浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
カテゴリ:聖教講読( 218 )    
正信偈講読[219]     2016年 07月 29日
 補遺[171] 「異端」から「伝統」へ

 碧海寿広は、当初「異安心」視された清沢満之が、その後の宗門において、どのようなプロセスを経て「異端」から「伝統」として語られていくことになったのかについて、次のように述べています。

 以上、宗門内における清沢論の変容を概観してみた。一貫して見て取れるのは、(清沢満之に対する・池田注)崇敬的な言説と教学的なそれとが常に共存しながら進展してきたということだが、戦後になると、そこに教団史的な観点からの言説が加わっていく。そして、一九七〇年代の寺川(寺川俊昭・池田注)による仕事において、崇敬(崇敬の態度・池田注)・教学(教学の系譜・池田注)・教団(教団の歴史・池田注)という、三つの趣向のすべてが総合されて言説化されたといえるだろう。それは、はじめは宗門における「異端」であった清沢が、宗門に「近代」をもたらした「伝統」として語られるようになっていく過程として理解可能であると思われる。(碧海寿広『近代仏教のなかの真宗』二〇一四年、三七頁)

 碧海の指摘する、崇敬(「崇敬の態度」)・教学(「教学の系譜」)・教団(「教団の歴史」)という、三つの趣向のすべてが総合され言説化されることによって、言い換えれば、「清沢に対する崇敬の態度と、清沢に端を発する教学の系譜が、真宗大谷派という教団の歴史に関する語りのなかにも定着」(『同上』三四頁)することによって、かつて「異安心」視された清沢満之が、「異端」から「伝統」として語られてきたとの指摘は大変興味深く思います。
 『教行信証』の三序(総序・別序・後序)を取り上げるまでもなく、一般に書籍の「まえがき」や「あとがき」に記される謝辞は、恩師や先輩への単なる感謝の言葉ではなく、碧海の指摘する「崇敬の態度」「教学の系譜」「教団の歴史」(宗門外では教学を学問、教団を学会と読み替えればよいかと思います)という三つの趣向に合致した、自らの学問的正統性の主張でもあります。
by jigan-ji | 2016-07-29 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[218]     2016年 07月 27日
 補遺[170] 「本当の解釈」について

 宗学では「無明」を「疑無明」と「痴無明」にて解釈してきました。この「疑無明」と「痴無明」という二種を立てた「無明」の解釈に対して、星野元豊は次のように述べています。

 ここの偈(摂取心光常照護~雲霧之下明無闇・池田注)は先輩の解釈にたよることなく、素直に読み、素直に理解することをすすめたい。そうするとここに一つの問題点に出会う。すでに無明の闇が破られて、摂取の光明に照護されているのである。にも拘らず煩悩のはたらきは残存している。無明が破られれば煩悩はなくなるはずである。にも拘らず煩悩がはたらくということは矛盾ではないか。理屈としては明らかに矛盾である。しかしこの矛盾の事実が、現に信心の事態にあっては存在するのである。この矛盾の事実を徒に理論によって解釈しようとしてはならない。この矛盾の事実を何んとか合理的に解釈することは事実を曲げるおそれがある。矛盾の事実を素直に認め、この矛盾が事実として成立している以上、この矛盾の事実の成立の構造を明らかにすることに努めるべきである。それが本当の解釈というものであろう。先輩の多くはこれを概念的にとりあげて対象論理的に合理的に解釈しようとしている。しかし理論的合理的に解釈出来ないものを合理的に解釈しようとするところに無理な概念の遊戯があるのである。それではわたくしはこの矛盾の事実を素直にみつめ、その成立構造を解明しようと思うが、煩雑になるため、別巻にゆずることにしたい。(早急には拙稿「不断煩悩得涅槃の論理」(龍谷大学論集第四〇〇・四〇一合併号昭和48・3 参看)。(『講解 教行信証 教行の巻』四一九頁) 

