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浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
正信偈講読[205]     2016年 06月 02日
 補遺[157] 正信偈講読[4](2013年6月10日)、[149](2015年10月1日)を補足します。

 道隠(1741~1813)は帰敬偈「南無不可思議光」の「不可思議光」は「十二光を統摂する」名であり、「咨嗟を究める美号、智体を顕すの巧称なり」と、次のように述べています。

 不可思議光は、大本十二光の中に難思・無称(三経七祖部一六頁)とある。唐訳十四(ママ)光の中に不可思議光(註釈版三三九頁、三経七祖部は「不思議光」三経七祖部一九六頁)の名有る。然るに今、正しく鸞師の偈(『讃阿弥陀仏偈』)を用ふ。偈の始め十二光仏を礼す。偈の終わりに南無不可思議光、一心帰命稽首礼と云ふ(七祖篇一七七頁)。則ち知る、此の号是十二光を統摂するなり。斯の光、何を以て不可思議と謂ふ。不可思議光は、咨嗟を究めるの美号、智体を顕すの巧称なり。何ぞ咨嗟を究めるの美号といふ。経に曰わく「威神光明最尊第一諸仏光明所不能及」(三経七祖部一六頁)。又云ふ。「我説無量寿仏光明威神巍巍殊妙昼夜一劫尚未能尽」(三経七祖部一七頁)。又言ふ。「皆共讃嘆無量寿仏威神功徳不可思議」(三経七祖部二四頁)。此等、咨嗟讃嘆究め盡し難しを顕す。豈、不可思議に非ず耶。何ぞ智体を顕すの巧称と言ふ。経に曰わく。「仏智不思議智不可称智」(三経七祖部四三頁)。又言ふ。「如来智慧海深広無涯底」(三経七祖部二七頁)文。智体即ち是不可思議。智相豈爾らずや。智相不可思議、即ち智体の不可思議を顕す故に、不可思議光の名を立てる。(『正信念仏偈甄解』、『真宗全書』第四十巻二八九頁)
by jigan-ji | 2016-06-02 01:02 | 聖教講読
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