浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
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カテゴリ:聖教講読   
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正信偈講読[144]    2015年 08月 30日
 補遺[96] 第一編 序論  一 『正信念仏偈』の位置

 正信偈講読[1](2013年6月3日)を補足します。

 第一編 序論

 一 『正信念仏偈』の位置
 『正信念仏偈』は、浄土真宗立教開宗の根本聖典である『顕浄土真実教行証文類』の「行文類」末尾にあります。『顕浄土真実教行証文類』は、一般に『教行信証』『教行証文類』『広文類』『本典』『広本』などと呼ばれています。本講義では『教行信証』と表記します。
 『正信念仏偈』は、『尊号真像銘文』に「和朝愚禿釈親鸞「正信偈」文」(註釈版六七〇頁)とあるように、親鸞自らが「正信偈」の言葉を用いていますので、一般には「正信偈」と呼ばれています。本講義では、以下『正信念仏偈』と表記します。
 はじめて『教行信証』から『正信念仏偈』を抄出別行したのは本願寺第七代宗主存如(一三九六~一四五七)であり、『正信念仏偈』の大衆化に意を用いたのは本願寺第八代宗主蓮如(一四一五~一四九九)です。文明五(一四七三)年三月、蓮如五十九歳の時、はじめて『三帖和讃』に『正信念仏偈』を加えて四帖として開版しました(『増補改訂 本願寺史』第一巻)。
 蓮如は『正信念仏偈』を注釈した『正信偈大意』に、「そもそも、この「正信偈」といふは、句のかず百二十、行のかず六十なり。これは三朝高祖の解釈によりて、ほぼ一宗大綱の要義を述べましましけり。」(註釈版一〇二一頁)と、『正信念仏偈』には浄土真宗の「一宗大綱の要義」が述べられていると明かしています。
 浄土真宗では今日、朝・夕の勤行で『正信念仏偈』を読みます。蓮如の子息実悟(一四九二~一五八三)の書いた『実悟記』には、「当流の朝暮の勤行、念仏に和讃六首加えて御申候事は近代の事にて候。昔も加様には御申ありつる事有げに候へ共、朝暮になく候つると、きこえ申候。存如上人御代まで六時礼讃にて候つるとの事に候。越中国瑞泉寺は綽如上人の御建立にて、彼寺にしばらく御座候つると申伝候。其後住持なくて、御留守の御堂衆ばかり三四人侍りし也。文明の初比まで、朝暮の勤行には六時礼讃を申て侍りし也。然に蓮如上人越前之吉崎へ御下向候ては、念仏に六種御沙汰候しを承候てより以来、六時礼讃をやめ、当時の六種和讃を致稽古、瑞泉寺の御堂衆も申侍し事也。然ば存如上人の御代より六種の和讃勤に成申たる事に候。実如上人の御時四反がへしと申し勤、いまの六反がへしより二返みじかくはかせ御入候つると申候。慶聞坊へ覚たる歟と御尋ね候て、末々御門徒衆には申させられ度との仰にて候へ共、慶聞坊わすれ申たるとの御返事申されて、四返がへしの沙汰もなくて果申候き。」(歴代部九四五頁)とあります。
 蓮如と同時代の仏光寺第十三世宗主光教は、その著『正信念仏偈聞書』にて「聖人ノ餘流ヲ汲ムヤカラ。一味ノ安心トシテ。此讃文(正信念仏偈・池田注)ヲ。朝夕ノツトメトスルモノ也。」(真宗全書第三十九巻二頁)と記しています。
 また、「正信偈和讃」読誦の意味について、『蓮如上人御一代聞書』には、「十月二十八日の逮夜にのたまはく、「正信偈和讃」をよみて、仏にも聖人(親鸞)にもまゐらせんとおもふか、あさましや。他宗にはつとめをもして回向するなり。御一流には他力信心をよくしれとおぼしめして、聖人の和讃にそのこころあそばされたり。」(註釈版一二三五頁)とのべ、さらに、「のたまはく、朝夕、「正信偈和讃」にて念仏申すは、往生のたねになるべきかなるまじきかと、おのおの坊主に御たづねあり。皆申されけるは、往生のたねになるべしと申したる人もあり、往生のたねにはなるまじきといふ人もありけるとき、仰せに、いづれもわろし、「正信偈和讃」は、衆生の弥陀如来を一念にたのみまゐらせて、後生たすかりまうせとのことわりをあそばされたり。よくききわけて信をとりて、ありがたやありがたやと聖人(親鸞)の御前にてよろこぶことなりと、くれぐれ仰せ候ふなり。」(註釈版一二四二頁)と述べています。
 門信徒の中には、『正信念仏偈』が漢文で書かれているので「お経」と思っている人もいます。しかし、厳密な意味からいえば、「お経」とは釈尊の説かれた「仏説」のことですから、『正信念仏偈』を「お経」というのは間違いですが、大切な「聖教」の一つです。
 ちなみに、二〇〇八(平成二十)年四月十五日に制定された『浄土真宗の教章(私の歩む道)』には、「宗祖 親鸞聖人が著述された主な聖教」として「『正信念仏偈』(『教行信証』行巻末の偈文)『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』」と記されています。
by jigan-ji | 2015-08-30 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[143]    2015年 08月 29日
 補遺[95] 三 結勧偈

 正信偈講読[45](2013年10月26日)を補足します。


三 結勧偈

【本文】
 弘經大士宗師等 拯濟无邊極濁悪 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説

【書き下し文】
 弘経の大士・宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまふ。道俗時衆ともに同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

【現代語訳】
 浄土の教えを広めてくださった祖師方は、数限りない五濁の世の衆生をみなお導きになる。出家のものも在家のものも今の世の人々はみなともに、ただこの高僧方の教えを仰いで信じるがよい。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 「弘経」以下の二行四句は、総じて諸祖拯済の徳を結んで、かれらの説を依信すべきことを勧めるのみである。(和訳六要鈔一三五頁、宗祖部二七三頁)

《正信偈大意》
 「弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」といふは、弘経大士といふは、天竺(印度)・震旦(中国)・わが朝の菩薩・祖師等のことなり。かの人師、未来の極濁悪のわれらをあはれみすくひたまはんとて出生したまへり。しかれば道俗等、みなかの三国の高祖の説を信じたてまつるべきものなり。さればわれらが真実報土の往生ををしへたまふことは、しかしながらこの祖師等の御恩にあらずといふことなし。よくよくその恩徳を報謝したてまつるべきものなり。(註釈版一〇三八~一〇三九頁)


【講義】

◎弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪
 「弘経大士宗師等」以下四句は、七高僧を讃えた結びの言葉であると同時に、『正信念仏偈』百二十句全体の結語です。
 「弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪」は【現代語訳】に「浄土の教えを広めてくださった祖師方は、数限りない五濁の世の衆生をみなお導きになる」とあります。
 「弘経」とは、経をひろげるの意で、真実の経たる『大経』の教義を弘伝・弘通されたとの意です。恵然は「弘は弘通伝持の義。経はこれ諸経に通じ、別してはこれ三経。特に上の頌するところ大経所説の真宗の教証。これ弘するところの法なり。」(『會鈔』三一七頁)と釈しています。「大士」とは、菩薩の意味で、龍樹・天親の二菩薩を指します。「宗師」とは、本宗の祖師という意味で、曇鸞以下の五師を指します。恵然は「大士宗師はこれ七高僧、能弘の人なり。菩薩亦大士と名づく。玄忠已下を名づけて宗師となす。等と言ふは上等なり。」(『會鈔』三一七~三一八頁)と釈しています。「弘経大士宗師等」で、総じて三国の七祖を指します。
 『念仏正信偈』では、「論説・師釈ともに同心に(論説師釈共同心)」(註釈版四八九頁)とあります。「論説・師釈」とは、龍樹・天親の二菩薩の著を論といい、曇鸞・道綽・善導・源信・源空等の人師の著を釈といいます。「化身土文類」では「四依弘経の大士、三朝浄土の宗師」(註釈版三九八頁)と七祖を指し、「証文類」では「宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり。」(註釈版三三五頁)と曇鸞一祖を指す場合もあります。「大士宗師等」とありますが、七祖を指して「等」といっています。
 僧叡は、「経は即ち釈迦の所説なり。或いは「大経」と曰う。或いは三経という。並通す。「大士宗師」とは(中略)二菩薩を大士と称し、五祖を宗師と名く。(中略)「化身土」に云く、―三経隠顕の結尾― 「四依弘経の大士、三朝浄土の宗師」とあり」(『要訣』五一八頁)と釈しています。