 無明とはものの道理のわからないことを指す、宇宙の根源である真如を真如と知らないことを根本無明という。ところで解釈者によれば、大体三つに区別される。第一は、煩悩を総じて無明というばあい、第二には、三毒の煩悩の中の愚痴をとくに無明というばあいと、第三には浄土宗ではとくに疑無明といい、仏智の不思議を疑うことを無明といっている。それでここで無明といわれているのは疑無明の意味であると先輩は解釈している。しかしわざわざ疑無明などと限定する必要はわたくしには感ぜられない。ものの道理に暗いことが迷いの根本であり、煩悩のもとであるからである。そして疑いもまたそこに由来するであろうからである。疑無明も解釈として誤っているのではないが、わざわざ疑無明と限定しなければならぬ理由はどこにもないであろう。先輩のうちにはものの道理に闇いのを痴無明としてこれを疑無明と区別し、すでに疑無明の闇は破られたけれども煩悩があるかぎり痴無明はなお存する。それを已能雖破無明闇貪愛瞋憎之雲霧常覆真実信心天といったのであると解釈しているが、これは上にのべたように現生における信の矛盾的事実を直視しない解釈のための解釈といわざるを得ない。それならば痴無明と疑無明との関係はいったい如何なる関係にあるのか。仏智を明らかに信ずるということは痴無明が他力によって破られているからである。そこでは無明はすべて破られているのである。にも拘らず煩悩が存するという信仰の矛盾的事実、この厳しい矛盾的事実をまともにどこまでも見つめることなく、これを単なる概念的な解釈で解決してすまそうとするところにこのようなことがいわれてきたのではなかろうか。(『講解 教行信証 教行の巻』四二〇~四二一頁)
by jigan-ji | 2016-07-27 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[217]     2016年 07月 23日
 補遺[169]

 慧雲(1730~1782、浄土真宗本願寺派の学僧)は「五種の嘉誉」を諸註に依って法喩を合釈して、次のように明かしています。

  導疏(「散善義」七祖篇五〇〇頁・池田注)に五種の嘉誉を挙げる。今、諸註に依って、法喩を合釈す。
  好人 好潔不染の徳。清浄の願心、貪瞋に汚れずが故に。
  妙好人 香気普く薫ずる徳。大悲伝化、常行大悲の故に。
  上上人 柔軟可愛の徳。触光柔軟、諸尊重愛の故に。
  最勝人 華中最勝の徳。至徳具足、便同弥勒の故に。
  希有人 人中奇瑞の徳。難中の難、斯の難に過ぎたるは無し。
  (慧雲『正信念仏偈呉江録』、『真宗全書』第四十巻四九八~四九九頁)
by jigan-ji | 2016-07-23 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[216]     2016年 07月 22日
 補遺[168] 正信偈講読[156](2015年10月23日)を補足します。

