浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
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カテゴリ:聖教講読   
  • 正信偈講読[111]
    [ 2015-05-10 01:02 ]
  • 正信偈講読[110]
    [ 2015-05-09 01:02 ]
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    [ 2015-04-23 01:02 ]
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    [ 2015-04-16 01:02 ]
  • 正信偈講読[103]
    [ 2015-04-15 01:02 ]
  • 正信偈講読[102]
    [ 2015-04-10 01:02 ]
正信偈講読[111]    2015年 05月 10日
 補遺(63) 集ハ八字句、今ハ七言、故ニ之・能・身ノ三字ヲ略ス

 正信偈講読[41](2013年10月14日)を補足します。

◎極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
 「極重悪人唯称仏」以下四句は【現代語訳】に、「きわめて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、煩悩がわたしの眼をさえぎって、見たてまつることができない。しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる」と述べられた。」とあります。
 この四句は、『往生要集』「念仏証拠門」の、「四には、『観経』(意)に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。」(七祖篇1098頁)と、同「正修念仏門」の「雑略観」の「またかの一々の光明、あまねく十方世界の念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまはず。われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ。」(七祖篇956~957頁)の二文を合わせて四句としています。
 なお、『往生要集』「雑略観」の文は「我亦在彼摂取之中煩悩障眼雖不能見大悲無倦常照我身」(三経七祖809頁)とありますが、親鸞は『正信念仏偈』において「我亦在彼摂取中」「煩悩障眼雖不見」「大悲無倦常照我」と、「之」「能」「身」の三字を省略しています。
 これについて恵然は「我亦等は、集雑略観の文。今、かの之能身の三字を略し、七言の偈となす。」(『正信念仏偈會鈔句義』真宗全書第39巻315頁)と、また慧琳は「集ハ八字句、今ハ七言、故ニ之能身ノ三字ヲ略ス。」(『正信念仏偈駕説帯佩記』真宗全書第39巻580頁)と解説しています。
by jigan-ji | 2015-05-10 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[110]    2015年 05月 09日
 補遺(62) 大聖の正意・如来の本誓

 正信偈講読[23]を補足します。

◎顕大聖興世正意 明如来本誓応機
 「顕大聖興世正意 明如来本誓応機」は【現代語訳】に「大聖(釈尊)興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす」とあります。
 「大聖」とは、大聖人の意味で、仏教では仏のこと、特に釈尊を指します。「興世正意」とは、世に興出した正本意の意味で、出世の本意、出世本懐の意です。

 「明如来等」とは、法霖は「明如来等ハ、弥陀如来ノ本弘誓願ハ能ク末代ノ劣機ニ應スト説ク也。本願。本ハ劣機ノ為ニ起ス。宣乎、劣機ニ應ス也。」(『正信念仏偈捕影記』真宗全書第40巻32頁)と釈しています。「如来本誓」とは、阿弥陀如来の本弘誓願という意味で、総じては四十八願、別しては第十八願を指します。恵然は「如来の本誓とは、大悲の宗致、凡夫の即生なり。上の所説の因位の発願これなり。」(『正信念仏偈會鈔句義』真宗全書第39巻292頁)と釈しています。「本誓」は「本願」の意で、すなわち、七祖に一貫するものは選択本願を明らかにされたこととなります。
 「応機」とは、機に相応するという意味で、第十八願は時機相応の教法であることを明かします。この「応機」について、「化身土文類」には、「まことに知んぬ、聖道の諸教は、在世・正法のためにして、まつたく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法、像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまふをや。」(註釈版413頁)とあり、若霖は「応機とは、総じては三時に通じ別しては像末法滅の機に応ず」(『正信念仏偈文軌』真宗叢書第4巻48頁)と述べています。
 この二句について恵空は、「大聖の正意とは、釈迦発遣の本懐也。如来の本誓とは、弥陀招喚の願意也。此則ち七祖の釈義に由って二尊の本意を開き標す。」(『正信念仏偈略述』真宗全書第39巻18頁)と釈し、恵然は「顕大等とは、これ釈尊発遣の正意を顕し、明如来等は、これ弥陀済度の弘願を示す。」(『正信念仏偈會鈔句義』真宗全書第39巻291頁)と釈しています。また、慧琳は「今二句ニ明ストコロ。顕大聖ノ句ハ。釈迦ニ約シテ。出世本懐ハ唯念仏一門ニアルコトヲ顕ハシ。次ノ明如来ノ句ハ。弥陀ニ約シテ。本願ノ正所被ハコトニ悪機ニアルコトヲ明ス。二尊ニ約シテ機ト法トヲ示ス。コレ即上ノ四十四句ニ頌スル大経ノ意。ココニアリ。祖々相継テ。コノ機教相応ノ旨ヲ弘伝スルコトヲ。コノ二句ニ明シテ。コレヲ七祖ノ総讃トスルナリ。」(『正信念仏偈駕説帯佩記』真宗全書第39巻510頁)と釈しています。
 この七祖に一貫する本願の意を、龍樹章は「憶念弥陀仏本願」、 天親章は「光闡横超大誓願」「広由本願力回向」、曇鸞章は「報土因果顕誓願」、道綽章は「一生造悪値弘誓」、善導章は「開入本願大智海」、源信章には本願の語はありませんが「報化二土正弁立」の報土は本願酬報の土、源空章は「選択本願弘悪世」と明かしています(渡辺顯正『正信念仏偈講述』148頁、稲城選恵『正信偈講讃』256頁)。
by jigan-ji | 2015-05-09 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[109]    2015年 05月 05日