 「拯済」は、二字とも「すくう」の意です。法霖は「拯済等とは、拯の言は救う。済また義同じ。手をもって接し、船をもって渡る如きなり。」(『捕影』七二頁)と釈しています。「無辺」は、ほとりなしの意味で、かずかぎりないの意です。『安楽集』には「無辺の生死海」(七祖篇一八五頁、註釈版四七四頁)とあります。「極濁悪」とは、きわめて濁った悪いものという意味で、五濁悪時の罪悪の深い衆生の意味です。三国の七高僧は、五濁惡世の衆生を救うためにこの世に現れたとの意がこめられています。『大経』には「拯済無極(拯済すること極まりなし)」(三経七祖部三頁、註釈版五頁)とあります。『如来会』には「拯濁世」(三経七祖部二一三頁)とあります。
 月筌は「拯済無辺とは、『経』の「拯済無極」の語に據る、拯とは救なり、済とは度なり。」(『勦説』五五頁)と釈し、隨慧は「拯トハ救也。済トハ度ナリ。無辺トハ衆生無辺ナレハ、造罪亦無辺ナリ。礼讃ニ云ク。「虚空無辺ナリ、ワレラガ作罪モマタ無辺ナリ」(七祖篇七〇八頁)ト。安楽集ニ云ク。「無辺ノ生死海ヲ尽サンガタメノユエナリ」(七祖篇一八五頁)。極濁悪トハ観経ニ云ク。「濁悪不善ニシテ五苦ニ逼メラレン」(註釈版九三頁)ト。当今ハ末法、是濁悪ノ極ナリ。時機ヲ兼含テ極濁悪ト云フ。七祖ノ弘化タヽ極濁悪ヲ拯済センカタメナリ。」(『説約』四二九頁)と釈し、僧叡は「「拯済」とは救度をいう。「無辺」とは数多をいう。「極濁悪」とは最下劣をいう。上に五濁悪時群生海等といえり。」(『要訣』五一九頁)と釈しています。


◎道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説
 「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」は【現代語訳】に「出家のものも在家のものも今の世の人々はみなともに、ただこの高僧方の教えを仰いで信じるがよい」とあります。
 「道俗時衆」は『玄義分』の「帰三宝偈」の「道俗の時衆等、おのおの無上心を発せ。生死はなはだ厭ひがたく、仏法また欣ひがたし。ともに金剛の志を発して、横に四流を超断すべし。」(七祖篇二九七頁)に拠ります。
 「道」は出家、「俗」は在家の意です。『尊号真像銘文』には「「道俗」は、道にふたりあり俗にふたりあり。道のふたりは、一つには僧、二つには比丘尼なり。俗にふたり、一つには仏法を信じ行ずる男なり、二つには仏法を信じ行ずる女なり。」(註釈版六六三頁)と釈しています。深励は「道俗」は「無戒名字ノ道俗」(『深励』二〇四頁)と解すべきと述べています。
 「時衆」とは、具体的には親鸞在世の時の衆という意味です。月筌は「時衆とは、意、在世及び後末を該ぬるなり。」(『勦説』五五頁、隨慧『説約』四二九頁)と釈しています。
 「共同心」とは、月筌は「同心とは己を忘るることを勧む、機の善悪を謂はず、智の浅深を論ぜず、同一に諸祖の勧誘を信仰するなり」(『勦説』五五頁)と、隨慧は「共同心トハ、別ノ道ナキコトヲ顕ハス。亦吾祖平等ノ大悲、苦心ニ與ニ語ルノコトハナリ。」(『説約』四二九頁)と、深励は「道俗心ヲ合セテ一味同心シテ、上来列セル七祖ノ説ヲ信セヨトノ玉フ。」(『深励』二〇四頁)と、僧叡は「「共同心」とは和合を共という。所志の別なきを同心という。」(『要訣』五一九頁)と釈しています。

 「唯可信斯高僧説」は、七祖の法義を信ぜよとの意です。『散善義』の「唯可深信仏語専注奉行(ただ深く仏語を信じて専注奉行すべし)」(三経七祖部五三五頁、七祖篇四五八頁)に拠ります。
 隨慧は「唯可信斯等トハ、総シテハ七祖ノ論釈ヲ指シ、別シテハ此ノ偈ニ頌スルノ説ヲ指ス。(中略)コノ四句ハ、(中略)正信念仏偈ノ付属流通トモ云ヘシ。」(『説約』四二九頁)と釈しています。
 普門は「高僧説」の「説は解なり。則ち七祖の所説なり。信は仰信なり。これ則ち上人己を隠し、しかして説七祖を推す。ゆゑに信斯と云ふ。これ己の分の所説、七祖を以て本となす。」(『發覆』二五〇頁)と釈し、月筌は「唯可等とは、唯( 、)は他家の師説を信ずるに簡ぶ、斯(、)とは特に今の所説を指す。高僧説とは己を隠して他に推る、是れ乃ち今の勧帰する所は全く私臆にあらず、是の如きの伝承は良に所以あることを顕して、時衆の信敬をして彌〻深重ならしめんと欲するのみ。」(『勦説』五五頁)と釈しています。深励は「上ノ依経分ニハ應信如来如実言ト信ヲス﹅メ、今又依釈分ノ處テ唯可信斯高僧説ト信ヲス﹅ム、是ガ一部ノ首尾」(『深励』二〇四頁)と釈しています。
 『御伝鈔』には親鸞の言葉として「かの三国の祖師、おのおのこの一宗を興行す。このゆゑに、愚禿すすむるところ、さらに私なし。」(註釈版一〇五七頁)と述べ、七高僧に対する恭順・信順の姿勢が語られています。
by jigan-ji | 2015-08-29 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[142]    2015年 08月 28日
 補遺[94] 7 源空の教え  ⅱ 信疑結判

 正信偈講読[44](2013年10月23日)を補足します。

7 源空の教え  ⅱ 信疑結判

【本文】
 還来生死輪轉家 決以疑情爲所止 速入寂靜无爲樂 必以信心爲能入


【書き下し文】
 生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもつて所止とす。すみやかに寂静無為の楽に入ることは、かならず信心をもつて能入とすといへり。

【現代語訳】
 「迷いの世界に輪廻し続けるのは、本願を疑いはからうからである。速やかにさとりの世界に入るには、ただ本願を信じるより他はない」と述べられた。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 「還来」以下の二行四句は、『選択集』について釈義の要を挙げ、いわゆる「当知生死」以上の二十言の意である。(和訳六要鈔一三四~一三五頁、宗祖部二七三頁)

《正信偈大意》
 「還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入」といふは、生死輪転の家といふは、六道輪廻のことなり。このふるさとへ還ることは疑情のあるによりてなり。また寂静無為の浄土へいたることは信心のあるによりてなり。されば『選択集』(一二四八)にいはく、「生死の家には疑をもつて所止とし、涅槃のみやこには信をもつて能入とす」といへる、このこころなり。(註釈版一〇三八頁)