 観道(1752~1822、浄土真宗本願寺派の学僧)は『讃阿弥陀仏偈』(七祖篇一六一頁以下)に拠って、十二光を次のように解説しています。

 〇無量とは、仏光限量無き故に。偈に曰はく。智慧の光明はかるべからず 亦他に数量を離れしむ故に。偈に曰はく。有量の諸相、光暁を蒙る 〇無辺とは、處として遍ぜざるは無き故に。偈に曰はく。解脱の光輪限際無し 亦他に二邊離れしむ故に。偈に曰はく。光觸は蒙る者は有無を離る 〇無礙とは、雲の如く、空の如き故に。偈に曰はく。光雲無礙にして虚空の如し 亦他に有礙を離れしむ故に。偈に曰はく。一切の有礙光澤を蒙る 〇無對とは、餘光対を絶す故に。偈に曰はく。清浄の光明は対ぶものあることなし 亦他に障りを除かしむ故に。偈に曰はく。遇斯光は業繋を除く 〇炎王とは、威輝自在の故に。偈に曰はく。仏光照耀すること最大一 亦他に黒闇を啓せしむる故に。偈に曰はく。三塗の黒闇光啓を蒙る 〇清浄とは、道光清浄の故に。偈に曰はく。道光明朗にして色超絶したまえり 亦他に貪垢を洗わしむ故に。偈に曰はく。光照を蒙れば罪垢除く 〇歓喜とは、慈光はるかに被らしめる故に。偈に曰はく。慈光はるかに被らしめ、安楽を施したまふ。亦他に瞋悩を転ぜしめる故に。偈に曰はく。光の至るところ處法喜を得 〇智慧とは、仏光闇を破す故に。偈に曰はく。仏光よく無明の闇を破す 諸仏三乗嘆ずる故に。偈に曰はく。一切諸仏三乗衆、ことごとくともに嘆誉したまへり 〇不断とは、一切普く照らす故に。偈に曰はく。光明一切の時にあまねく照らす 亦他に心断えざらしむ故に。偈に曰はく。聞光力の故に心断えず 〇難思とは、光測量無きが故に。偈に曰はく。其の光仏を除いてよく測るものなし 諸仏嘆称の故に。偈に曰はく。十方諸仏往生を嘆じ、その功徳を称したまへり 〇無称とは、神光、相を離れる故に。偈に曰はく。神光、相を離れたれば、名づくべからず 光によりて成仏するが故に。偈に曰はく。光によりて成仏したまへば、光赫然たり。諸仏の嘆じたまふところなり 〇超日月光とは、この倫を絶する故に。偈に曰はく。光明照曜すること日月に過ぎたり 仏嘆したまふも尽きないが故に。偈に曰はく。釈迦仏嘆じてなお尽きず (観道『正信念仏偈慶嘆録』、『真宗全書』第四十巻三六二頁)
by jigan-ji | 2016-07-22 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[215]     2016年 07月 16日
 補遺[167] 「文字をもて詮顕する仏法」

 『教行信証』「信文類」の字訓釈・法義釈(註釈版二三〇頁以下)は有名です。江戸時代の宗学の方法論は字句の注釈や解説を主とし、「文字を以て詮顕する仏法」という仏法理解であったようです。
 徳龍(1772~1858、真宗大谷派の学僧)は『正像末和讃』「自然法爾章」(註釈版六二一頁)の「獲得名号」を釈すにあたって、「文字」について、次のように述べています。

 さて祖師聖人の御製作には、よりより此の六字の字の御沙汰あり。なかんずく広文類の三心釈においては、更にいかなる儒家の達人も考え得ざるの御字訓ありて、ただこれを御己証御己証と申さるることなり。しかれども我が宗でこそは御己証といへば誰も難を云ふものはなけれども、又、他宗の人が、他流の人からは、文字の義を知らぬ註などといふまじきにあらず。いずれ文字をもて詮顕する仏法なれば、文字のことは心得居らねばならぬ事なり。其の大体を申せば、先つ文字と云ふは、口に述ぶる言が形に顕はれたが文字なり。於中、天竺の文字は悉く曇と申して、わつか三十六の體文と、十二の摩多の體畫にて、それを合せ合せて若干の文字を生じ、摩多體文の義理さへも明かなれば、梵語の道理か明かなると申すが天竺の文字なり。さて唐土に於ては、象ある文字を作りて、その文字の義の相だに義が付て、更に余の字と紛れぬやうにして、一切の義を通ずるが唐土の文字なり。その唐の文字は、彼の蒼頡、始めて文字を作るとありて、種々の説ありて、何を申すも文字の作り初めがなければならぬ。その文字は何によりて作りしぞと申せば、古の聖人、天地人の三才の道理に達して、仰いで見れば日月星辰羅列し、伏して地を見れば山河大地草木、みな己れ己れが有様をもて、天地の道理分れてある處に、生るものは有情なれども、虫けらの類は声は、出せども何のわけと云ふことは知らず。人間には格別の智慧があるによりて、その声を聞て義を知る。その声と義とを違はぬやうに、これを筆に記す處をもて、これを文字と名つくるわけなり。これに依りて、文字の一々の字體に連れ、一々の文字の義に達すれば、あらゆる處の書は、皆明らかになると申すが、伏義神農黄帝堯舜。みなこの文字をもて伝へ玉ふ。この文字を知るものならば、一切万国いかやうにその代を移しても、約束の文字の道理の違ふと云ふことのなきか。これ文字の徳なり。その文字の製する處をもて、法を定めて六書と申して、文字の作りやう、又文字のつかいやう、一々の文字の約束の違じゃさるやうに、これを伝ふるなり。それ故に天竺の梵語は、更にわけの分からぬやうなれども、一々翻訳して唐の文字に写せば、即ちこの南閻浮提はいふに及ばず、如何なる諸仏の浄土にても、この道理が行き渡る故、あらゆる経文、みな悉く文字より義理を生ず。祖師聖人は、別して文字の道理に御くわしき御方ゆへに、時々にはこの文字の註を明かに述べ玉ふなり。(徳龍『正像末和讃講義』、『真宗全書』第四十三巻一九八~一九九頁)
by jigan-ji | 2016-07-16 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[214]     2016年 07月 15日
 補遺[166] 「自然法爾」解釈について(3) -新たな「自然法爾」解釈-

