浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
カテゴリ:聖教講読( 240 )    
正信偈講読[241]     2016年 10月 01日
 補遺[193] 「一生」と「一形」

 正信偈講読[35](2013年8月27日)、並びに正信偈講読[131](2015年7月19日、[132](2015年7月20日)の「一生造悪値弘誓」を補足します。

 「一生造悪値弘誓」は、『安楽集』第三大門の「もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ」(本願取意の文、七祖篇二四二頁)、「たとひ一形悪を造れども、ただよく意を繋けて専精につねによく念仏すれば、一切の諸障自然に消除して、さだめて往生を得。」(七祖篇二四二頁)に拠ります。
 道綽は「縦令一生造悪」といい、また「縦使一形造悪」(三経七祖部四一〇頁)とも述べていますが、この「一生」と「一形」について、西吟は次のように釈しています。

 一生等の両句はこれ機法の勝益を明かすなり。一生造悪はこれその悪機、弘誓はこれその法なり。安養証果はこれその勝益なり。謂く。尽形造悪の者も弘誓願に値へばかの仏力を以て浄土に往生して即ち証果を得、その利益餘善に超へたり。豈勝益に非ずや。故に安楽集に云く。たとひ一形悪を造れども、ただよく心(ママ)を繋けて専精に常によく念仏すれば、一切の諸障自然に消除して、定めて往生を得。一生亦は一形と云ふなり。それ形有れば生有り。生有れば形有り。故に集の中に一形と云ひ亦一生と云ふなり。」(『要解』巻四・二十一丁左~二十二丁右)
by jigan-ji | 2016-10-01 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[240]     2016年 09月 30日
 補遺[192] 「必至無量光明土」

 正信偈講読[33](2013年8月22日)、正信偈講読[128](2015年7月12日)の、「必至無量光明土」を補足します。

 「弥陀の真土」を「無量光明土」と名づけた理由について、西吟は「無量光明土(「解に二義有り。初めは偏に光明に約して而して言ふ。後は光明を智と為し無量を理と為す。理智不二なるはこれ報仏の住處なり。もし体用相即より下は二義を会して一義と為すなり。」、知空『助講』四十丁左~四十一丁右)は報仏所居の土なり。報土とは知恵を体と為す。謂く。弥陀は因中において光明無量を誓つて願既に成ずと釈迦讃嘆して無量無辺と云ふなり。即ちこの智体所現の土なるが故に無量光明土と云ふ。また無量光明は理智の異称なり。謂く。実相は無量なれば呼んで体を無量と云ふ、用を呼んで光明と云ふ。但し今の所用に非ず。もし体用相即して而してこれを言はば則ち体既にこれ無量なれば智また無量なるが故に偏に光明の徳を呼んで無量光明と云ふ、故に無量光明土と云ふなり。」(『要解』巻四・十四丁左~十五丁右)と釈し、隨慧は「上の章に蓮華蔵と云ふ。今光明土を以て釈すとしるべし。そのゆへは蓮華蔵の名は諸仏の報土に通ず○傍三世厳と説が故弥陀別願所成の報土を無量光明土と名く。故に弥陀の蓮華蔵を無量光明土と名くとしらしむるもの乎。」(『説約』四一〇頁)と釈し、深励は、「弥陀の真報身の光明に従へて名をえて、論には尽十方無碍光如来と称し、釈には不可思議光如来と名くるなり。竜樹の易行品に、弥陀を無量光明慧とほめてある。そこで真土を又光明に従へて名づけて無量光明土と云ふ。弥陀の真仏真土ともに光明に従へて、名を得るとの玉ふときに、弥陀の浄土を無量光明土と名づけることは、吾祖不共の名目なり。他流には云はぬことなり。」(『講義』一七一頁)と述べています。つまり、深励は龍樹の『易行品』に阿弥陀仏を「無量光明慧」(七祖篇一五頁)といっているから、「弥陀の浄土」も、同じ光明の文字を以て「無量光明土」と表現したというわけです。
 なお僧鎔は性海の『正信念仏偈刊定記』に依って「無量光明土四義」について、「刊(『正信念仏偈刊定記』巻中・五十六丁左)。必とは決定の義。無量光明土の四義。一には無量智光所成の土。智に約す 二には無量は理、光明は智、理智不二の妙土。理智に約す。已上全く要解(『要解』巻四・十四丁左~十五丁右)に依る 三には無量光明仏土。大経無量寿仏の所文を引く。四には無量光明荘厳土。論文を引く云々」(『評註』二二頁)と挙げています。
by jigan-ji | 2016-09-30 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[239]     2016年 09月 28日
 補遺[191] 「証知生死即涅槃」