 補遺[61] 自然・無功用の能

 正信偈講読[16](2013年7月10日)を補足します。
 「能発一念喜愛心」の「能発」を、恵然は次のように釈しています。

 能発等は、能は愚禿鈔(註釈版539頁)に云く。能の言は、不堪に対するなり。これ過不及の失無きを顕す。発は起こすなり。所発の信に対す。故に能発と曰ふ。これ自力に非ず。故に信巻(註釈版209頁)に云ふ。信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。真心を開闡することは、大聖(釈尊)矜哀の善巧より顕彰せり。(『正信念仏偈會鈔句義』真宗全書第39巻277頁)

 また、法霖は「能発者。有云ク、所発ニ対ス言。此レ恐クハ非。(中略)今謂。能ハ自然ノ義、無功用ノ義。」(『正信念仏偈捕影記』真宗全書第40巻23頁)と釈しています。
 恵然は「能発」といっても「自力」ではなく、「如来選択の願心より発起す」といいます。その理由は、「謹んで祖釈(親鸞の釈・池田注)を按ずるに、如来の因位は如実の心を以て至徳の尊号を成就す。以て衆生に施す。此の至徳の尊号は、至心を体と為す。故に如来の真実功徳を、即ち衆生の真実と為す。然れば則ち施すところの功徳、意業に顕現す。而して虚偽無し。至心と名づく也。」(『正信念仏偈會鈔句義』真宗全書第39巻269頁)から知られます。
 この「如来の真実功徳を、即ち衆生の真実と為す。然れば則ち施すところの功徳、意業に顕現す。」ることを、法霖は「能」は「自然ノ義」「無功用ノ義」であるというわけです。
 以上より、「能発」の「発」は衆生の「意業」の上に発りますが、その「発」を発すのは「自然」「無功用」の「能」であるから「能発」であるというわけです。