 岩田文昭は、その著『近代仏教と青年-近角常観とその時代-』(二〇一四年八月二十八日)にて「三木清の宗教哲学」に言及し、三木は「ニーチェ的課題」を東洋的「自然」主義への批判として捉えなおし、「無常感」ではなく「罪悪感」を問題とした親鸞を自然批判の先駆的な宗教家として位置づけ、親鸞の「無戒」の思想に新たな「形」の創造の可能性を認めようとしたと、次のように述べています。

 ニーチェがヨーロッパの価値規範の根拠を問うたとき、キリスト教の問題に向き合わざるをえなかった。ニーチェのニヒリズムは歴史的系譜を問うからである。ニーチェがキリスト教を問うのに対して、三木は日本の価値規範の根底にあるものを「自然」と見なし、それを批判していく。三木が「ニーチェ的課題」について述べるようになったのは、「人間再生といふヒューマニズムの根源的要求」という観点からである。その課題の具体的内容は、「東洋的人間の批判」ということになる。西洋思想の価値の根底を問うたニーチェの思索を、三木はこのような形で受け取りなおしたのである。(中略)ニーチェ的課題を一般的に解せば、そこに二つの側面が考えられる。西洋の価値規範の根拠が問われる側面と日本の価値規範のそれが問われる側面である。三木は、そのうちで前者を問題にせず、後者の日本の価値規範の根底を問いに付す。三木は、ニーチェ的課題を東洋的「自然」主義への批判として捉えなおすのである(「ヒューマニズムへの展開」)。 / この問題と自覚的に取組み、東洋的「自然」と激しく格闘することが我々の問題でなければならぬ。この問題の自覚は、伝統的な自然主義への無意識的な妥協がつねにあまりに多く存在する事実に鑑みて、特に重要である、「神は死んだ」、とニーチェは西欧において叫んだ。我々は東洋において同様に「自然は亡びた」と叫ぶべきであらうか。(三木12:二二九―二三〇) / (岩田文昭『近代仏教と青年-近角常観とその時代-』二四八~二四九頁)

 三木は、親鸞が無常について述べることが少ないことに注目する(三木18:四二七-四二九)。三木はこう述べる。一般に仏教は、諸行無常の自然的な感覚を、諸行無常に関する徹底した智慧にまで深めようとするものだといえる。しかし、親鸞は無常の思想にとどまることはできなかった。なぜなら、無常の思想は、美的にしろ哲学的にしろ、「観想」に結びつくものであり非実践的だからである。親鸞は、実践的であり倫理的であるがゆえに、「罪悪感」を問題にしたのである。「親鸞においては無常感は罪悪感に変わってゐる」(三木18:四二九)のである。三木のいうニーチェ的課題とは、伝統的な自然主義への対峙であり、自然的な感覚に立脚しなかった親鸞は、自然批判の先駆的な宗教家として位置づけられることになる。自然批判の先例を親鸞に求めた三木は、親鸞の「無戒」の思想に新たな「形」の創造の可能性を認める。「無戒」とは、たしかに戒の規範がなく、倫理的根拠がないことを意味している。三木自身の言葉を借りれば、人間が倫理的根拠を欠いた「虚無の存在」であり、「虚無」においてある状態である。また「戒」を直接的な根拠にした救済は不可能である。ところが、三木からすると、親鸞は「虚無の存在」であることを捉えなおし、歴史的自覚をもった新たな人間のあり方を提起したことになる。三木は「形」の不在を問題視し、その生成のあり方を模索していた。さらに、「不定なもの」の根拠が不在であることを自覚化していた。現在の日本において神や仏にただちに帰依することは困難である。また、あるがままの「自然」を讃嘆することはできない。ニーチェが西欧で神に対峙したように、このような問題意識をもちつつ日本の伝統に向き合おうとしているとき、「無戒」を積極的に解釈する武内(武内義範・池田注)の親鸞論に三木は出会い、それを自身の思索に取り入れたのである。そして、武内がいまだ主題的に論じていなかった「浄土真実」の箇所にまでその論を延長し、さらに現世での社会生活のありようを歴史的現実に即応した仕方で論じようとしたのが、遺稿「親鸞」である。(『同上』二六七~二六八頁)

