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浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
正信偈講読[186]     2016年 02月 17日
 補遺[138] なぜ『正信念仏偈』を作ったのか

 江戸時代の宗学者の多くは『正信念仏偈』作成の理由を、「自利利他の為」「知恩報徳の為」「真宗伝来を顕す為」(『句義』二五一頁)や「造意ただ報恩にあり」(『夏爐』七三頁)と述べています。
 しかし、多くの宗学者の中でも了祥は、『教行信証』の執筆理由を知って『正信偈』の執筆理由を弁じなければならないと、次のように述べています。

 ときに古来の説、この『正信偈』の来意は仏恩報謝という義、なるほどこの『正信偈』の前の文に「知恩報徳のために作る」とあるで仏恩報謝にちがいない。さりながらそれきりでしまうには何の益にはたたぬ。そこで全体この『正信偈』ばかりの来意を弁ずるというは甚だつまらぬことで根本は『御本書』(『教行信証』・池田注)だから『御本書』の来意を知って、それをこの『正信偈』へあげて弁ぜねばならぬ。(中略)詮ずるところ『御本書』の来意は破邪顕正。その『御本書』の中にある『正信偈』なれば聖道浄土の邪を払い、七祖元祖の正意を顕わし、破邪顕正がこの『偈』(『正信偈』・池田注)の来意なれ。口にせずということはなるまい。それを心として今この来意を弁ずるに、(中略)全体、古来南都北嶺のことばかりいえどもそれはうとい、吾祖にきたっては禅宗が七分のかたき、(中略)日蓮の書に南都北嶺の訴状が出してある(『昭和定本日蓮聖人遺文』第三巻二二五八頁・濱田補註より)。(中略)聖道門ばかりか浄土門でも称名かろしむる愚か者がある。その中、幸西が理は(中略)西山なぞも(中略)鎮西も極意は似たもの、よって浄土五派の中、念仏を尊むは多念義、よって吾祖も隆寛をばおほめなさるなり。元祖(法然・池田注)を受け込んだ家がこの通り。(中略)かくの如く内邪外邪さかんにおこる世の中であるから、通じては七組、別しては元祖、浄土真宗の念仏を推したてて開いていえば念仏の教も真実行も真実信も真実証も真実とあらわし、つづめて言えば元祖真宗の念仏を正信せよという、これが『御本書』なり。『正信偈』なり。かくの如く破邪顕正し仏恩師恩を報ずるこの偈なりと弁ぜねば実意はあらわれぬ。よってそのつづまるところは古来の説と同じかくの如く知恩報徳を来意とすれど、その時代を考え内邪外邪を弁じて実に知恩報徳をこの偈の来意と定める。(『聞①』六〇~六二頁)

 了祥は、「破邪顕正し仏恩師恩を報ずるこの偈なりと弁ぜねば実意はあらわれぬ」といいます。「破邪顕正」が『正信念仏偈』の執筆理由であると語ったのは、江戸時代の宗学者の中では、後にも先にも了祥一人ではないかと思います。
by jigan-ji | 2016-02-17 01:02 | 聖教講読
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