【講義】

◎還来生死輪転家
 「還来生死輪転家」以下四句は、信疑決判の釈意を述べたもので、前二句は疑情の失を明し、後二句は信心の得を明します。この四句は、『選択集』「三心章」に「念仏の行者かならず三心を具足すべき文。」(七祖篇一二三一頁)と標して、『観経』の文、『観経疏』『往生礼讃』の三心釈の文を出し、後の私釈にて、「次に「深心」とは、いはく深信の心なり。まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城(みやこ)には信をもつて能入となす。」(七祖篇一二四八頁)と釈された文意に拠ります。
 「還来生死輪転家」は【現代語訳】に「「迷いの世界に輪廻し続けるのは」とあります。
 「還来」とは、往還去来、すなわち往来の義で、行ったり来たりすることです。常に生死を離れることができないという意味です。普門は「還来とは往還去来の義なり。生死とは此の死、彼の生の義なり。」(『發覆』二四五頁)と釈し、隨慧は「還来トハ、往テ而モ還リ、去テ而モ来ル。タヽコノ三界ヲ出ルコトナシ。故ニ還来ト云フ。生死ノ外ヨリ還来ルト云フニハ非ス。(文軌ノ意)」(『説約』四二七頁)と釈しています。
 「生死輪転家」とは、生まれ変わり死に変わって転々とする迷いの世界のことです。つまり、六道輪廻の世界を行ったり来たりして迷っているとの意です。『論註』には、「この三界はけだしこれ生死の凡夫の流転の闇宅なり。」(七祖篇五八頁)とあります。
 『尊号真像銘文』には「「当知生死之家」といふは、「当知」はまさにしるべしとなり。「生死之家」は生死の家といふなり。「以疑為所止」といふは、大願業力の不思議を疑ふこころをもつて、六道・四生・二十五有・十二類生 類生といふは、一に卵生、二に胎生、三に湿生、四に化生、五に有色生、六に無色生、七に有相生、八に無相生、九に非有色生、十に非無色生、十一に非有相生、十二に非無相生 にとどまるとなり。いまにひさしく世に迷ふとしるべしとなり。「涅槃之城」と申すは、安養浄刹をいふなり、これを涅槃のみやことは申すなり。「以信為能入」といふは、真実信心をえたる人の、如来の本願の実報土によく入るとしるべしとのたまへるみことなり。信心は菩提のたねなり、無上涅槃をさとるたねなりとしるべしとなり。」(註釈版六六六~六六七頁)と釈しています。
 隨慧は「生死トハ二種アリ。謂界内(三界の内の意・池田注)分段ト界外変易トナリ。方便化土ハ乃チ界外ノ変易。猶是生死ノ家ナリ」と、三界内の「分段生死」と三界外の「変易生死」の二つがあるといい、月筌の『勦説』の「二種生死ニ約シテ釈ス」、若霖の『文軌』の「今文且分段ニ約スヲ親トナス」を紹介し、「コレミナ界内ノ生死ニ就テ示ス。蓋シ分段身ヨリ直ニ果海ニ入ヲ、真宗ノ正意トスルカ故ナリ。」(『説約』四二七頁)と釈し、深励は「爾レハ生死ト云ハ、三界二十五有ノ間ヲ、此ニ死シ彼ニ生スル分段生死ナリ。」(『深励』一九九頁)と釈しています。
 さらに隨慧は「還来ハ有情ニ従ヒ、輪転ハ器界ニ就ク。註論ニ云フ。「三界ハコレ輪転ノ相」(七祖篇五七頁)ト是ナリ。文類偈ニハ「流転ノ家」(註釈版四八九頁)ト云フ。」(『説約』四二七頁)と釈しています。
 僧叡は「「還来」とは往還去来して三界を出でざるが故に。「生死輪転家」とは即ち三界に名く。生は死を有し、死は生を有し、相続無窮なること、車の輪転するが如し。これ則ち凡夫所住の処なり。故に喩えて家という。「論註」に云く、「この三界は蓋しこれ生死凡夫流転の闇宅なり」と」(『要訣』五一六頁)と釈しています。また、法霖は「家とは三界の家なり。」(『捕影』七一頁)と釈しています。


◎決以疑情為所止
 「決以疑情為所止」は【現代語訳】に「本願を疑いはからうからである」とあります。『選択集』「三心章」の「まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。」(七祖篇一二四八頁)に拠ります。
 「決」とは決断の意、「疑情」とは本願を疑うこと、よって「決以疑情為所止」とは、疑情があるから生死を離れられないと断定する意です。『大経』「胎化得失」では「疑惑心」、「不了仏智」(註釈版七六頁、三経七祖部四三頁)を厳しく誡めています。善導は『散善義』に「もし疑謗を起さば、たとひ千仏身を繞りたまふとも、救ふべきに由なし。」(七祖篇四七八頁)と述べ、親鸞は『高僧和讃』「源空讃」に「流転輪廻のきはなきは 疑情のさはりにしくぞなき」(註釈版五九七頁)と和讃しています。
 法霖は「疑情とは疑惑の情相」であるといい、「疑惑の情相」には「世間疑」「出世疑」「弘願疑」の三種があるといいます。すなわち、「世間疑とは、世間の因果を疑うなり。出世疑とは、出世の因果を疑うなり。神明賞罰を信じ、仏陀冥應を疑うなどこれなり。弘願疑とは、報土の因果を疑うなり。観経下三品等の機、弘願の勝益を疑う。」(『捕影』七一頁)といい、今いう「疑情」は「弘願疑」であると述べています。隨慧は「今ハ別シテ不了仏智ノ疑惑ヲ指ス。銘文ニ大願不思議力ヲ疑フコヽロ(註釈版六六六頁)ト云ヘリ。」(『説約』四二八頁)と釈しています。
 さらに隨慧は次のような、興味深い問いを設けています。

 問。疑惑仏智ノ人ハ方便化土ニ往生ス。何ソ生死ニ還来スト云ヤ。答。與テ言ヘハ、千ノ時ニマレニ五三ヲ得ト云ヘトモ、奪テ論スルトキハ、千中無一トキラヒツヽ、萬不一生トサタメタリ。弘願教ヨリ奪テ云フトキハ、定散ノ諸善凡ソ往生ヲ得ス。往生セサレハ三界ノ中ニ流転ス。但シソノ往生スルモ猶是方便土、亦イマタ変易生死を免カレス。生死家ニ輪転スト云フコト得ヘシ。勦説ニコノ義ヲ委悉セリ。今ハ生死(輪転家)ト涅槃(真報土)トヲ相対シテ説ク。化土変易ノ相ヲ論セス。故ニ生死之家、疑ヒヲモッテ所止トナスト云フ。」(『説約』四二八頁)

 つまり、六道を輪廻する凡夫の生死(分段生死)を超えることは出来たが、方便土であるため仏果に至っていないので、まだ生死しなければならない(変易生死)というわけです。
 「所止」とは、とどまるところの意です。深励は「ソノ生死ノ家ニナンテ止ルナレハ、疑カ因トナリテ止ルナリ。ソコテ以疑為所止。夫ナレハ以疑為能止トアルヘキ筈ナリ。上ノ句ノ生死ノ家ハ所止ノ方ユヘニ、疑ハ止ル因ユヘニ能止トアル筈ニ所止トハイカント云ニ、是ハ常ノ能所相対ノ言遣ナレハ能止ト云筈ナレト、次ノ句ノ以信心為能入ノ言ニ対シテ繁重ニナルニヨテ所止トノ玉フモノナリ。コ﹅ラハ能所相対ノ所ノ字ト違フ」(『深励』一九九頁)と釈しています。つまり、下の「必以信心為能入」の「能入」に対し「所止」といいます。すなわち、本願を疑うこころが、生死の迷いの世界にとどめさせるとの意です。
 僧叡は「「所止」とは能止と曰んがごとし。」(『要訣』五一六頁)といい、先学は「それで古解では所止といふも能止と同義であるといふことを例を挙げて説明せんとしてゐるのである。」(金子大栄『正信偈講読』三〇三頁)と述べています。


◎速入寂静無為楽 必以信心為能入
 「速入寂静無為楽 必以信心為能入」は【現代語訳】に「速やかにさとりの世界に入るには、ただ本願を信じるより他はない」と述べられた」とあります。
 「速」は頓速、「入」は生入の意。「寂静」「無為」は、ともに涅槃・さとりの意です。「寂静無為楽」とは涅槃の異名で、『選択集』には「涅槃の城(みやこ)」(七祖篇一二四八頁)でとあります。『大経』には、「かの仏国土は無為自然にして、みな衆善を積んで毛髪の悪もなければなり。」(註釈版七三頁)とあり、善導は『法事讃』に「弥陀の妙果を号して無上涅槃といふ。」(七祖篇五九〇頁)、さらに『往生礼讃』に「三昧は無為にしてすなはち涅槃なり。」(七祖篇六九九頁)と述べています。『定善義』には「西方は寂静無為の楽なり。畢竟逍遙して有無を離れたり。」(七祖篇四〇五頁)、「この生平を畢へて後、かの涅槃の城(みやこ)に入らん」(七祖篇四〇六頁)とあり、『法事讃』には「極楽無為涅槃界(極楽は無為涅槃の界なり)」(七祖篇五六四頁)とあります。
 親鸞は「真仏土文類」にて、「西方寂静無為の楽は、畢竟逍遥して有無を離れたり。」(註釈版頁三六九頁)と「寂静無為の楽(みやこ)」と読んでいます。つまり、「寂静無為楽」はさとりの世界、浄土を意味します。『唯信鈔文意』には「極楽無為涅槃界」を「「極楽」と申すはかの安楽浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。(中略)また『論』(浄土論)には「蓮華蔵世界」ともいへり、「無為」ともいへり。」(註釈版七〇九頁)と釈しています。
 隨慧は「速入等トハ、慚入ニ対ス言トナス。横出ノ迂廻ニアラス。横超ノ頓益ヲ明スナリ。寂静無為トハ、涅槃ノ異名ナリ。集ニ涅槃ノ城ト云フ。煩悩ノ喧雑ヲ離レルカ故ニ寂静ト云フ。性常住ノ故ニ無為ト云フ。(中略)楽ノ字御点ニミヤコトアルハ、涅槃ノ城ノ本文ヨリ、洛楽同音ナレハ、カク訓シ給フナリ。」(『説約』四二八頁)と釈しています。