 正信偈講読[33](2013年8月22日)、正信偈講読[127](2015年7月11日)の、「証知生死即涅槃」を補足します。

  親鸞はなぜ「生死即涅槃」という表現をしたのかについて、『六要鈔』では問答をもうけて「□問生死すなわち涅槃の証は深悟の機に約す。惑染の凡夫はたとえ信心を発しても、いかでかその証が得られようか。したがって今の教には、無相離念の義を明かさないで、煩悩・菩提は不二の悟である。どのようにして関わるのか。□答凡夫は直にこの理を証すというわけではなく、今の名号は万徳の所帰、仏果の功徳であり、能信の信心はまた他力より起こる。さらに凡夫自力の心行ではない。したがって信を発して、その名号を称すれば、不断煩悩の悪機であっても、法の功能に依ってこの理を備わるのである。」(和訳六要鈔一三二頁、宗祖部二七一頁)と述べています。
 存覚は、凡夫は「生死即涅槃」の「理」を直に証するわけではなく、「法の功能に依ってこの理を備わるのである」といいます。
 西吟もまた「生死即涅槃」を、次のように釈しています。

 証知生死等と云ふは涅槃生死もと即ち一心なり。もしこれに迷ふならば則ち涅槃即ちこれ生死。なお水に即して波が現ずるが如し。もしこれを悟れば則ち生死即これ涅槃。なお波に即して水を現ずるが如し。あに生死涅槃それ別体有らんや。しかるに他は自心に向かつてまさしくこの理を証して見性成仏す。今家はしからず。まさしく宗門に約してこれを言はば二義有り。一には仏力に約す。謂く。仏もと凡夫往生の願有り、故に専ら心を仏地に樹て恒に念を宝海に流せば、仏力住持して自然に煩悩を転じて菩提を成じ、生死を転じて涅槃を得しむ。則ちこの密益を指して証知等と云ふなり。まさに知るべし。自己に向かつて生死即涅槃を証知せよと言ふには非ざるなり。二には信解に約す。謂く。一切衆生仏願力を聞ひて而して生死の凡夫、彼の国土に到れば即ち涅槃を得と信知する。これを証知と云ふなり。本文註論の下(七祖篇一五五頁)に出たり。云く。無礙とは生死即ちこれ涅槃なりと証知する等と。ただし文はこれを写すといえども義亦およばざるなり。(『要解』巻四・十三丁左~十四丁右)

 西吟は「密益を指して証知等と云ふ」のであり、「自己に向かつて生死即涅槃を証知せよと言ふには非ざるなり」といいます。
 さらに若霖は「然るに是の如きの教理は聖道の極則なり、今偈に何ぞ取りて此に用ふることを為すや、宗致と相関はらざるに似たり。謹んで祖意を按ずるに、弘願の宗旨にして、方に是の如きの不二法門を語るべし、聖道は即ち是教ありて即ち是証なきが故に」(『文軌』六五頁)と述べています。
 この「生死即涅槃」は聖道門の教理のように思われます。先学も「中観哲学的、四論の学匠的表現」(豊原大成『迎法憧』五四三頁)と述べています。
 隨慧は「文類偈に云ふ。「信心開発すればすなはち忍を獲、生死すなはち涅槃なりと証知す」(註釈版四八八頁)忍とは無生法忍なり。無生法に於ひて安忍するを無生法忍と名く。無生の法とは生死即涅槃なり。此の法小智の安忍するところに非ず。信心の智慧にいりてこそ、無上涅槃を期する身とはなるなれ。凡夫の境界にあらざる。無上涅槃をうべしと信知するを無生忍と云ふ。是を証知生死即涅槃と云ふ。すなはち獲忍の相なり。」(『説約』四〇八頁)と、「証知生死即涅槃」は「獲忍の相なり」と釈しています。
by jigan-ji | 2016-09-28 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[238]     2016年 09月 27日
 補遺[190] 「報土因果顕誓願」

 正信偈講読[32](2013年8月21日)、正信偈講読[126](2015年7月8日)の、「報土因果顕誓願」を補足します。

 「報土因果」の四字については、報土と因果の二つと見るか、報土の因と報土の果と見るか等々の問題があります(僧鎔『評註』二〇頁以下、浜田耕生『正信念仏偈の研究』八八頁以下)。今は、衆生が浄土に往生する因と果の意で解釈するのが良いと思います。
 西吟は「因果顕誓願とは解するに二義有り。一には謂く。報土の因と云ふはこれ何ぞ、法蔵菩薩の願心修行のいまだ成ぜざるところなり。報土の果と云ふはこれ何ぞ、法蔵菩薩願心修行即ち尅成するところ。故に因果共に一願心に在り。これを以て彼の註論に仏土荘厳を釈する時、上(『論註』上・池田注)には仏の因位に約してこれを説き、下(『論註』下・池田注)にはその果体に約してこれを釈す。故に註解因果顕誓願と云ふなり。二には謂く。衆生得生の因は第十八の願より起こる。又衆生得生の果は第十一の願より発る。故に鸞師の註論に信仏の因縁を土因と為るは、これ第十八の願にもとづく。又正定涅槃を土果と為るは、これ第十一の願に依る、故に註解報土因果顕誓願と云ふなり。これを以て下に二種の廻向を明かす中に往相はこれ報土所入の因相なり。還相はこれ報土生後の果相なり。故にここに在って下の二回向の意を総標するなり。」(『要解』巻四・十丁左~十一丁左)と釈しています。
 また、普門は「因果は二義有り。一に報土について因果を論ず。二に衆生得生の因果についてこれを論ず。初めの報土の因果は、因はこれ法蔵願心、浄仏国土の行因なり。果は法蔵願心の剋果なり。故に因果共に一願心に在るゆゑなり。論註、仏土の荘厳を釈する時、上、仏の因位に約してこれを説く、下、その果体に約してこれを釈す。故に因果顕誓願と云ふなり。(中略)次に衆生得生の因果についてこれを論ずとは、それ衆生往生の因は、これ第十八願なり。又衆生得生の果は、第十一願ゆゑなり。論註に云く、おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり。いま的(アキ)らかに三願を取りて義の意を証せん云々。この三願は上に述べる。十八・十一・二十二 しかれば則ち生因これ本願なり。得果本願力なり。」(『發覆』二〇四~二〇六頁、仰誓『夏爐』一五三頁、道隠『甄解』三二八頁、観道『慶嘆』三九七頁)と釈しています。
by jigan-ji | 2016-09-27 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[237]     2016年 09月 19日
 補遺[189] 了祥の真面目②―「唯称える位で願行具足といっては自力を執ずるものは合点せぬ」―