「不断煩悩得涅槃」を、大原性実は次のように釈しています。

 仍(スナハ)ち煩悩を断ぜずして証果を得るといふ不断得証の益がこれであります。この不断得証といふことは一般仏教に於ける廃悪修善や、断惑証理の教と対比して味ふとき、一層意味深く感ぜられます、廃悪修善や断惑証理は最後まで自己を恃み、あくまで本能と戦ひてこれを征伏し、善人として生き以て現実に於て解脱者たらんとするものであります。これは雄々しくも勇ましいことでありますが、遺憾なことに人間性の限界を見てゐない、大地を踏みしめてものを見る態度ではありません。これに対して不断煩悩得涅槃の境地はあくまで人間性の制限を認識して居ります、どんなに頑張つても人間は聖者になりきれない、亜聖もあるでしょう、偽聖もないではない、しかしそれは真実に証つた人ではない。そこで、人間が人間のままで救はるる絶対救済がなかつたら、永久に凡夫は迷ひの世界を去ることが出来ない、ここに不断煩悩得涅槃の教の深い意義があるのです。もし人が聖者にならねば救はれないといふことでありましたら、凡夫のためには釈尊の教説は空手形に終るでありませう。
 但しここに注意したいことは、不断といふことは非断といふことと意味が違ふことであります、絶対に断がないのではない、如来の立場に於て悉く衆生の罪業を消滅して下さるのです(法断)。仍(ヨ)つて凡夫の立場からは、断ずるを要しないのです(機不断)。又かうも云へるでしよう、凡夫にとつて断は不可能であるから(自力不断)如来が代つて断じ給ふ(他力断)のであります、これについて法敬房に対する蓮如上人の訓戒は洵に味ふべきものがあります。曰く「一念のところにて罪みな消えてとあるは(他力断)一念の信力にて往生さだまるときは罪はさはりともならず、されば無き分なり、命の娑婆にあらんかぎりは罪はつきざるなり」(註釈版1244頁・池田注)これにて非断煩悩に非ず不断煩悩たるべき旨趣を領解すべきであります。(『正信偈講讃』73~75頁)

 大原は不断=法断=機不断=他力断であるといいます。
by jigan-ji | 2015-05-05 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[108]    2015年 05月 04日


 補遺[60] 「正信念仏」解釈の二説

 正信偈講読[2](2013年6月4日)の「正信念仏」の解釈と、正信偈講読[6](2013年6月16日)、[51](2013年12月20日)の「法蔵説話」について補足します。
 大原性実はその著『正信偈講讃』(昭和12年1月10日)にて「正信念仏偈」という題号について論じ、「正信念仏」については宗学上の解釈には種々の義があり、必ずしも一定していないが、おおよそ二説にまとめて窺うことが出来ると述べています。
 「正信念仏」解釈の二説を、以下に要約します。

 第一説は、「正信と念仏を明かす偈」の意。この場合、正信は傍信、邪信、雑信に対することばで、次第のごとく聖道門、第十九願(浄土門中の邪定聚の機)、第二十願(浄土門中の不定聚の機)の人々の信仰に対して第十八願正定聚の機の真実の信仰を指して正信という。よって信は疑いに対する辭(コトバ)で、念仏とは称念仏名の意で、口に南無阿弥陀仏と称えること。正信が信心正因の義とすれば、念仏は称名報恩に当たる。かくて正信と念仏とは目と足とに譬えられる。正信が如来を正しく認識する眼とすれば、念仏は如来へ向かって進む正しき実践です。(『正信偈講讃』5~9頁)

 第二説は、「念仏を正信する偈」の意。この場合、念仏は『教行信証』における行巻の意で、『大経』の第十七願に誓われた「我名」、成就文の「聞其名号」であり、諸仏称讃の名号を指して念仏という。正信は信心であり、第十八願における三信です。故に、正信念仏とは、第十七願に誓われた諸仏の讃嘆された名号を、疑いなく信ずるという意になります。(『正信偈講讃』9~10頁)

 さらに、大原性実は法蔵説話について、次のように述べています。

 この物語は大無量寿経に出てくるものでありまして、古来しばしばこれは歴史的な事実であるか、或は仮作的神話であるかと云つたことが問題とされて来たことであります。云ふまでもなくこれは人間の歴史、人文史上の事実として詮索するときは、恐らくそのあまりに非合理的、非人間的なことに、何人も嘆息せざるを得ないでありませう。しかし、これは人文史を超えたわれわれの心霊の自覚、菩提心の歴史であると見るとき、その物語りには涯(カギ)りなき深淵が澱み、滾(コン)々として尽きぬ泉の趣きを感得するのであります。尤(モット)もかかる物語りは釈尊の発心成道の物語りにその雛型をとつて居ることを諒解すべきであります。(『正信偈講讃』32~33頁)

 大原は法蔵菩薩の「物語り」は「歴史的な事実」ではなく、「心霊の自覚」「菩提心の歴史」であるというわけです。
by jigan-ji | 2015-05-04 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[107]    2015年 04月 28日

  浄土宗宗務庁発行『勅修御伝 法然上人行状絵図』(昭和45年7月10日)