 岩田の「三木のいうニーチェ的課題とは、伝統的な自然主義への対峙であり、自然的な感覚に立脚しなかった親鸞は、自然批判の先駆的な宗教家として位置づけられることになる。」との指摘は、極めて重要です。なぜなら、三木が遺稿となる「親鸞」を書き続けていた同じ時期、いわゆる戦時教学においては、次のような「自然法爾」解釈がなされていました。

 わが真宗は本願も自然であり、信仰も自然であり、証悟も自然である。一言にして尽すならば、自然法爾の道理をもつて、その本質とするものなることは、上来の所述によつて、ほぼ明らかなつたと思ふ。然るにこの自然法爾の道理は、単に真宗なる一宗教の本質をなすに止まるが如き、局限された道理ではなく、これは実に宇宙に遍満する一大真理であつて、それがたまたま「宗教」の態として親鸞聖人によつて開顕されたのである。而してまた、この一大真理は、「国体」の態に於いてわが日本国に顕現してゐるのであつて、そのことは已に述べた「神ながらの道」の本質を、ここに想ひ合わすならば、誰しも容易に気付きうるところであらう。(中略)自然法爾の道理が「教」として顕現せるものが真宗とするならば、「国」として展開せるものが日本国であるといふことが出来ると思ふ。(普賢大圓『真宗の護国性』昭和十八年八月十八日、一三八~一四二頁)

 (一)願力廻向―自然随順
 親鸞聖人によれば衆生の往生浄土の全過程たる教も行も信も証も、更に還相摂化の非用も、すべては如来の願力より廻向されたものなのである。(中略)すべてを如来の願力廻向と仰ぐものは、自らのあらゆる計ひをうち離れ、己を空しふして如来の本願にまかせ切らざるを得ない。聖人はかかる境地を願力自然なる語で顕してゐられる。かの『自然法爾章』に、(中略)と云はれてある自然法爾の心境は、全くこれに外ならぬ。この自然法爾なる用語は人間の本能生活をほしいままにする自然主義の自然と誤解されることもあるがそれは決してそういう意味ではなく、自然主義を廃したることは勿論、廃悪修繕を立場とする自力的な理想主義をも越えて如来の願力に随順せる世界を指す言葉なのである。されば聖人の自然法爾とは、衝動のままに勝手に振舞ふといふことでもなく、なるがままにまかせて置くといふことでもない。さればと云つて自力の作善を救済の条件とするのでもない。あらゆる人間の小さなはからひを離れて如来の大きな御はからひにまかせきつた絶対安住の心境をいふのである。我が国は現人神たる 天皇の治しめし給うふ神国である。ここにすべてを御稜威と仰ぐ国民感情が存在し、その自爾の展開として、上御一人に対する絶対随順と国家に対する絶対信頼の情とが生まれて来る。『十七条憲法』第三条の承詔必謹の聖訓、多くの古典に現はれてゐる「神ながら言挙げせぬ国」等の表現はすべてかかる国民感情の発露に外ならぬ。(戦時教学指導本部『皇国宗教としての浄土真宗』昭和十九年、五~七頁)