 「必」とは、「行文類」の六字釈には、「「必」の言は審(つまびらか)なり、然(しからしむる)なり、分極(わかちきわむる)なり」(註釈版一七〇頁)とあります。
 「能入」は、入ることが出来るの意です。隨慧は「信為能入トハ語、大論ニイテヽ、註家モ亦云フ。「如是ト称スルハ、信ヲ能入トナスコトヲ彰ス」(七祖篇一五七頁)ト。」(『説約』四二八~四二九頁)と釈しています。
 すなわち、この二句は、速やかにさとりの世界に入るには、本願を信じるより他はないとの意です。隨慧は「必以等トハ(中略)信心ノ外他術ナキコトヲ示ス。」(『説約』四二八頁)と釈しています。ゆえに『高僧和讃』「源空讃」には「無上の信心をしへてぞ 涅槃のかどをばひらきける」(註釈版五九七頁)と和讃しています。
 恵然は依釈段を結ぶにあたって、「凡そ七祖章、皆四法を顕わす。その要は勧信なり。この偈の始終四法を総括し、信心を勧めるならくのみ。故に依経の結びに難信を明かし、而して反顕す。依釈の終わりに信心を以て能入となす。吾祖の選述の巧妙の至り哉。後学着眼。」(『會鈔』三一七頁)と述べ、さらに隨慧は「故ニ依経ノ結ニハ難信ヲ明シテ反顕シ、依釈ノ終ニハ疑ヒヲ誡メ信ヲ勧メル。釈迦ノ勧讃、七祖ノ相承、一ヲモッテ之ヲ貫ク。謂フ信心耳。」(『説約』四二九頁)と述べています。
 なお、現在の「鏡御影」は親鸞滅後五十年ごろ覚如によって修復されて蓮の華が描かれていますが、元々は、上段には「正信偈」の「本願名号正定業」から「即横超截五悪趣」までの二十句が十行で書かれ、そして下段には、「正信偈」の以上の四句が、十行に書かれていました(霊山勝海『正信偈を読む』二六九頁)。
by jigan-ji | 2015-08-28 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[141]    2015年 08月 22日
 補遺[93] 7 源空の教え  ⅰ 立教開宗

 正信偈講読[43](2013年10月22日)を補足します。

◎真宗教証興片州
 「真宗教証興片州」は【現代語訳】に「この国に往生浄土の真実の教えを開いて明らかにされ」とあります。
 「真宗教証」の「真宗」とは「真実の宗教」の意で、「教証」とは、拡げれば「教行信証」の意です。すなわち、浄土往生の真実の教えの意です。
 「真宗」の名目は善導の上にみえるところで、「真宗遇ひがたく」(『散善義』七祖篇五〇一頁)や、「行文類」に『五会念仏略法事儀讃』を引用して「念仏成仏はこれ真宗なり。」(註釈版一七二頁)と述べています。親鸞において「真宗」は、次句の「選択本願」と同一の法です。『高僧和讃』「源空讃」には「智慧光のちからより 本師源空あらはれて 浄土真宗ひらきつつ 選択本願のべたまふ」(註釈版五九五頁)と和讃しています。
 法然は『選択集』のなかでは「浄土宗」といい、「浄土真宗」とは言っていません。しかし、親鸞は消息にて、「浄土宗の義、みなかはりておはしましあうて候ふひとびとも、聖人(法然)の御弟子にて候へども、やうやうに義をもいひかへなどして、身もまどひ、ひとをもまどはかしあうて候ふめり。あさましきことにて候ふなり。京にもおほくまどひあうて候ふめり。まして、ゐなかは、さこそ候ふらめとこころにくくも候はず。」(註釈版七四五頁)と現状を憂い批判しています。そして、「浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。」(註釈版七三七頁)と釈しています。また、『唯信鈔文意』には「真実信心をうれば実報土に生るとをしへたまへるを、浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。」(註釈版七〇七頁)と述べています。
 親鸞においての「浄土真宗」とは、『浄土文類聚鈔』に「論家・宗師、浄土真宗を開きて、濁世、邪偽を導かんとなり。」(註釈版四九六頁)とあるように、西山派や鎮西派などの浄土宗諸派に対する言葉ではありませんでした。
 ちなみに存覚は『六要鈔』で「教文類」の「つつしんで浄土真宗を案ずるに」(註釈版一三五頁)を、次のように釈しています。

 初めの略標のなかに「謹案」とは、発端の言葉で、「浄土」等とは、宗の名を標して所説が真であることを顕かしている。「真宗」というのはすなわち浄土宗である。『散善義』に「真宗は遇いかたし」とあり、『五会讃』(巻本)に「念仏成仏は真宗である」とある。□問『五会讃』(巻本)の中に、『大般若経』によって六根を離れる讃を作るのに、次のように語っている。「色性はもとより障碍はない。来ることがなく、去ることがない。これが真宗である。」声性・香性・味性・触性・法性みな同じである。般若をもって真宗と名づけるのであろう。また地論宗の耆闍法師は、六宗を立てる時、一つには『毘曇』をもって因縁宗と名づけ、二つには『成実』をもって仮名宗と名づける。三つには『大品』及び『大論』をもって誑相宗と名づけ、四つには『涅槃』ならびに『華厳経』をもって常住宗と名づける。五つには『法華』をもって真宗といい、六つには『大集』をもって円宗という。この義のように考えると、真宗は『法花』にあるのに何故に浄教に限って、ひとり真宗と名づけるのか。□答六根を離れる讃が『般若』によっているけれども、すでに『浄土五会讃』の文である。したがって浄土の法性常楽・畢竟無生甚深の理は、冥々に般若無相の空理に契うのである。故に真宗はかならずしも般若でなければならないことはなく、浄土にあってもよい。次に耆闍法師の立名に至っては、法華と弥陀とは内証同体といっている。法華は為聖の教であり、弥陀は為凡の教である。所被の機は聖凡と異なってはいるが、所説の法はともに一乗教であるから、真宗と称することは両者ともに密かに通じている。これは今家の不共の別意である。総じていえば、仏教全般にわたって真宗と名のることにはさわりはない。宗密の圭峯の『盂蘭盆経疏』(巻上)に「良に真宗は未だ至っていないから、周孔はしばらく心を繋けられた。」とある。霊芝の同じく『新記』(巻上)にもこれを解釈して「真宗は仏教である」とある。この義辺によれば『五会』と六宗所立の名とに限るものではなく、通別の両意がなければならない。ただし、真宗の名は、念仏門に於て殊にその理がある。『大経』(巻上)には「真実之利」とすると説き、『小経』には「説誠実言」と説かれている。一代教のなかで、真宗こそまことに凡夫出離の要道である。真宗の宗旨を知らなければならない。(和訳六要鈔一七~一九頁、宗祖部二一三~二一四頁)