 原尾悟編『きりしたんの殉教と潜伏』(2006年12月1日、教文館)

 補遺[59] 「殉教」について

 正信偈講読[105][106]を補足します。

 親鸞は「承元の法難」で流罪になりました。この時のことを『教行信証』「後序」に、「真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。」(註釈判471頁)と記しています。さらに、『歎異抄』「後序」には、「法然聖人ならびに御弟子七人、流罪。また御弟子四人、死罪におこなはるるなり。」(註釈版855頁)と記されています。
 この『教行信証』や『歎異抄』の記述は、「死罪」や「流罪」についての、客観的な事実の記述です。しかし、その後、「承元の法難」の「死罪」について、『法然上人行状絵図』(徳治2[1307]年から約10年の歳月をかけて作ったというのが定説とされている)には、次のように述べられています。

 六条川原にして安楽を死罪におこなはるゝ時、奉行の官人にいとまをこひ、ひとり日歿の礼讃を行ずるに、紫雲そらにみちければ、諸人あやしみをなすところに、安楽申けるは、念仏数百遍のゝち、十念を唱へんをまちてきるべし。合掌みだれずして、右にふさば、本意をとげぬと知るべしといひて、高声念仏数百反のゝち、十念みちける時きられけるに、いひつるにたがはず、合掌みだれずして右にふしにけり。見聞の諸人随喜の涙をながし、念仏に帰する人おほかりけり。(『勅修御伝 法然上人行状絵図』第33巻「上人流罪」、224~225頁)

 また、覚如が制作した法然の伝記『拾遺古徳伝』(1323年)には、次のように述べられています。

 善綽房西意(摂津くににして誅す。佐々木判官[実名しらず]が沙汰と云々)・性願房・住蓮房・安楽房(已上近江のくにむまぶちにして誅す。二位の法印尊長が沙汰と云々)已上死罪、四人。このひとびと誅せらるるとき面々に不可思議の奇瑞をあらはす。あるひはながれいづるところの血より青蓮華出生す、あるひはくびおちてのち合掌をあらためて念珠をくること百八の念珠をもて三遍と。云々 あるひはかうべよりひかりをはなて、おつるところのくび高声念仏十餘遍これをとなふ、あるひはくちより蓮華出生す。種々奇特のことらありけりとなん。(『拾遺古徳伝』巻七、『真宗聖教全書』歴代部737~738頁)

 『法然上人行状絵図』は「死罪」がおこなわれたことを、「見聞の諸人随喜の涙をながし、念仏に帰する人おほかりけり。」と記しています。さらに、覚如は「このひとびと誅せらるるとき面々に不可思議の奇瑞をあらはす。」と記し、「不可思議の奇瑞」を具体的に記しています。
 すくなくとも『法然上人行状絵図』や『拾遺古徳伝』の立場は、時の権力から弾圧を受けた側に立って、言い換えれば、「死罪」を誅せられた側に立って、「死罪」の意味付けをしていることが知られます。つまり「承元の法難」での「死罪」は、決して「犬死」ではないとの意味づけです。
 しかし、自ら「死罪」「成敗」を求め、「死罪」「成敗」を受け入れる論理があります。それが「殉教」の論理です。
 時代は下りますが、浦上(長崎市)のカクレキリシタンは殉教を勧めた文献を伝存してきました。その文献が、寛政2年から7年(1789~1800)の浦上一番崩れ(キリシタン捜索)の際に長崎奉行所に没収され『耶蘇教叢書』として伝わっています。それには「マルチリヨノ勧メ」「マルチリヨノ心得」「マルチリヨノ鑑」が収められ、当時、キリシタンの間にはマルチリヨ(殉教)が勧められていたことが知られます。「マルチリヨノ心得」は、次のように述べています。

 十三、キリシタン成敗ノ時、他所ヘ落[チ]行キ、カクレ忍[ブ]コト不苦トハ雖[モ]、人有[リ]テ丸血留ノ望[ミ]ニモヘ立[チ]、勧[メ]出[デ]テ害セラレハ、是即[チ]勝レタル丸血留也。故ニ其[ノ]徳モ甚重[キ]也。故ヲ如何ニト云[フ]ニ、有[ラ]ユルコトノ中ニ、第一捨[テ]難キ命ヲ、自油ノ上ヨリイサミ悦[ン]テデウスニ捧レバ也。(原尾悟編『きりしたんの殉教と潜伏』103頁)