 地論学派の浄影寺の慧遠(五二三~五九二)や天台宗を開いた智顗(五三八~五九七)、三論宗の嘉祥寺の吉蔵(五四九~六二三)、法相宗の窺基なども『観経』の注釈書を著していますが、それらの諸師は自らの宗の上で『観経』を解釈しました。
 特に真諦訳の『摂大乗論』にもとづ摂論宗(通論家)は、十声の称名で悪人や凡夫が往生できるというのは方便、すなわち「別時意」であると主張しました。摂論宗による念仏批判は、すでに道綽も『安楽集』「第二大門」(七祖篇二一八頁以下)において取り上げています。
 この摂論宗の念仏批判に対して善導は『玄義分』にて「いまこの『観経』のなかの十声の称仏は、すなはち十願十行ありて具足す。いかんが具足する。「南無」といふはすなはちこれ歸命なり、またこれ発願回向の義なり。「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。」(七祖篇三二五頁)と、悪人や凡夫の称える力をあてにするのではなく、南無阿弥陀仏の名号には、仏になるための願いと阿弥陀仏の修行とが具わっている、つまり「願行具足」していると「六字釈」を展開しました。
 しかし了祥は「通論宗の学者がそんなことでのみこむものでない」「今日の者が称えるような念佛に願行具足というたら、通論宗は寄せつけもせまい。」と、次のように述べています。

 年来不審にあったは、かの通論宗の大敵に南無は願、阿弥陀佛は行、六字称えるに別行あって、それで往生であるということ。おろかなものは「はい」といおうが、通論宗の学者がそんなことでのみこむものでない。この義が不審にあった。それがそれただ称える上では六字であるが、そのつとめようが般舟三昧の勇猛精進、不惜身命欣浄土行念仏(濱田は補註に、「ここに述べる如き文を見ず。『観念法門』の見佛縁にあげるところの『般舟三昧経』一巻本、行品の意を説く文を指すと見られる(聖全①六三四頁)。」と注しています) 文を六字にかけてみると、あれ程に願い、あれ程につとめては往生もなろうと通論宗の角がおれたとみえる。今日の者が称えるような念佛に願行具足というたら、通論宗は寄せつけもせまい。これらから思えば通論家を打ちくだくために、勇猛精進の念佛をすすめて願行成就に口をあかせず、又は現世に佛をみせて往生の疑いを断つためになされたことでもあろうか。よって元祖は善導によれと、道綽の時機教(ママ)相応の選択の第一にあげてこれをかねとりてのおすすめであろうかとも思われる。(濱田耕生『妙音院了祥述『正信念仏偈聞書』の研究―善導篇―』二三二頁)