 「教証」とは、拡げれば「教行信証」の意味となります。普門は「教証とは、教はいわく理を詮し化物を義となす。証は証悟なり。つぶさには教行証と云ふべし。今、句を調ふゆゑに行の字を略すなり。」(『發覆』二四四頁)と釈し、隨慧は「通途ノ謂フトコロノ浄土教(往生浄土ノ教)証(九品往生ノ証)ニアラス。故ニ真宗ノ教証ト云フ。教トハ逆謗闡提刹那ニ超越スル成仏ノ法ナリ。証トハ一生ニ必ス往生成仏ス。」(『説約』四二六頁)と釈しています。「教文類」には「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」(註釈版一三五頁)と述べています。いわゆる「教」とは『大経』を指し、「証」とは第十一願の妙果です。
 僧叡は「「証」とは報土に往生するを真宗の証となす。」(『要訣』五一三頁)と釈し、『選択集』「讃嘆念仏章」の「また念仏者は、命を捨てをはりて後決定して極楽世界に往生す。余行は不定なり。おほよそ五種の嘉誉を流し、二尊(観音・勢至)の影護を蒙る、これはこれ現益なり。また浄土に往生して、乃至、仏になる、これはこれ当益なり。また道綽禅師念仏の一行において始終の両益を立つ。『安楽集』(下)にいはく、「〈念仏の衆生を摂取して捨てたまはず、寿尽きてかならず生ず〉(観経)と。これを始益と名づく。終益といふは、『観音授記経』によるに、〈阿弥陀仏、世に住すること長久にして、兆載永劫にまた滅度したまふことあり。般涅槃の時、ただ観音・勢至ありて、安楽に住持し、十方を接引す。その仏の滅度また住世と時節等同なり。しかるにかの国の衆生は、一切、仏を覩見するものあることなし。ただ一向にもつぱら阿弥陀仏を念じて往生するもののみありて、つねに弥陀は現にましまして滅したまはずと見る〉と。これはすなはちこれその終益なり」と。以上 まさに知るべし。念仏はかくのごとき等の現当二世、始終の両益あり、知るべし。」(七祖篇一二六一頁)との文を引用し、「真宗の証」は「現当二世、始終の両益あり」と述べています。
 「興片州」とは、「興」は、念仏の教えを広めたという意味です。「片州」は日本国を指します。法霖は「州は洲と同じ。海中の洲なり。吾が本邦は海中にあって片板、海に浮かぶ如きなり。」(『捕影』七〇頁)と釈しています。
 親鸞は『高僧和讃』「源空讃」に「粟散片州に誕生して 念仏宗をひろめしむ 衆生化度のためにとて この土にたびたびきたらしむ」(註釈版五九八頁)と和讃しています。さらに『尊号真像銘文』には「「粟散」といふは、あはつぶをちらせるがごとく小さき国」(註釈版六六一頁)と釈しています。深励は「讃ニハ粟散片州トアリ、コレハ仁王経ノ言ナリ。」(『深励』一九七頁)と釈しています。
 普門は「興片州は、興は発興なり、弘興なり。片州は、これ上の凡夫人の機を挙ぐ。片州は處を挙げ、下、悪世は時を挙げる。しかれば則ち弥陀の本願は、これ機に順い、時に叶い、處に叶ふ。」(『發覆』二四四頁)と釈し、また、問答をもうけ、「問ふ。時機に契ふを許すべし。處に契ふは如何なる義や。答ふ。日本神国は仏法流布する大乗相応の地なり。又、天台の云く。故に知る。弥陀、この世界の濁悪の衆生と偏に因縁ある。要決の云く。弥陀の本誓、誓って娑婆を度す云々。弥陀如来、本、娑婆の主となす。何ぞ宿縁を忘れん。つぶさには十因のごとし。また上に述べる云々。」(『發覆』二四四頁)と釈しています。
 さらに、「片州とは日域なり。(中略)周礼、五黨を州となす。注。黨は五百家二千五百家云々。(中略)今、片州とは小国の義なり。これ粟散片州なり。一萬国餘を国と云ふ。萬以下四千已上を中国となす。三千以下七百以上を小国となす。六百以下三百以上、これ小しかして国となさず。しかして日域は六十餘国、百に足らず、島となす。(中略)粟は形小さいに譬える。散は多いの義なり。小国は多にして粟を散らせるごとし云々。片は片雲と云ふごとし。これ小の義なり。」(『發覆』二四四頁)と釈し、隨慧は「片州トハ、片ハ正字通ニ木片也。我国大邦ト連合セズ。木片海中ニ浮フガゴトキ故ニ云フ。」(『説約』四二六頁)と釈しています。
 普門の「弥陀の本願」は「機」と「時」と「處」の三つにかなうといい、「日本神国」は「大乗相応の地」であるという、「處」の概念は、親鸞にはみられない特色に思います。
 古く周代には「五百家」の集落を「黨」といい、「二千五百家」からなる集落を「州」と呼んだようです。『高僧和讃』「源空讃」には「本師源空世にいでて 弘願の一乗ひろめつつ 日本一州ことごとく 浄土の機縁あらはれぬ」(註釈版五九五頁)と和讃しています。「日本一州」とありますが、この「州」はここでは国のことで、つまり日本を指します。日本は通常六十四国に分かれ、壱岐と対馬の二国を合わせて六十余州と言われました。中国は四百余州あったといわれます(豊原大成『三帖和讃ノート 高僧和讃篇』二五一頁)。
 現在の中国でも広州や福州など、州の字を持つ都市が少なくありません。日本でも州と書いて「くに」の意を表すことは、甲斐国を甲州、下野国を野州、上野国を上州などの例があり、九州は豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の九国からなっていました。ゆえに先学は「粟散片州」を、「日本が中国の東の海に、まるで粟を撒き散らしたように小島群として存在しているので、東海の粟散国という。中国に対して辺僻なところにある国という意味で辺(ママ)州という。」(『三帖和讃ノート 高僧和讃篇』二八〇頁)と解説しています。


[補遺] 宗名論争を強く意識
 宗名論争は広く知られています。安永三(一七七四)年八月十二日、築地別院輪番慶証寺(『考信録』を著した玄智)・浅草別院輪番南林坊が寺社奉行に口上書を提出したことが発端です。
 同年十一月、寺社奉行は上野寛永寺と芝増上寺の代表者を召喚して、東西本願寺からの宗名の件の賛否を諮りました。寛永寺には異存がありませんでしたが、増上寺ははなはだ差障る旨を述べました。
 その後紆余曲折を経て、寛政元(一七八九)年三月十八日、寺社奉行は「宗号之儀、当時御繁務中、急遽之御沙汰には難被及、追而御沙汰可有之候」と申渡しました。つまり、東西本願寺の願いを棚上げにしました。
 なお、これに関連して、巷間には、日光輪王寺の仲介によって、宗名復正の決裁は一万日お預けになった、と伝えられていますが、未だ確証に接しないとのことです(『本願寺史』第二巻、『本願寺年表』等)。
 その後、明治五(一八七二)年三月十四日、「太政官達号外」にて「一向宗ノ儀自今真宗ト可称旨今般御沙汰相成候ニ付此段為心得相達候也」(『明治以降宗教関係法令類纂』昭和四十三年三月二十五日、八三三頁)と「真宗」の公称を許可しましたが、「浄土真宗」の宗名の公称は認めませんでした。
 宗名として「浄土真宗」の公称が認められたのは、昭和二十二(一九四七)年四月一日施行の宗制・宗法からです。安永三年から実に百七十三年を経ています。
 宗名論争が起こったとき慧琳は五十九歳で、そしていわゆる「一万日のお預かり」となった寛政元年に七十五歳で亡くなっています。
 慧琳の次の「浄土真宗」の解説は、こうした宗名論争を強く意識したものに思います。

 コノ浄土真宗ノ名。本ト吾一流ニ局ラス。故ニ銀青光禄太夫平ノ基親。光明師ノ画讃ニ。浄土真宗第三ノ祖師大唐善導和尚画讃ト標ス。七言ノ偈三十二行六十四句写録シテ伝フ。鎮西ニハ浄土三国仏祖伝曰。叡山黒谷ヲ出テ、西都ニ移住ス。浄土真宗ヲ建立ス。又曰。此地(新黒谷)ニ於テ、初メテ浄土真宗ヲ建立ス。故ニ浄土真宗最初門ト云フ。カノ伝ハ酉譽、應長二十三年七月述スト。全部二巻。(恵空云。貞享五年。黒谷文庫ニ得テ之ヲ写ス。又云。華頂義山語。偽書也。実往譽之作)西山ニハ楷定記ノ中。二十三処ニ真宗ト標シ。散善義記二(八)十(三十二)浄土真宗ト称ス。コレ等ニ依ルニ。西鎮二家モ往昔ハ浄土真宗ト称セシニ。イツシカ唱ヘ忘レテ。独リ今家ノ名トナレリ。コレ他ノ宗名ヲ奪ニ非ス。自宗ノ本名ヲ忘レサルナリ。」(『帯佩』五八四~五八五頁)