 「マルチリヨノ心得」は、キリシタンが「成敗ノ時」、つまり処刑されるとき、他の場所に逃げたり、隠れたりすることは、苦しからずといいます。親鸞も「そのところの縁尽きておはしまし候はば、いづれのところにてもうつらせたはひ候うておはしますやうに御はからひ候ふべし。」(註釈版773頁)と述べています。
 さらに「マルチリヨノ心得」は、もし殉教の希望に燃え立ち、自分から進んで処刑されれば、それは優れた殉教であり、その徳も極めて大きい。なぜなら、あらゆることの中で一番大切な命を、自由意志で喜んでデウスに捧げたからである、と言います。
 親鸞はここまでは言っていないように思います。親鸞は弾圧される側に立って、「死罪」や「遠流」を解釈することはあっても、弾圧される側で「死罪」や「遠流」を他人に勧めることはなかったように思います。
 「マルチリヨノ心得」は、「有[ラ]ユルコトノ中ニ、第一捨[テ]難キ命ヲ、自油(自由意志・池田注)ノ上ヨリイサミ悦[ン]テデウスニ捧」ることが「殉教」であると述べています。
 あらゆることの中で一番大切な命を、自由意志で喜んで自らの信ずる神・仏に捧げることを、弾圧される側で解釈するか、それとも弾圧する側で解釈するかによって、「殉教」と見るか、「自爆テロ」と見るかの境目があるように思います。
by jigan-ji | 2015-04-28 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[106]    2015年 04月 27日

 高木昭良『七祖教義概説』(昭和43年1月10日)

 高木昭良『正信偈の意訳と解説』(昭和47年8月1日)


 補遺[58] 龍樹は殉教したのか?(承前)

 多田鼎の龍樹殉教説は、さらに高木昭良によって弘められます。
 高木は、その著『七祖教義概説』(昭和43年)、並びに『正信偈の意訳と解説』(昭和47年)にて、次のように述べています。

 伝記によると、大士は大乗仏教を顕揚するのあまり、異教徒の迫害にあって殉教されたともいわれ、また一説には、命終の近づくのを知って一室にこもられ、後日、弟子が戸を開いてうかがったとき、大士はすでに蟬脱されていたといわれている。(『七祖教義概説』23頁、『正信偈の意訳と解説』135頁)

 高木は「龍樹の死」について、①「異教徒の迫害にあって殉教された」という説と、②「大士はすでに蟬脱されていた」という説の、二つの説を紹介しています。
 高木の指摘する、②の「大士はすでに蟬脱されていた」という説は、『龍樹菩薩伝」や『付法蔵因縁伝』によることは明らかです。しかし、高木のいう①の「異教徒の迫害にあって殉教された」という説の典拠は示されていません。
 推測ですが、高木の①②の二つの説は、『龍樹菩薩伝」や『付法蔵因縁伝』に語られる「大士はすでに蟬脱されていた」という「龍樹の死」の指摘(即ち②)と、その「龍樹の死」の解釈(即ち①)とを混同して、二つの説としたものと思います。
 こうして、以後、浄土真宗内で、典拠不明のまま、龍樹殉教説が独り歩きすることになったものと思います。

by jigan-ji | 2015-04-27 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[105]    2015年 04月 23日



 補遺[57] 龍樹は殉教したのか?

 龍樹は「殉教」したという説があります。浄土真宗系某会のホームページでも、龍樹の殉教を大きく取り上げています。
 しかし、このいわゆる龍樹殉教説は、管見によれば、明治になって多田鼎が主張し、その後、井上哲雄が敷衍した説のように思われます。
 一般に龍樹の伝記は『龍樹菩薩伝』や『付法蔵因縁伝』(共に大正新修大蔵経第50巻所収)によって語られてきました。
『龍樹菩薩伝』には「龍樹の死」を、次のように語っています。
 