 さらに岩田は三木の遺稿「親鸞」に言及し、三木の「宗教哲学」は神や仏の存在を仮定したうえで、「末法という歴史的状況の中での社会的倫理の再構築を図り、さらに、信心を獲た人の生のあり方を論じている点は、パスカル論と同じ哲学的方法である」と、次のように述べています。

 三木の関心は「無戒の思想」が社会生活にいかに関わるかという点に向けられており、その点、武内(武内義範・池田注)の著作にない面を論じようとしている。遺稿「親鸞」のメモは、最終章において「社会的生活」を論じている。「親鸞」は未完に終わっているため、その内容は十分に整備されてはいないが、その関心の方向は明確である。そこでは、無戒という末法時における社会生活のあり方が論じられようとしている(三木18:四九〇-五〇〇)。末法時における仏法は、念仏であり、それが同朋主義・兄弟主義の根拠となることを述べる。「同朋同行主義は念仏は弥陀廻向のものであるといふところにその超越的根拠をもつてゐる」(三木18:四九二)。さらに、無戒の時代には世間の法が重んじられることを強調する。「世間の生活から遊離することなくして仏法を行ずるといふことに無戒といふことの積極的意義がある」(三木18:四九三)。そして、迷信を廃することを強調し、ある種の宗教批判を試みている。注意しなければならないのは、三木はニーチェとは違い、神や仏の存在そのものの成り立ちを問題にはしていない点である。価値規範の根拠を問い、「無戒」を問題にし、また現実の社会や宗教の批判をしてはいるものの、その超越的根拠、遺稿「親鸞」の表現にしたがえば、「弥陀廻向」あるいは「教法の根拠」(三木18:四五二)の有無を問うてはいないのである。現在残っている遺稿の中で三木が述べている社会的倫理は、その内容そのものにかぎれば、それほど特別なことを述べているわけではない。しかし、哲学者としての方法に関しては、注目すべき点がある。末法という歴史的状況の中での社会的倫理の再構築を図り、さらに、信心を獲た人の生のあり方を論じている点は、パスカル論と同じ哲学的方法である。三木の宗教哲学は、たんに神や仏の存在を要請するとかそれに賭けるとかにとどまることなく、その存在を仮定した上での宗教生活までも射程に入れているのである。(『同上』二六八~二七〇頁)

 以上、親鸞を自然批判の先駆的な宗教家と位置付け、かつ、神や仏を仮定した上で宗教生活までも射程に入れているという岩田の三木評価は、 「時代(歴史・池田注)と人びと(私・池田注)を教化する」視点からの、新たな「自然法爾」解釈に有意義な示唆を与えるものに思います。
 それは、戦時教学のように「真宗」(宗教・池田注)と「国体」(国家・池田注)とが「自然法爾の道理」において「不離一体」となることもなく、時の権力の立場での「教化」に与することもない「自然法爾」解釈です。(了)
by jigan-ji | 2016-07-15 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[213]     2016年 07月 12日
 補遺[165] 「自然法爾」解釈について(2) -社会思想史的な評価-


 森龍吉は「「自然法爾」消息の成立について」(『森龍吉著作選集-森龍吉・人と思想-』昭和五十七年八月二〇日、初出『史学雑誌』六〇編七号、昭和二六年)にて、次のように述べています。(以下、要約)