 さらに了祥は弘願他力信心であるにもかかわれず、善導はなぜ「勇猛精進」をすすめたのかと問い、それに対して六つの理由を明かしています。

 ときにそれについて上から弁じた善導の文の上、金剛心は持戒の念佛なり、行者の意の精進なことにして仰せられたことの訳が知れぬ。もっともはや他力のむねが出ぬではない、見えてはおれど打出して仰せられぬはどうしたものか。これについて昨日もちょっと弁じたがどうも気がすまぬについて六義を考え出した。
 まず一つには般舟の方法に順ずるが故に。これは『唐高僧傳』にも出て、善導は道綽の弟子になってその道綽の教化をひろめたお方、その師匠の道綽、伝をみても般舟三昧の行者、『安楽集』もそのこころ、その道綽の般舟三昧は全く曇鸞の相承。これ般舟三昧は師資相承の法なるが故に、『般舟三昧経』にはそむかれぬ、ここをもって『般舟三昧経』の法を守り持戒して悪をやめ散乱をおさめて念佛せよと相承を守って教えたもう。
 二つには仏語の教誡に順ずるが故に。これは浄土正依の『大経』に諸善かねればかねたれども三毒をたしなみ五悪をおしふせ善をなせなせと小僧もおこる長い切りが二つある、もっとも上にも弁じた「吾れ世を去りて後」はどのようにかなるであろうと仰せられたところでは、この通りにせねば往生ならぬではなけれども弥勒もこれを未来につたえんと申し置いた。先ず守らねばならぬのが佛の教誡、ここをもってその教誡の表てを守り三毒五悪をたしなませたもの、これ上にも弁じたれどもよく知るべし。善導唯除五逆を抑止と釈した、それを覚如さまは方便とある(口傳鈔、聖全③三三頁)。この眼で三毒五悪をみねばならぬ。三毒五悪つくりて往生ならぬではなけれども、轡をはめてもはねるははねるがかけておかねばたまらぬ、とても三毒五悪はやめはせぬが佛方便の轡だと思わねばならぬ。その轡が善導は強轡、吾祖もまんざら轡をはめんではない、薬ありとて毒好むなと(歎異抄十三、聖典六三四頁)弱い轡ははめてある。
 三つには善導佛を見て疑いを断ぜんための故に。これは懐感の伝(大正㊿七八三頁下)にも出て、聖道の学者は念佛往生を疑う、しかし浄土をみては一言はない、生きながら佛を見るには般舟三昧でなければならぬ、ここをもって般舟三昧をすすめて念佛誹謗のものを防いだもの。かの東都の英法師などこれであやまられたとみえる。
 さて四つには、別時意に対するための故に。これは昨日弁じた一義で、唯称える位で願行具足といっては自力を執ずるものは合点せぬ、よって厭離欣浄心をきびしくして願の強きをあらわし、無間の念佛を教えて行の強きをあらわし、般舟三昧の至誠精進の行願で、願行不具足という通論宗へあたるためである。
 さて五つには、三階邪法に対せんがための故に。これは善導以前に信行禅師というが立てた邪法で禁制になりたれどもまだ余類が多い、よって『群疑論』の三巻は多くこの三階佛法の破斥。その三階の立て方は『末法灯明記』で弁じた通り。この三階のことはつぶさに吟味したいがまだ手がとどかぬ。まず時と機とを『大集経』や『十輪経』で定めて、末法の時機は戒も破り正見もやぶりさらに仏道修行ならぬ、正法が第一階、像法が第二階、末法が第三階と、三段の法を立てて末法の時機は破戒破見みな五逆の機、みな五逆の機(ママ)、たとえ佛から血を出さぬ、親は殺さずともその機ぶりをいえば五逆である。これによって十八願に唯除五逆といったは末法のものの往生ならぬということだとして念佛を破する。それに普教別教というを立てて末法のものは一教一佛によってはすまぬ、一面にせねばならぬという。よって法華を読めば無間地獄、戒を持つは阿鼻地獄、佛のできぬときだと説かせられたに念佛読経持戒するは佛にたがうて地獄という、この法さかりにひろまって寺もいかいこと出来たということ。『西方要決』でみれば業をつくれば是非受けねばならぬ、それが浄土に往生して業の報いを受けぬということはないといって破すとある。又、妙にしゃれて極楽を願うは大欲、この世を嫌うは大瞋恚、その元は愚痴、浄土の願えぬときだとあるに浄土を願うは邪、三毒であるという。善導の御疏もこれにお語りが多くみえる。古来別時意にばかりお当りというはうとい。善導はこの三階に当たるが故にきびしく戒をすすめ、きびしく世をいとはせ、きびしく浄土をねがわせたとみえる。何でもこの三階へ当るための御教化が主とみえる。
 さて六つには、道綽の化を助けんが為の故に。これは道綽のときは別時意につぶされて念佛するもののなくなりたとき、よって先ずどうしても念佛にとりつかせねばならぬ故に、伝文でみると豆で数をとらせたり、麻の実で数をとらせたりなんどせられたとある(続高僧傳、大正㊿五九四頁上)。又、七つから上の者はみな念佛するとある(迦才浄土論下巻、浄全⑥六五九頁上)。これでみるとまず念佛させるためであるによって、その(道綽の・池田注)ご教化がゆるやかにあったもの故に善導は一つきびしく正理にすすめいれる相がみえる。(濱田耕生『妙音院了祥述『正信念仏偈聞書』の研究―善導篇―』二三六~二三八頁)
by jigan-ji | 2016-09-19 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[236]     2016年 09月 18日
 補遺[188] 了祥の真面目①―「吾祖のお下にそだったものは世の中のあまやかし子のようになって、あまりに懈怠をするようになる」―

 了祥は「吾祖のお下にそだったものは世の中のあまやかし子のようになって、あまりに懈怠をするようになる」ことを危惧しました。
 了祥は『正信念仏偈』の「行者正受金剛心」を釈し、十四行偈の「各発無上心と共発金剛志」について、「『疏』の文面は往生へ不惜身命のはげましが金剛志」であると、以下のように釈しています。