 このとき、ひとりの小乗〔仏教=現代では上座部仏教。以下、一般読者の便宜のため、「小乗仏教」と表記する〕の法師がいて、〔ナーガールジュナに対して〕常にいかりをいだいていた。ナーガールジュナはこの世を去ろうとするときに、かれに問うて言った―「あなたは、わたくしがこの世に永く生きながらえていることを、ねがっておられるのですか」。〔その小乗の法師は〕答えていった―「実は〔あなたの長生きを〕願っていないのです」。そこでナーガールジュナは退いて、静かな庵室に入り、いく日もたっても出て来なかったので、かれの弟子が戸を破って中を見たところが、かれはついに蝉のもぬけの殻のようになって死んでいた。ナーガールジュナがこの世を去ってから今に至るまで百年を経ている。南インドの諸国はかれのために廟を建て、敬いつかえていることは、仏にたいするがごとくである。かれの母がアルジュナという名の樹の下でかれを生んだから、その縁によってアルジュナという語をもって名づけたのである。アルジュナというのは樹の名である。龍がかれの道を完成させたのであるから、龍(ナーガ)という語をもって名づけた。そこでかれの名を「ナーガールジュナ」(龍樹)というのである。(中村元『龍樹』講談社学術文庫、30頁より)

 多田鼎は、その著『正信偈講話』(明治40年7月18日)にて「龍樹菩薩の後年」について言及し、次のように解説しています。

 而して此のいさましき信念の旗をたて、菩薩は印度の中央より、西部及び南部に教化をつたへて、到る處疾風の枯葉を巻くやうな勢であつた。わけて南方印度にあつては多くの国王が之に帰依せられた。彼の猛烈な獅子のやうな迦那提婆が、獅子国、即ちセイロンより来たつて教を菩薩に受けられたのも此時である。かくて菩薩は、伝ふる所によれば頗る長い生涯を送つて、たえず伝道に力を尽くされた。然るに其伝道の盛大は、一方において異教の徒を狼狽せしめ、又恐怖せしめた。それがためであらう、古来殉教といふやうなことを、あまり盛に書き立てない仏教伝記者の常習として、今も明らかには記してをらぬが、どうも此菩薩は異教者の迫害の中に敢えなく終はられたやうであります。而して其臨終の處は、一時、菩薩の伝道の中心であつた南印度の北端コサラの都であつた。菩薩逝きて後南方印度の人々其徳を慕うて菩薩のために廟をたて之に事ふること、ちやうど仏に事へたてまつる様であつたとのことであります。(232~233頁)

 多田は、「古来殉教といふやうなことを、あまり盛に書き立てない仏教伝記者の常習として、今も明らかには記してをらぬが、どうも此菩薩は異教者の迫害の中に敢えなく終はられたやうであります。」と述べています。多田は「龍樹菩薩の後年」にて、『龍樹菩薩伝』『付法蔵因縁伝』に語られる「龍樹の死」について直接言及しているわけではありません。しかし、多田の主張する龍樹殉教説は、『龍樹菩薩伝』や『付法蔵因縁伝』に語られる「龍樹の死」を強く意識した、多田流の解釈に思います。
 この多田流の解釈を、『龍樹菩薩伝』や『付法蔵因縁伝』に語られる「龍樹の死」と結び付け、その「龍樹の死」の解釈の問題として、改めて主張したのが井上哲雄です。
 井上哲雄は、その著『真宗七高僧伝』にて龍樹の「示寂」を、次のように解説しています。

 ○示寂 然るに猶ほ一人の小乗の法師がありまして、菩薩が小乗を貶して大乗の法をお弘めになることを憎んでをりました。菩薩は或時その法師に向つて「お前は俺がいつまでも、生きてゐればよいと思ふか、どうか」とお尋ねになりました。法師は、「いゝや、永く生きてゐて貰ふことはお断りだ」といひました。菩薩はそれきり一室に閉じ籠られて、何日経つても出て来られません。そこでお弟子の方々が戸を破つて御覧になると、はや往生を遂げてをられました。南天竺の人々は、それを聞き伝へて驚き悲しみ、その場に廟を建てゝ、仏跡の如く尊み拝みました。
 この示寂の伝説について某師は、次の様な説明を試みてをられる。〔以下、多田鼎の著から上の文を引用している〕(井上哲雄『真宗七高僧伝』昭和10年4月11日、47~48頁)