 いわゆる「自然法爾」消息は古代的社会から中世的社会への変革の途上に、この変革に対応した宗教思想の改革をもっとも純粋な形で表現した親鸞が最後に到達した境位を端的にあらわした法語である。信仰集団は権力より弾圧をうけると、信仰集団内に分裂と偏向が生じる。その偏向は異解として「造悪無碍」と「賢善精進」という二つの類型をもってあらわれる。「造悪無礙」はいわば主観的な冒険ゆえに、「賢善精進」は他力性の解消ゆえに、ともに他力念仏集団の保衛の上で危険な偏向である。「自然法爾」の消息は「造悪無碍」「賢善精進」という二つの異解の克服を、善鸞の異解が復権しようとした「他力の中の自力」として、自力聖道へ他力念仏を解消しようという偏向を批判するとともに、念仏の呪術化の徹底的排除によって、力づよくおし進めている。その間、力点をおいて強調された思想が「無義為義」「諸仏等同」「自然」であった。「自然法爾」の消息は、古代的宗教意識について妥協を許さないという「廃立の自証」、念仏集団の「保衛の体験」、念仏集団内部の「偏向の克服」という、三つが建長七年から正嘉元年の善鸞異解事件の曲折のうちに確認され、この確認を信仰と思想の上に基礎づける論理の必要を痛感したのちに、正嘉二年の末表明された、まさにそれは、親鸞が自ら答える己証であった。「自然」がいわば「唯仏与仏」の知見として、沙汰すべきではないというところに窮通の安定がえられ、諸仏とひとしいという獲信の境位において、古代的宗教意識の否定に確信をあたえ、世俗権力との絶縁の実践をその基抵において支えようとしたものであった。親鸞はその点で造悪無碍、諸仏軽侮についてその偏向的な横行を教誡したが、その本質的な否定を純粋にまもるために、「表裏の策」ではなく「克服の論理」として打出したのが「自然法爾の理」であった。それだけにこの論理は、真宗教団のその後の発展と教学形成の過程の上で、充分に理解されがたい運命におかれてきた。それは神祇不拝、余仏不信の問題が、同時に真宗史を通じての取り扱いになやむ問題であったのと揆を一にしており、日本の歴史における信教の自由の確立の困難につきまとう点景の一つでもある。

 以上に知られる森の「自然法爾」解釈は、森自身の言葉を以ていえば、親鸞の法語を「護教的立場から独断的に聖化され絶対視」するものでなく、「哲学的あるいは文学的立場から随想的にとりあげ」たものでもなく、「親鸞の思想と信仰の社会思想史的な評価」をなそうとしたものです。
 「時代(歴史・池田注)と人びと(私・池田注)を教化する」視点からの「自然法爾」解釈には、字訓の解説や「法悦」レベルでの讃嘆だけでなく、「社会思想史的な評価」も有益に思います。(続)
by jigan-ji | 2016-07-12 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[212]     2016年 07月 11日
 補遺[164] 「自然法爾」解釈について(1) -私と歴史の視点を持した「自然法爾」解釈-