 金剛心を弁ずるについてまず初めに十四行偈の文、その各発無上心と共発金剛志とかさねておるについて西山鎮西長楽三義の分かれ、並びに当流に二点あること、これまでは上に弁しおわる。さてこれから善導大師の思召しと吾祖の信巻等に御引用の思召とかかわりのあることを弁ずる。しかるに古来は善導も吾祖もここに御意のかわりはない、共に弘願他力の横超の意だと弁ずることなれども私にはそれでは気がすまぬ。それはまずこの文ではどのようにも曲げつけられるが、後に「定散等回向速証無生身」とありて定善や散善ともに浄土に回向して速やかに無生身を証るというて、それが頓教一乗の教えだとある。それとこの無上心金剛志で横に生死をとびこえて仏果にいたるという文とちがうといわれる筈がない。わずか十四行偈の中で金剛心を頓でよこっとびというのと定散で速やかにさとるというのと忽ち舌が二枚できる筈がない。よってこの無上心金剛志で横超すると定散で速やかに証ると、善導の文面では同じことだと心得て、それを吾祖は善導の密意を得てこの金剛心の文は弘願他力の意なりと仰せらるる。その善導の文と吾祖の思召とを弁ぜねばならぬ。これはすべてここに限らず皆この心得でなければ諸方ともに文をまげつけねばならぬので甚だ大事のこと。(濱田耕生『妙音院了祥述『正信念仏偈聞書』の研究―善導篇―』一七二~一七三頁)

 今この無上心金剛志はその定散の行に第一に発すべき三心をすゝすめたもの。かくの如く心得てこの無上心金剛志をみるべし。あたまから弘願他力の三心じゃと定散へも散善へもかからぬ信心だとみてすむか、なるほど定散二善、その本意からは弘願の信心。そこで吾祖が弘願の信になされる本意から弘願の心にとるはきこえる。さればとて善導の文面から弘願にとりてはゆるされぬ、これをよくわきまえて古今の当流の者の吾祖が弘願の信心になされるでそれにかたぎりてこの偈の初めをあたまから弘願の信にみる、それでは後の定散等回向にあわず。よりて私には無上心金剛志と出した文の上は定散の自力心、まず一往各発無上心とすすめてその三心あだなことではつとまらぬで共発金剛志と一と振り込みさせてよこに生死をこえよといったもの。そこが具さには次の欣浄縁の下で弁じようと思うが、全体善導は『大経』の三毒五悪段へかけていう意。そこで「雖一世勤苦須臾之間後生無量寿仏国」(聖全①三五頁)という文が『往生礼讃』(聖全①一七〇頁)にもとってある。それを『大阿弥陀経』『平等覚経』では精進と説いて一生の間精進につとめるは苦しいはくるしいが灸のあついようにしばらくだからこらえてつとめよ、そのかわり後生極楽では楽しみきわまりがないという意。善導はみなこの腹で観念すすめるにも念仏をすすめるにも、まことにつとめ方がひどい、いわゆる寒冷に流汗の風情なり。それがただ一生で後生は飛びこえで極楽で無生というところが横超断四流速証無生身なり。よってこれはよく心得でおくべきは成程善導のすすめははげしい、それでは末世の機にあわぬで、それを一つ許したが元祖、又ゆるめたがわが祖。故にゆるめてゆるめてくだされたが、吾祖のお下にそだったものは世の中のあまやかし子のようになって、あまりに懈怠をするようになる。よって又善導のもとへ立ち帰りはげむ心も忘れてはならず。善導はところどころに不惜身命とあり、これはもと『般舟三昧経』から出たもの、身も命もかまわぬ程にはげませる。そこを心得てみると各発無上心と一往信をすすめて重ねて金剛志とはりこませたわけがよくのみこめる。それを又弘願の裏からみると、はげめぬものには弥陀がはげんで金剛のまこと心は他力回向と仰せられたもの。吾祖の御意もまたありがたい。先ずこれで善導の文の当分のおちつきはみえたり。(濱田耕生『妙音院了祥述『正信念仏偈聞書』の研究―善導篇―』一七五~一七六頁)
by jigan-ji | 2016-09-18 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[235]     2016年 09月 15日
 補遺[187] 文献解釈の落とし穴―ボランティアは自力?―