 なお、深励は慧琳の指摘する「楷定記」の「真宗」に言及し、「楷定記」の「真宗」とは「真如実相ヲ真宗ト云。法性真如ノ理ノコト」であり、さらに「元祖ハ諸行ノ首ヲ切ル、西山上人ハ傍正ヲ重ニシテ諸行ヲ生捕ニスルト(中略)故ニ吾祖ハ元祖ヲ此方ヘ取テ来テ、元祖ハ諸行ヲ廃シテ念仏ヲ弘メ玉フカラハ、此方ノ祖師チヤト云コトテ本師源空アラハレテ浄土真宗ヲヒラキツ﹅ト、コ﹅ラモ夫ト同コトナリ。爾ハ道理トイヒ文証トイヒ四字宗名(浄土真宗・池田注)ハ今家一流ノ宗名明ナリ。」(『深励』一九六~一九七頁)と述べています。
 つまり深励は「楷定記」にある「真宗」とは「法性真如ノ理」のことであって、浄土真宗という宗名を指すものではないといいます。もし、「浄土真宗」という宗名を名のるなら、諸行に対して明確に「廃立」した法然を継承するのは親鸞であり、西山は諸行に対して「傍正」の立場であった。だから「浄土真宗」という宗名は「今家(親鸞・池田注)一流ノ宗名」であるというわけです。


◎選択本願弘悪世
 「選択本願弘悪世」は【現代語訳】に「選択本願の法を五濁の世にお広めになった」とあります。
 「選択本願」とは、阿弥陀仏の第十八願のことで、念仏を往生浄土の行として選択したのは阿弥陀仏であると法然が明らかにしたとの意です。『選択集』「本願章」の標章は「弥陀如来、余行をもつて往生の本願となさず、ただ念仏をもつて往生の本願となしたまへる文。」(七祖篇一二〇一頁)とあります。親鸞は消息に、「弥陀の選択本願は、行者のはからひの候はねばこそ、ひとへに他力とは申すことにて候へ。」(註釈版八〇六頁)といい、「行文類」に『選択集』の題号と標宗と三選の文を引いた後に、「あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。」(註釈版一八六頁)と述べています。
 「弘悪世」とは、五濁の世にひろめるの意です。『阿弥陀経』には、「〈釈迦牟尼仏、よく甚難希有の事をなして、よく娑婆国土の五濁悪世、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁のなかにおいて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間難信の法を説きたまふ〉と。」(註釈版一二八頁)と説かれています。
 前句は「片州」という所において「興」というに対して、今の句は「悪世」という時において「弘」と、対句になっています。
 ところで法然の主著は『選択集』ですが、書名の「選択」を、浄土宗では「せんちゃく」と清音で読み、浄土真宗では「せんじゃく」と濁音で読んでいます。
 法然は『選択集』「二門章」(七祖篇一一八七頁)で『大経』『観経』『阿弥陀経』の「三経」と天親菩薩の『往生論』の「一論」を指して「三経一論」と述べ、この「三経」を「浄土三部経」と呼んでいます。しかし、龍樹の『易行品』を収める『十住毘婆沙論』を「傍らに往生浄土を明かす教」(七祖篇一一八七~一一八八頁)としています。その理由については龍樹章を参照して下さい。



by jigan-ji | 2015-08-22 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[140]    2015年 08月 21日
 補遺[92] 7 源空の教え  ⅰ 立教開宗

 正信偈講読[42](2013年10月15日)を補足します。

7 源空の教え
ⅰ 立教開宗

【本文】
 本師源空明佛教 憐愍善悪凡夫人 真宗教證興片州 選択本願弘悪世

【書き下し文】
 本師源空は、仏教にあきらかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興す。選択本願、悪世に弘む。

【現代語訳】
 源空上人は、深く仏の教えをきわめられ、善人も悪人もすべての凡夫を哀れんで、この国に往生浄土の真実の教えを開いて明らかにされ、選択本願の法を五濁の世にお広めになった。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 次に黒谷の讃で、はじめの二句は総じて智解悲心の二徳を称し、次の二句は別して片州弘通の巨益を讃嘆する。(和訳六要鈔一三四頁、宗祖部二七三頁)

《正信偈大意》
 「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人」といふは、日本には念仏の祖師その数これおほしといへども、法然聖人のごとく一天にあまねく仰がれたまふひとはなきなり。これすなはち仏教にあきらかなりしゆゑなり。されば弥陀の化身といひ、また勢至の来現といひ、また善導の再誕ともいへり。かかる明師にてましますがゆゑに、われら善悪の凡夫人をあはれみたまひて浄土にすすめ入れしめたまひけるものなり。「真宗教証興片州 選択本願弘悪世」といふは、かの聖人(源空)わが朝にはじめて浄土宗をたてたまひて、また『選択集』といふふみをつくりましまして、悪世にあまねくひろめしめたまへり。(註釈版一〇三七~一〇三八頁)


【講義】

◎本師源空明仏教
 「本師源空明仏教」以下八句は法然の教えを讃じます。慧琳は「初四句興宗弘法。後四句誡疑勧信。」(『帯佩』五八一頁)と釈しています。
 法然の伝記について隨慧は「御傳ハ和讃ニツフサニノヘ在カコトシ。別傳ハ聖覚ノ十六門記・此及和讃ハ直弟ノ所述ナリ。尤崇奉スヘシ 釈書第五・及拾遺古徳伝・正源明義鈔・繪詞傳・鎮西三河傳・西山等ナリ。」(『説約』四二六頁)と述べ、深励は「元祖ノ伝記ハ、鎮西テハ黒谷伝九巻伝等アリ。西山テハ参河ノ法蔵寺伝アリ。今家テハ拾遺古徳伝アリ。コレラハ元祖滅后ノ撰述ノ伝記ナレハ、元祖ノ直弟ノ伝記ヲ書タハ聖覚ノ十六門記、吾祖ノ源空讃ノ下伝記ナリ。コレラハ直弟ノ述玉フ伝記ナリ。隆寛師ノ述ニ秘伝抄アレト、コレハ偽作チヤト云コトナリ。」(『深励』一九四頁)と述べています。「拾遺古徳伝」とは、覚如の『拾遺古徳伝絵詞』(歴代部所収)を指します。

