故に別讃中に毎章、顕明の字を用いる。横川章の如き、この字無きと雖も、代わつて開の字を以てす。略文類偈に「大聖世雄の正意を開く」と云ふ。これなり。」(『夏爐』一三八頁)と釈しています。また、慧琳は「今二句に明すところ、顕大聖の句は釈迦に約して、出世本懐は唯念仏一門にあることを顕はし。次の明如来の句は、弥陀に約して、本願の正所被はことに悪機にあることを明す。二尊に約して機と法とを示す。これ即ち上の四十四句に頌する大経の意、ここにあり。祖々相継で、この機教相応の旨を弘伝することを、この二句に明して、これを七祖の総讃とするなり。」(『帯佩』五一〇頁)と釈しています。
 この七祖に一貫する本願の意を、龍樹章は「憶念弥陀仏本願」、 天親章は「光闡横超大誓願」「広由本願力回向」、曇鸞章は「報土因果顕誓願」、道綽章は「一生造悪値弘誓」、善導章は「開入本願大智海」、源信章には本願の語はありませんが「報化二土正弁立」の報土は本願酬報の土、源空章は「選択本願弘悪世」と明かしています(『講述』一四八頁、『講讃』二五六頁)。
by jigan-ji | 2016-01-14 01:02 | 聖教講読
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