 つれづれ記(2016年4月24日)「仏さまのまねごとをする」にて言及したことですが、木越康大谷大学教授は、震災という悲惨な事態を契機として、親鸞思想とボランティアの問題についての議論をすると、「ボランティア活動は聖道の慈悲であり、自力ではないか」「支援活動は聖道の慈悲であって、親鸞が説く浄土の慈悲とは異なる」といった「真宗的ブレーキ」がはたらくといわれます。こうした「真宗的ブレーキの正体」は何かを考察し、真宗者あるいは仏教者としてボランティア活動や支援活動に関与する「内的動機」に関する問題を、その著『ボランティアは親鸞の教えに反するのか―他力理解の相克―』(法蔵館、2016年3月11日)で考察しています。
 この問題について、私は、文献解釈の視点から考えてみたく思います。
 すなわち、『正信念仏偈』の「自然即時入必定」の「自然」を、西吟は「自然とは、仏を憶念する者は自らこれを計せざれども、仏願力に因つて自ら必定に入る故に自然と云ふなり。亦因を修するに自ら其の益を得。これ因果自然の義なり。」(『要解』巻三・十九丁左~二十丁右)と釈しています。
 その後、月筌は「為さずして而も然る所以なり。所謂「即入必定」の益は行者の所為ならず、仏徳よりして然るが故なり」(『勦説』二五頁)と釈し、普門は「自然とは、任運不作意の義。自功に依らず、仏力の然らしめる故に自然なり。」(『發覆』一八五頁)と釈し、法霖・隨慧は「無功用の義」(法霖『捕影』三八頁、隨慧『説約』三八四頁)で釈しています。
 「自然」が「因果自然の義」をも含めての解釈から、「行者の所為ならず、仏徳よりして然る」、「任運不作意の義」、「無功用の義」と解釈されていくなかで、往生浄土の因として否定された「行者の所為」や「作意」や「功用」を、日常生活での所作一般においても否定すべき内容と解釈されるようになったのではないでしょうか。
 木越氏のいう「真宗的ブレーキの正体」は「解釈」の問題、言い換えれば、震災(震災に限らず、他者の苦しみ)をわがこととして、「自他共に」の世界を開く真宗「解釈」が出来るかどうかにあるように思います。
by jigan-ji | 2016-09-15 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[234]     2016年 09月 14日
 補遺[186] 「中夏」的世界観から「皇和」的世界観への移行 ②

 正信偈講読[23](2013年7月28日)、正信偈講読[172](2016年1月14日)の、「印度西天之論家 中夏日域之高僧」を補足します。

 「中夏」とは、中央にある盛んな国の意で、中国人の自称です。中夏の中は天下の中枢、夏は大の意で、中国人が自国を自ら尊んでいう語です。「中華」の華は美の意で、中華といった場合は、文化の中心地の意です。インドを中心に考えると中国は東に位置しますから「東夏」ともいいます。「中夏」も「東夏」も中国を指します。
 西吟は「中夏とは中国、之を諸夏と謂ふ。これ中国を指して中夏と謂ふ。又大厦と云ふなり。」(『要解』巻三・三丁左)と釈し、慧雲は「中夏とは、軌(『文軌』四八頁・池田注)云ふ。即ち震旦を指す。彼の人、自ら中国と称し華夏と言ふ。故に其の称に順ず。」(『呉江』二〇頁、観道『慶嘆』三八〇頁)と釈しています。
 「日域」とは日本を意味します。西吟と知空は、『日本書紀』の注釈書である『日本書紀纂疏』(一条兼良著、成立は康正年間[1455年-1457年])により、「日本」の字義、倭訓、別号を次のように釈しています(なお、適宜、知空の『助講』の注釈を文中に挿入します)。

 日域とは和国の別名なり。纂疏(「日本紀の疏、藤原の兼良著す。今の文一巻に出ず」、『助講』三十丁右)に云く。唐書伝に云く。日本国は和国の別種(「種は称と作し合ふ。疏に云ふ。日本これには訓じて耶麻止と曰ふ。耶麻止、今は機内一国の名と為す。其れ天下を有するの号と為するは何ぞや。曰く、神武皇帝初め大和の国磐余の地に都す。因て耶麻止を以て天下を有するの号と為す。」、『助講』三十丁右~左)なり。其の国、日の辺に在るを以ての故に日本を以て名と為す。或は倭国(「纂疏に云ふ。韵書を按ずるに倭は烏禾の切、女王国の名乃至姫氏国と。但し韵書を考えるに姫は婦人の美称と。而るに天照太神は始祖の陰霊、神功皇后は中興の女主、故に国俗、或は仮借して之を用ふ。字に依て義に依らざるなり。仏祖統紀の四十四に云く。日本は漢の倭人なり。京師を去ること萬四千里新羅の東南にあたる。海中の嶋に在る。左右の小嶋五十余皆自ら国と名づけて之臣附す。其の俗女多く男少なし。文字有り浮図を尚とぶ。其の王姓は阿毎氏、初主を天御中主彦剣と号す。五十二世皆尊を以て号と為す。竺紫城に居す彦子神武(神武・池田注)立つ更に天皇を以て号と為す。徒大和の州を治す。又十六世にして応神に至る、又十四世にして欽明に至る。又二世にして用明に至る。当に隋の開皇の末に当たる。始めて中国と通ず。乃至。改めて日本と号す言(こころ)は其の国東に在り日の出る所に近ひなり。」、『助講』三十丁左)と曰ふ。自ら其の名雅しからざるを悪んで、改めて日本と為す。或が曰く。日本、旧は小国なり、倭国の地を併せて其の人朝(大唐のこと)に入る者多く自ら大に矜(ほこ)つて実を以て対(こた)へず。故に中国焉(こ)れを疑ふ。一義に日本(本来は「一義に曰く」・池田注)は、猶を始めとするなり。陰陽二神(「伊弉諾の尊、伊弉冉の尊」、『助講』三十丁左)、始めて日神(「日神は天照太神」、『助講』三十丁左)を生む故に日本を以て名と為す。又日は出入を以て始終と為す、此れは日の出るの国なり。一義に曰く、日は、衆陽の宗、人君の表なり。故に天に二日無し、地に二王無し。孟子の曰く、天の物を生ずるなり、これを一本ならしむ。其の人物の生ずること皆二本ならず、乃し自然の謂(「謂は本、理に作る」、『助講』三十一丁右)なり。又、和面国(「和は本、倭に作る」、『助講』三十一丁右)と云ふ。謂く、此の方の男女、皆點面文身(入墨をしている・池田注)故に面の字を加えて之を呼ぶ。(『要解』巻三・三丁左~四丁左)