 以上から、龍樹殉教説は、明治以降、多田鼎と井上哲雄を介して弘まった説であると思われます。
 ちなみに、今日、石飛道子は『龍樹菩薩伝』や『付法蔵因縁伝』に語られている「龍樹の死」について、次のように解釈しています。

 これが、龍樹の死についての伝記である。菩薩やブッダは人々のために生きる人である。したがって、他者によって請われて生きるのである。かれらの寿命は、みずから自在にできると考えられている。だから、なすべきことをなし終えてしまったら、龍樹にしても、ゴータマ・ブッダにしても、いつこの世から去ってもいいのである。そのとき、誰かが「もっと長生きしてください」と頼むなら、かれらは寿命を延ばしてさらに人々のために教えを説くだろう。しかし、誰も望まないのなら、かれはこの世を去る。部派仏教の法師は、龍樹がこの世に留まることを望まないと答えたので、龍樹はこの世を去った。
 ここで「蝉が抜け殻を残すように」というのは、身体は残して心が身体から去っていったことを意味しているのだろう。つまり、龍樹菩薩の場合、輪廻の生存であることを示している。菩薩は、煩悩を完全に断つことなく気の遠くなるような果てしない年月輪廻を重ねて、ブッダとなることをめざすのである。(石飛道子『構築された仏教思想 龍樹―あるように見えても「空」という』2010年、23頁)
by jigan-ji | 2015-04-23 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[104]    2015年 04月 16日


 補遺[56] 「粟散片州」について

 正信偈講読[43]を補足します。

 道綽は『安楽集』第一大門「教興所由」において、「もし教、時機に赴けば、修しやすく悟りやすし。もし機と教と時と乖けば、修しがたく入りがたし。」(七祖篇182頁)と「約時被機」を述べています。[ちなみに、日蓮は『教機時国鈔』にて「一に教とは(中略)二に機とは、(中略)三に時とは(中略)四に国とは、仏教は必ず国に依ってこれを弘むべし。(中略)日本国は一向大乗の国なり。大乗の中にも法華経の国と為るべきなり。」(『昭和定本日蓮聖人遺文』第1巻241~244頁)と述べています。]
 普門は「真宗教証興片州」を釈するなかで、「興片州は、興は発興なり、弘興なり。片州は、これ上の凡夫人の機を挙ぐ。片州は處を挙げ、下、悪世は時を挙げる。しかれば則ち弥陀の本願は、これ機に順い、時に叶い、處に叶ふ。」(『正信念仏偈師資發覆鈔』真宗全書第39巻244頁)と釈し、また、問答をもうけ、「問ふ。時機に契ふを許すべし。處に契ふは如何なる義や。答ふ。日本神国は仏法流布する大乗相応の地なり。又、天台の云く。故に知る。弥陀、この世界の濁悪の衆生と偏に因縁ある。要決の云く。弥陀の本誓、誓って娑婆を度す云々。弥陀如来、本、娑婆の主となす。何ぞ宿縁を忘れん。つぶさには十因のごとし。また上に述べる云々。」(同244頁)と釈しています。
 さらに、「片州とは日域なり。(中略)周礼、五黨を州となす。注。黨は五百家二千五百家云々。(中略)今、片州とは小国の義なり。これ粟散片州なり。一萬国餘を国と云ふ。萬以下四千已上を中国となす。三千以下七百以上を小国となす。六百以下三百以上、これ小しかして国となさず。しかして日域は六十餘国、百に足らず、島となす。(中略)粟は形小さいに譬える。散は多いの義なり。小国は多にして粟を散らせるごとし云々。片は片雲と云ふごとし。これ小の義なり。」(同244頁)と釈しています。
 普門の「弥陀の本願」は「機」と「時」と「處」の三つにかなうといい、「日本神国」は「大乗相応の地」であるという、「處」の概念の提起は、親鸞にはみられない特色に思います。
 古く周代には「五百家」の集落を「黨」といい、「二千五百家」からなる集落を「州」と呼んだようです。『高僧和讃』「源空讃」には「本師源空世にいでて 弘願の一乗ひろめつつ 日本一州ことごとく 浄土の機縁あらはれぬ」(註釈版595頁)と和讃しています。「日本一州」とありますが、この「州」はここでは国のことで、つまり日本を指します。日本は通常六十四国に分かれ、壱岐と対馬の二国を合わせて六十余州と言われました。中国は四百余州あったといわれます(豊原大成『三帖和讃ノート 高僧和讃篇』251頁)。
 現在の中国でも広州や福州など、州の字を持つ都市が少なくありません。日本でも州と書いて「くに」の意を表すことは、甲斐国を甲州、下野国を野州、上野国を上州などの例があり、九州は豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の九国からなっていました。
by jigan-ji | 2015-04-16 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[103]    2015年 04月 15日