 親鸞の法語に「自然法爾章」があります。『末灯鈔』第五通(『親鸞聖人御消息』第十四通・註釈版七六八頁)、「文明本」『正像末和讃』(註釈版六二一頁)に収録されています。また、高田派専修寺には顕智の書写本が現存し、その後跋に「正嘉二歳戊午十二月 日 善法坊僧都御坊三条富小路の御坊にて聖人にあひまゐらせての聞き書き、そのとき顕智これをかくなり」とあることから、親鸞八十六歳の時の法語を顕智が聞き書きしたものと知られます。なお、「文明本」『正像末和讃』所収本と顕智書写本では、冒頭に「獲得名号」についての解説が施されています(『浄土真宗辞典』)。
 早島鏡正は「「自然法爾」といえば、親鸞思想の総決算としてかれの独創になるもののごとく受けとられるむきもあるが、決してそうではないと思う。わが国精神風土の重要な一側面である一如観を、親鸞が師法然との出会いを機縁とし、念仏信仰の深まりの中で味得して、これを「自然法爾」の世界観として打ち出したと見てよい。」と述べ、「親鸞は師法然が仏願力の世界を「法爾道理」(つねに仰られける御詞。昭和新修法然上人全集、四九三頁・池田注)と示したのをうけて、みずから「自然法爾」と表現し直したのは、おそらく無量寿経下巻の釈尊勧誡段の序分、ならびに浄土の種々の荘厳に「自然」の表現が使われていることに基づくとみてよいであろう。」と述べ、「親鸞が最晩年に到達した「自然法爾」は、師法然の「無義為義」を人びとがとりまちがうであろう過誤を指摘し、そして「仏智の不思議」に帰入すべきことを明かす。それは我執を超えて、苦滅のさとりを得しめるという、仏智の体得者になることをすすめるものであった。」と述べています。さらに「蓮如の教化」に言及し、「蓮如にとって、宗祖親鸞が抱いた自然法爾の法悦、ないしはそれから流露する法語をくりかえすだけでは、時代と人びとを教化するに十分でないと見てとったかもしれない。」と指摘し、「蓮如においては、危機に瀕した本願寺教団を復興するため、かれがなすべきことは、まず第一に「他力の信心」を平易なことばによって、男女老少・貴賤上下を問わず人びとに理解させ、遺弟の念力を結集することであった。そして第二に、「自然法爾」の世界が規範や流義やしきたりにとらわれぬ境地であるから、かかる「他力の信心」を獲得した念仏者の生活に関して、「仏恩報謝」「嗜み」「冥加」「勧化」などを積極的に説いたのである。すなわち、蓮如語録は具体的な念仏生活の種々相を示すことによって、「自然法爾」の世界を会得させようとしたのである。」と述べています。(早島鏡正「精神風土としての自然法爾」、『宗教的真理と現代』一九九三年、所収)。
 早島の「親鸞が最晩年に到達した「自然法爾」は、師法然の「無義為義」を人びとがとりまちがうであろう過誤を指摘し」と「蓮如にとって、宗祖親鸞が抱いた自然法爾の法悦、ないしはそれから流露する法語をくりかえすだけでは、時代と人びとを教化するに十分でないと見てとったかもしれない。」との指摘は重要に思います。なぜなら従前の「自然法爾」の解釈は、その字訓の解説か、「法悦」や「境地」「心境」のレベルでの讃嘆に止まり、「時代(歴史・池田注)と人びと(私・池田注)を教化する」視点、言い換えれば、「私」と「歴史」を持した「教化」の視点からの「自然法爾」解釈は、ほとんどなかったように思います。
 早島は、「師法然の「無義為義」を人びとがとりまちがうであろう過誤を指摘し」と述べていますが、親鸞が危惧したであろう「人びとがとりまちがうであろう過誤」について、具体的には言及していません。
 この「人びとがとりまちがうであろう過誤」について、具体的に言及しているのは森龍吉です。(続)
by jigan-ji | 2016-07-11 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[211]     2016年 07月 05日
 補遺[163] 正信偈講読[23](2013年7月28日)、[172](2016年1月14日)を補足します。

 三国の七高僧を選定する「七祖選定の理由」に、次の四つの理由が挙げられています(『七祖要義』四頁)。

  ①自ら西方往生を願ず。(解行双全)
  ②書を撰して他力の法を弘伝す。(著書弘伝)
  ③法義において発揮するところあり。(発揮各設)
  ④本願の趣旨に相応す。(本願相応)
 以上の四つの条件を満たした高僧を親鸞は七高僧と選定したといわれます。
 なお道隠は七祖選定について、次のような問答を設けています。

 問ふ。在世滅後、念仏弘通す。菩薩・大師甚だ多い。何の所見有って唯七祖を簡び、以て祖と為すや。答ふ。古来三義有り。一に自ら西方往生を願ず。二に書を撰して此の法を弘伝す。三に自ら呼んで本願力と称す。此の三を具して後、宗の祖と為す。宜しき哉、吾祖揀び以て七祖と為す哉。(『甄解』三一八頁)
by jigan-ji | 2016-07-05 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[210]     2016年 07月 04日
 補遺[162] 正信偈講読[20](2013年7月21日)、[169](2016年1月8日)を補足します。

 道隠は「即横超絶五悪趣」を釈して、次のように述べています。

 即横超截等は、正しく正定聚の益を明かす。大経に曰わく「必ず超絶して去つることを得て安養国に往生して、横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ず。」(三経七祖部三一頁、註釈版五四頁)経に当益を明かす故に、必得超絶去等と云ふ。今、現益に約す故に、即の字を加ふ。上の獲信相続の人の所得。故に横超截は願力、五道の因果を断截するを彰す。経に超の字無し(横截五悪趣・池田注)、今、宗家(「玄義分」三経七祖部四四一頁、七祖篇二九七頁)に依って超の字を加え他力を顕す。(『甄解』三一四頁)
by jigan-ji | 2016-07-04 01:02 | 聖教講読