 また、若霖は「日域、日の出る處、東に在る。(『文選註』九)と。」(『文軌』四八頁、慧雲『呉江』二〇頁、観道『慶嘆』三八〇頁)と釈し、月筌は「域とは、『説文』に「邦也」と」(『勦説』二一頁)と釈しています。
 「高僧」とは名も徳も非常に高い僧という意味で、ここでは曇鸞以下の五祖を指します。西吟は「高祖(「高僧に作るべし」、『助講』三十一丁右)とはこれ五祖を尊称するの言なり。」(『要解』巻三・四丁左)と釈し、若霖は「鸞師已下の五祖を指して言ふ」(『文軌』四八頁)と釈し、法霖は「東土の三祖、吾邦の二祖なり」(『捕影』三二頁)と釈し、隨慧は「すなはち鸞師已下の五祖なり」(『説約』三七七頁)と釈し、慧琳は「漢和の五祖を指す」(『帯佩』五〇九頁)と釈し、慧雲は「漢和五祖を指すなり」(『呉江』二〇頁)と釈し、仰誓は「今、支那皇和の五祖を指して高僧と言ふ。」(『夏爐』一三八頁)と釈し、道隠は「漢和の五祖」(『甄解』三一八頁)と釈し、深励は「高僧とは七高僧の中、曇鸞・道綽・善導の唐の三祖と、源信・源空の日本の二祖を指す」(『講義』一三七頁)釈し、観道は「漢和の五祖を指す」(『慶嘆』三八〇頁)と釈し、僧叡は「玄忠已来の五祖を指す」(『要決』四四二頁)と釈しています。
 親鸞は「東夷」という地政的位置関係の言葉を使用していませんが、「粟散片州」(『高僧和讃』「源空讃」註釈版五九八頁、『尊号真像銘文』註釈版六六一頁など参照)という言葉の使用からも知られるように、「中夏」的世界観の中に生きていたといえましょう。
 『正信念仏偈』の注釈をも施した存覚は、『正信念仏偈』の偈文の直接の釈ではありませんが、『六要鈔』にて「我朝是神国也」と語り「特別に念じなくとも利益を蒙るゆえ弥陀を念ずれば必ず諸仏・菩薩の冥護を得る。その垂迹である天神・地祇も本地の聖慮と違うわけではない。」(宗祖部四一八頁、和訳六要鈔四一一~四一二頁)と釈していましたから、西吟や知空の釈にて、「日神」(天照太神)との観念的な位置関係から「日域」が解釈され、普門に至ると「日本神国は仏法流布する大乗相応の地なり」(『發覆』二四四頁)と釈されるも当然の帰結でありました。
 親鸞における「中夏日域」という「中夏」的世界観から、「支那皇和」という「皇和」的世界観への移行が知られます。(二藤京「比較文学の視点から見る「日本」―『日本書紀』と『日本書紀纂疏』を中心にー」、『高崎経済大学論集』第四八巻第三号、二〇〇六年、参照)
by jigan-ji | 2016-09-14 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[233]     2016年 09月 13日
 補遺[185] 「中夏」的世界観から「皇和」的世界観への移行 ①