 補遺[55] 「懈慢国」とは

 正信偈講読[40]を補足します。

 普門は「報化二土」を釈するなかで「懈慢国」について、次のような問答をもうけています。

 問ふ。懈慢とは如何なる義や。答ふ。つぶさには下に述べるがごとし。これ人に約し名を得る。問ふ。前後に意を発せる(七祖篇1127頁、三経七祖部898頁)とは何。答ふ。古今の人、往生を望む者なり。問ふ。心不牢の者、深く懈慢に著すれば、浄土に生るとは、途中で懈慢国を見、彼に著すや。答ふ。懈慢とは、平生の業が、彼に熟すゆゑえに、臨終の時、彼の影像が現れるか。しかれば途中で、これを見るに非ざるなり。(『正信念仏偈師資發覆鈔』真宗全書第39巻239頁)

 つまり、普門は、執心不牢の人は懈慢国に生ずといわれるが、懈慢国とは、平生業(=念仏)で浄土に行く途中にあるのかと問い、それに対して、懈慢国は、臨終の時に、その影像が現れるのではないかと解し、よって、懈慢国は浄土への途中で見るものではない、というわけです。
 普門は「懈慢国」を釈するに「影像」という言葉を用いています。普門は「影像」という言葉の定義をしていません。しかし、少なくとも肉体や物質の位相の概念ではなく、精神や霊・魂の位相の概念として用いられているように思います。普門の「懈慢国」は、臨終の時に現れる「影像」という解釈は、近代に生きた金子大栄師の『浄土の観念』の「観念」に先んじた、大変興味深い解釈に思います。

by jigan-ji | 2015-04-15 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[102]    2015年 04月 10日

 『正信念仏偈師資發覆鈔』(真宗全書第39巻221頁)

 補遺[54] 「善導独明仏正意」の句から、なぜ音階が変わるのか?

 今日、「正信偈」のお勤めの時、「善導独明仏正意」の句から音階が変わります。その理由について、普門(1636~1692)は『選択集』を引用して、次のように述べています。

 静かにおもんみれば、善導の『観経疏』は、これ西方の指南、行者の目足なり。乃至 玄義を指授する僧は、おそらくはこれ弥陀の応現なり。しかればいふべし。この疏はこれ弥陀の伝説なりと。いかにいはんや、大唐にあひ伝へていはく、「善導はこれ弥陀の化身なり」と。しかればいふべし、またこの文はこれ弥陀の直説なり。すでに「写さんと欲はば、もつぱら経法のごとくせよ」といふ。この言誠なるかなや。仰ぎて本地を討ぬれば、四十八願の法王なり。十劫正覚の唱へ、念仏に憑みあり。俯して垂迹を訪へば、専修念仏の導師なり。三昧正受の語、往生に疑なし云々。これ則ち伝伝導師を以て本となすゆゑなり。今独明と云ふ、その意知るべし。また宗門は報恩のため、朝夕此の偈文(正信偈・池田注)を読誦す。文類中、善導独明の句に至り、同音を止め、ここにおいて調声は、これを始め、これを誦す。亦此の謂なり。(『正信念仏偈師資發覆鈔』真宗全書第39巻221頁)

 つまり、善導は「弥陀の化身」であり、その本地は「四十八願の法王」(阿弥陀仏)であるから、「善導独明仏正意」の句から調声が音階を変えて誦するというわけです。
by jigan-ji | 2015-04-10 01:02 | 聖教講読