 法然(一一三三~一二一二)は美作国久米の南条稲岡に生まれました。幼名を勢至丸といい、父は久米の押領使(平安時代の官名。地方の暴徒の鎮圧、盗賊の逮捕などにあたった。)で漆間時国といいました。勢至丸が九歳の時、父は明石の源内定明に夜襲をうけて横死しましたが、その臨終のとき勢至丸に「怨みに報いるに怨みをもってしてはならない。怨みに報いるには恩をほどこせ」とさとし、自分の死後は菩提をもとめよと遺言しました。父の遺言に従って菩提寺に入って智円房観覚の弟子となりました。十五歳で比叡山に登り(十三歳登山説もある)、はじめ源光、皇円に師事して天台教学を学びましたが、十八歳の時、黒谷の叡空の門弟になり、名を法然房源空と名のりました。その間、出離の要道をみいだすことができず、二十四歳の時ついに比叡山をさり、諸国を遍歴して求道の旅にでました。
 まず嵯峨の清凉寺に参篭し、また南都(奈良)興福寺の蔵俊をたずね、また醍醐の寛雅に三論宗を学び、御室仁和寺の慶雅に華厳宗を、また中川の実範に密観ならびに四分律宗の具足戒をうけるなど、各宗の奥義をきわめましたが、どうしても真実の救いを感得することができませんでした。そこでふたたび比叡山に帰り、黒谷の報恩蔵にこもって一切経を読破すること前後五回に及んだといいます。これよりさきに源信の『往生要集』によって、ひそかに往生極樂の道をもとめましたが、その後、善導の『観経四帖疏』の「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり。」(『散善義』七祖篇四六三頁)の文に参徹され、ここに法然は出離の要道はまったく弥陀他力の救済にあることを体解し、自力の余行をすてて、専ら念仏の一行に帰依しました。時に承安五(一一七五)年、法然四十三歳でした。
 その後、法然は比叡山の黒谷を去って京洛にうつり、東山の吉水に禅房を結び、有縁の人々に専修念仏をすすめました。ちょうどそのころ保元・平治の乱があいついでおこり、源平の争いと天災地変とはいよいよ民衆を不安と焦燥の極にかりたて、南都北嶺の仏教はこれらの人々を救う力がありませんでした。公卿や武士をはじめ貴賤男女の道俗たちは、法然の高潔な人格と、その燃えるような信仰の力に感化され、その徳を慕って集まるものは群をなし、吉水の教団は日増しに隆盛をきわめました。法然の名は宮中にも聞こえ、後白河・高倉・後鳥羽の三帝は法然を戒師として菩薩戒を受けました。文治二(一一八六)年、法然は洛北大原勝林院において聖浄二門を論じましたが(世に大原問答と呼ばれます)、その学識は南都北嶺の学僧たちを驚嘆せしめ、さらに建久九(一一九八)年の春、法然六十六歳の時、九条兼実の請いによって撰述されたのが『選択本願念仏集』です。この書こそ法然の浄土宗独立の宣言書です。
 当時の比叡山は、僧制は乱れ、人心を救済する仏教はみる影もない有り様でした。これに反し念仏の教えは、草が風になびくように、いよいよその民衆の心をとらえていきました。ゆえにこの念仏の隆盛をねたんで、南都北嶺の僧徒たちが迫害を加えてきました。
 まず、元久三(一二〇四)年には比叡山延暦寺の衆徒が念仏停止を決議し、座主真性に訴えて一挙にこれを壊滅しようとしました。このため法然は『七箇条の起請文』をつくり、門弟一八九人に連署をもとめて弁明されたので、ようやくそれはことなきをえました。しかし、その翌年、奈良興福寺の僧徒たちは、浄土宗およびその吉水教団に対して九カ条の過失をかぞえ、これを朝廷に訴えて念仏を禁止するとともに、法然ならびにその門弟の処罰を要求しました。ちょうどその頃、住連・安樂の事件が重なり、ついに念仏停止の宣示がくだされるにいたりました。このため法然をはじめ、多くの門弟がそれぞれ流罪に処されました。これを承元の法難といいます。このため隆盛の途上にあった吉水の教団は、ついに解散のやむなきにいたりました。その後、法然は罪を赦されましたが、京洛に入ることができず、摂津の勝尾寺にとどまり、建暦元(一二一一)年十一月、京都に帰ることができました。しかし、その翌年の建暦二(一二一二)年の正月二十五日、東山大谷の禅室において、八十歳をもって往生しました。
 九条兼実の実弟にして天台座主に四度なつた慈円は『愚管抄』第六に「法然房ト云上人アリキ。マヂカク京中ヲスミカニテ。念仏宗ヲ立テ専宗念仏ト号シテ。タダアミダ仏トバカリ申ベキ也。ソレナラヌコト顕密ノツトメハナセソト云事ヲ云イダシテ。不可思議ノ愚痴無智ノ尼入道ニヨロコバレテ。コノ事ノタダ繁昌ニ世ニハンジヤウシテツヨクオコリツツ。(中略)京田舎サナガラコノヤウニナリケル」(『国史大系』第十九巻)と記しています。
 なお、親鸞は『教行信証』後序(註釈版四七二頁)に、法然の『選択集』の書写、法然の肖像画の模写、この二点に法然自らが筆をとって「選択本願念仏集」の内題の字や肖像画の銘文、それに親鸞の名である「綽空」などを記名していただいたことを記しています。

 まず初句の「本師源空明仏教」は【現代語訳】に「源空上人は、深く仏の教えをきわめられ」とあります。この一句は、法然はあまねく一切経を繙きて諸宗の教義に精通し、殊に念仏門を明らかにしたことを讃じます。
 「本師」とは、根本の師の意です。七高僧方の用例では釈尊を修飾する言葉ですが、親鸞の意識の上では『高僧和讃』の「本師龍樹菩薩は云々」(註釈版五七八頁)をはじめ、七高僧はみな本師でした。『高僧和讃』「源空讃」(註釈版五九五頁)は二十首ありますが、そのうち十首で「本師源空」と尊称されています。
 「源空」は法然の僧侶としての正式名です。法然の師匠の源光の源と、叡空の空を取ったものと思われます。いわゆる「法然」は房号で通称です。慧琳は「マコトニ法爾法然ノ上人ナレハ。法然ヲ以テ房号トスヘシ。実名ハ源空トスヘシ。コレ源光ノ上ノ字ト。叡空ノ下ノ字トヲヒロヒトルトソ申サレケル。十六門記」(『帯佩』五八二頁)と述べています。なお、親鸞は法然の伝記である「源空聖人私日記」を『西方指南抄』(拾遺部上一五七頁以下)に収めています。また、『和語燈録』巻五「諸人伝説の詞」(拾遺部上六七二頁以下)もあります。
 「明仏教」とは、法然は一代仏教に精通していたという意味です。隨慧は「明仏教トハ、ソノ智徳ヲ讃ス。曾テ大蔵ヲ披閲スルコト凡ソ五返。ソノ餘ノ典籍周覧セスト云コトナシ。」(『説約』四二六頁)と釈しています。しかし、単に一代仏教に精通していたというのではありません。先学は、その一代仏教は機(凡夫=憐愍善悪凡夫人)と所(日本=真宗教証興片州)と今の時(末法=選択本願弘悪世)にかなったものであったと述べています(金子大栄『正信偈講読』二九六頁)。
 ちなみに『念仏正信偈』には「源空暁了諸聖典(源空もろもろの聖典を暁了して)」(宗祖部四五〇頁、註釈版四八九頁)とありますが、僧叡は「台教を皇円に受けて、密乗梵網を叡空に受け、三論倶舎成実を寛雅に受く。唯識を論じて蔵俊驚帰し、雑華を説いて慶雅舌を吐く、遂に大蔵を閲すること五遍、宗家の書を読むこと八遍なる等の如し、仏教に明かなるは以て知るべきなり。」(『要訣』五一〇頁、『拾遺古徳伝絵詞』歴代部六七一~六七七頁参照されたい)と釈しています。


◎憐愍善悪凡夫人
 「憐愍善悪凡夫人」は【現代語訳】に「善人も悪人もすべての凡夫を哀れんで」とあります。この一句は、善悪の凡夫人を憐愍しての意で、弥陀の本願は善悪を簡ばざる旨を示して、一切衆生の出離の要道は真宗念仏にあると勧めます。慧琳は「上ノ矜哀定散與逆悪ト意同シ。」(『帯佩』五八二頁)と述べています。
 法然は『選択集』「二門章」に元暁の『遊心安楽道』を引いて、「浄土宗の意、本凡夫のためなり、兼ねては聖人のためなり」と。」(七祖篇一一八五頁)と述べています。法然にとって善の凡夫人とは九条兼実などであり、悪の凡夫人とは耳四郎などであったともいえましょう。
 隨慧は「憐愍等トハ、其ノ悲徳ヲ嘆ス。末代濁世、ソノ質ノ善悪ヲ論セス。聖道ノ出離ハ、イマダ一人モ得ル者有ラス。マレニ人身ヲウケ、偶仏法ニ値トイヘトモ、空ク過テ苦ヲ受ク。是師ノ自ラ憐ミ他ヲ憐ムユエンナリ。上ノ矜哀等ト意同シ。」(『説約』四二六頁)と釈し、深励は「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人」の二句について、「明仏教ハ智慧ノスクレタ方、憐愍善悪ハ、衆生ヲアハレム悲ノ方ナリ。故ニ略シテ悲智ノ二徳ヲ挙テ、元祖ノ徳ヲホメ玉フ。」(『深励』一九五頁)と釈しています。
by jigan-ji | 2015-08-21 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[139]    2015年 08月 13日
 補遺[91] 6 源信の教え   ⅲ 悪人称仏と大悲常照

 正信偈講読[41](2013年10月14日)を補足します。


ⅲ 悪人称仏と大悲常照

【本文】
 極重悪人唯稱佛 我亦在彼攝取中 煩悩障眼雖不見 大悲无倦常照我


【書き下し文】
 極重の悪人はただ仏を称すべし。われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。

【現代語訳】
 「きわめて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、煩悩がわたしの眼をさえぎって、見たてまつることができない。しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる」と述べられた。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 「極重」等とは、同じく『集』の下の本、大門第八念仏証拠門の中で十文を出すうち、四に『観経』に依って文を出し、解釈する「極重悪人無他」以下の四言四句の要文の意である。「我亦」等とは、同じく『集』の上の末、大門第四正修念仏の章段の中で五門あるうち、中の末、第四に観察門を明かすのに三つある。それらは別相観、総想観、雑略観である。その雑略観にかの『観経』の「一一光明遍照」等の文を引いて、その下に解釈する「我亦在彼摂取」以下の四言六句二十四字の意である。(和訳六要鈔一三四頁、宗祖部二七二~二七三頁)