 正信偈講読[23](2013年7月28日)、正信偈講読[172](2016年1月14日)の、「印度西天之論家 中夏日域之高僧」を補足します。

◎印度西天之論家 中夏日域之高僧
 「印度西天之論家」以下「唯可信斯高僧説」までの七十六句は、七高僧の業績にもとづいて讃えられる「依釈段」です。
 西吟は「此れより以下七十六句は略して七祖弘法の勝徳を挙げて、人をして今、此の念仏は祖祖相承して臆説に出でざるを知識せしめて、而して転た信心を生ぜんと欲す。故に下に結して大士宗師無辺の衆生を拯済すと云ひ、又己れを隠して化功を彼に推つて、唯可信斯等と云ふなり。凡そ文を分つに三有り。一に印度以下の四句は略して三朝高祖の弘化を標す。二に釈迦以下の六十八句は正しく七祖の徳化を釈す。三に弘経等の四句はこれ結勧なり。」(『要解』巻三・一丁右~左)と釈しています。
 まず、依釈段の最初の四句は総じて三国の七高僧を讃じます。「印度西天之論家 中夏日域之高僧」は【現代語訳】に「インドの菩薩方や中国と日本の高僧方が」とあります。
 西吟は「始め略標の中に印度等の両句は列祖所生の国名を挙げ、次の両句は其の所勧の法の勝ることを示す。」(『要解』巻三・一丁左)と釈しています。
 「印度」とは、インドを指します。もとペルシャ人が東方に海のような大河(インダス河)があったことから、その地方をインド(海)とよんだので、それが国名になったといわれます。
 「西天」は、インドは中国の西にあり、天竺ともいわれているので西天ともいわれました。西吟は「西天は五夭の中の西天には非ず。然る所以は、此の二菩薩は南北の両天に生ずるが故に(割注略)今は彼の地震旦より西方に当たるを以ての故に総じて五天竺を指して西天と云ふなり。」(『要解』巻三・三丁右)と釈し、恵然は「西天は東漢に対するなり。」(『句義』二九二頁)と釈し、隨慧は「西天とは五竺中の西を指に非ず。只是支那皇和(神聖な日本国の意・池田注)の西にあり、故に西天と云ふ。」(『説約』七六頁)と釈し、仰誓は「西天は西方天竺の略語。勦(月筌『勦説』二一頁)の「西方の天涯」は穏やかならず。軌(若霖『文軌』四八頁)に云ふ。「五竺中の西を指すに非ず。只是れ支那皇和の西に在るが故に云ふなり」」(『夏爐』一三七頁)と釈し、僧鎔は「天は天竺の略語。西方天竺と言ふごとし」(『評註』一五頁、観道『慶嘆』三八〇頁)と釈しています。『玄義分』には「「仏」といふはすなはちこれ西国(印度)の正音なり」(七祖篇三〇一頁)、「教文類」には「西蕃・月支の聖典」(註釈版一三二頁)とあります。
 「論家」とは、西吟は「論家とは龍天各々多く論を作りて化を五夭に張る、故に二大士を指して論家と云ふなり。」(『要解』巻三・三丁左)と釈し、僧鎔は「論を造りて一家を成す」(『評註』一五頁)と釈しています。論(経・論・釈の論を指す)を作った人の意で龍樹と天親を指します。
by jigan-ji | 2016-09-13 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[232]     2016年 09月 07日
 補遺[184] 「弥陀仏本願念仏」②

 正信偈講読[22](2013年7月27日)、正信偈講読[171](2016年1月13日)を補足します。

◎弥陀仏本願念仏
 さらに西吟は「弥陀仏本願念仏」の「念仏」を、次のように釈しています。

 念仏に四種(疏抄の三に出たり・注)有り。一には称名、二には観像、三には観想、四には実相。称名とは口常に仏名を唱ふるを称名と云ふ。観像とは謂く、尊像を設け立てて目を住して観瞻すべし、法華に云ふ如く、起立合掌して一心に仏を観れば、即ち相好光明現在の仏を観るなり。優填王(「三宝感應録の上に出たり」知空『助講』二十九丁右)のごとく栴檀を以て世尊の像を作れば、即ち泥木金銅鋳造の仏を観る。故に観像と云ふ。観想とは、謂く、我が心眼を以て彼の如来を想ふ。即ち十六観等所説これなり。実相とは、即ち、自性天真の仏を念ずれば生滅有空能所等の相無く、言説の相を離れ、名字の相を離れ、心縁の相を離る。これを実相と名づく。この四は同じく念仏と名づくと雖も、前は浅く、後は深し。持名は初門に在りと雖も、その実は意無尽を含む。故に当家の意初めを取るを要と為す。(『要解』巻二・六十一丁左~六十二丁右)

 西吟は「弥陀仏本願念仏」の「念仏」を「一には称名、二には観像、三には観想、四には実相。」と明かし、「この四は同じく念仏と名づくと雖も、前は浅く、後は深し。持名は初門に在りと雖も、その実は意無尽を含む。故に当家の意初めを取るを要と為す。」と、即ち行業としての「念仏」とは「称名」であると述べています。
 その後、慧琳になると「特にここに弥陀仏本願念仏と標するは、教文類に「斯経大意者。弥陀超発於誓。広開法蔵。致哀凡小選施。功徳之宝。初二十句 釈迦出興於世。光闡道教。欲拯群萌恵以真実之利。次十二句 是以説如来本願為経宗致。即以仏名号為経体也。後四句 」といふに冥符す。」(『帯佩』五〇三頁)と釈しています。
 即ち慧琳は、「弥陀仏本願念仏」の「念仏」を、行業としての「念仏」と解釈するのではなく、「斯経大意」と「冥符す」と、信ぜられるものとしての念仏の教えと解釈しています。
 金子大栄は「弥陀仏本願念仏の句、その語は『易行品』の阿弥陀仏本願如是(三経七祖部二五九頁、七祖篇一五頁・池田注)に依られたとしても、その意は、上の唯説弥陀本願海を承けられしものと見るべきであろう。」(金子『正信偈講読』一五八頁)と述べています。
by jigan-ji | 2016-09-07 01:02 | 聖教講読