《正信偈大意》
 「極重悪人唯称仏」といふは、極重の悪人は他の方便なし、ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得よといへる文のこころなり。「我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」といふは、真実信心をえたるひとは、身は娑婆にあれどもかの摂取の光明のなかにあり。しかれども、煩悩まなこをさへてをがみたてまつらずといへども、弥陀如来はものうきことなくして、つねにわが身を照らしましますといへるこころなり。(註釈版一〇三七頁)


【講義】

◎極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
 「極重悪人唯称仏」以下四句は【現代語訳】に、「きわめて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、煩悩がわたしの眼をさえぎって、見たてまつることができない。しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる」と述べられた。」とあります。
 この四句は、『往生要集』「念仏証拠門」の、「四には、『観経』(意)に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。」(七祖篇一〇九八頁)と、同「正修念仏門」の「雑略観」の「またかの一々の光明、あまねく十方世界の念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまはず。われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ。」(七祖篇九五六~九五七頁)の二文を合わせて四句としています。
 「極重悪人」とは下々品を指し、「唯称仏」とは「仏の名を称えよ」とすすめています。『選択集』「讃嘆念仏章」には、「しかのみならず下品下生はこれ五逆重罪の人なり。しかるによく逆罪を除滅すること、余行の堪へざるところなり。ただ念仏の力のみありて、よく重罪を滅するに堪へたり。ゆゑに極悪最下の人のために極善最上の法を説くところなり。」(七祖篇一二五七~一二五八頁)と述べています。
 親鸞は「化身土文類」に、「しかれば、それ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門(往生要集・下)のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。」(註釈版三八一頁)と述べ、さらに『高僧和讃』「源信讃」には、「極悪深重の衆生は 他の方便さらになし ひとへに弥陀を称してぞ 浄土にうまるとのべたまふ」(註釈版五九五頁)と和讃しています。ちなみに月筌は「極重悪人」について『涅槃経』を引き「四重禁ヲ犯スト及ビ五無間ヲ極重悪ト名ヅク」(『勦説』五二頁)と釈しています。
 「唯称仏」について、慧琳は「問。唯称仏ハ但口称ニシテ信心ナシ。何ソ攝益ヲ得ン。答。汎爾ノ口称ニ非ス。信具ノ行ナリ。故ニ宗家十声ノ称仏ヲ釈シテ。十願十行具足ト云。豈無信ノ口称ナランヤ。」(『帯佩』五七九~五八〇頁)と述べています。

 「我亦」等とは、『往生要集』「正修念仏門」の「雑略観」(三経七祖八〇九頁、七祖篇九五六~九五七頁)の文に拠ります。月筌は「我とは師の自称にしてこゝろ他の信者を兼ぬ、故に亦と云ふ。」(『勦説』五二頁)と、深励は「我トハ源信ナリ。亦トハ、外ノ念仏行者ヘ対シテ亦トノ玉フ。」(『深励』一九三頁)と釈しています。「摂取」とは、如来が「極重悪人」を、どんなことがあっても放したり、捨てたりしないとの意です。『観経』「真身観」には、「一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。」(註釈版一〇二頁)とあります。

 「煩悩障眼雖不見」とは、煩悩の雲に眼をさえぎられて、如来の大慈悲のはたらきを見ることができない、との意です。親鸞は『高僧和讃』「源信讃」に、「煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」(註釈版五九五頁)と和讃しています。
 普門は「煩悩障眼」を「内著煩悩」「外著煩悩」で釈し(『發覆』二四一頁)、また、僧叡は「「煩悩」等とは疑を釈す。」といい、「不見」の「見」は「肉眼」でなく「心見」であると釈しています(『要訣』五〇九頁)。

 「大悲無倦常照我」は「依経段」の「摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天」(註釈版二〇四頁)と同趣旨です。つまり、雲、霧があって、太陽のすがたは見えないけれども、昼と夜を誤ることはないし、ふたたび道をふみ迷うこともない、と譬喩で語られています。
 親鸞は『往生要集』「雑略観」の「我亦在彼摂取之中煩悩障眼雖不能見大悲無倦常照我身」(三経七祖八〇九頁、七祖篇九五六~九五七頁)の文を、『尊号真像銘文』にて、「「我亦在彼摂取之中」といふは、われまたかの摂取のなかにありとのたまへるなり。「煩悩障眼」といふは、われら煩悩にまなこさへらるとなり。「雖不能見」といふは、煩悩のまなこにて仏をみたてまつることあたはずといへどもといふなり。「大悲無倦」といふは、大慈大悲の御めぐみ、ものうきことましまさずと申すなり。「常照我身」といふは、「常」はつねにといふ、「照」はてらしたまふといふ。無礙の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり。つねにてらすといふは、つねにまもりたまふとなり。「我身」は、わが身を大慈大悲ものうきことなくして、つねにまもりたまふとおもへとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらはしたまふなり。「念仏衆生摂取不捨」(観経)のこころを釈したまへるなりとしるべしとなり。」(註釈版六六二~六六三頁)と釈しています。
 なお、『往生要集』「雑略観」の文は「我亦在彼摂取之中煩悩障眼雖不能見大悲無倦常照我身」とありますが、親鸞は『正信念仏偈』において「我亦在彼摂取中」「煩悩障眼雖不見」「大悲無倦常照我」と、「之」「能」「身」の三字を省略しています。これについて恵然は「我亦等は、集雑略観の文。今、かの之能身の三字を略し、七言の偈となす。」(『會鈔』三一五頁)と、また慧琳は「集ハ八字句、今ハ七言、故ニ之能身ノ三字ヲ略ス。」(『帯佩』五八〇頁)と解説しています。
by jigan-ji | 2015-08-13 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[138]    2015年 08月 09日
 補遺[90] 6 源信の教え  ⅱ 報化二土の弁立

 正信偈講読[40](2013年10月7日)を補足します。


ⅱ 報化二土の弁立

【本文】
 專雑執心判浅深 報化二土正辯立

【書き下し文】
 専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。

【現代語訳】
 さまざまな行をまじえて修める自力の信心は浅く、化土にしか往生できないが、念仏一つをもっぱら修める他力の信心は深く、報土に往生できると明らかに示された。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 「専雑」以下の三行六句は、別して『要集』に依ってその義趣をのべる。「専雑」等とは、その『集』の下の末に『群疑論』の問答を引き、雑修の人は執心不牢にして懈慢国に生じ、専行の人は執心牢固にして極楽国に生まれることを明かす。これは専雑二修の得失を判別し、また報化二土の得失を弁立するところの文である。(和訳六要鈔一三四頁、宗祖部二七二頁)

《正信偈大意》
 「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」といふは、雑行雑修の機をすてやらぬ執心あるひとは、かならず化土懈慢国に生ずるなり。また専修正行になりきはまるかたの執心あるひとは、さだめて報土極楽国に生ずべしとなり。これすなはち、専雑二修の浅深を判じたまへるこころなり。『和讃』(高僧和讃・九三)にいはく、「報の浄土の往生は おほからずとぞあらはせる 化土に生るる衆生をば すくなからずとをしへたり」といへるはこのこころなりとしるべし。(註釈版一〇三六~一〇三七頁)


【講義】

◎専雑執心判浅深
 「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」は【現代語訳】に「さまざまな行をまじえて修める自力の信心は浅く、化土にしか往生できないが、念仏一つをもっぱら修める他力の信心は深く、報土に往生できると明らかに示された」とあります。この二句は、行業の専雑と信心の浅深によって報化二土を判じた釈功を讃じます。普門は「これ則ち専雑は能修の因、二土はこれ所至の浅深なり。」(『發覆』二三八頁)と釈しています。
 「専雑執心判浅深」は、『往生要集』の「凡下難生問答」に拠ります。すなわち、「問ふ。もし凡下の輩もまた往生することを得ば、いかんぞ、近代、かの国土において求むるものは千万なるも、得ることは一二もなきや。答ふ。綽和尚(道綽)のいはく(安楽集・上意)、「信心深からずして、存ぜるがごとく、亡ぜるがごときゆゑに。信心一ならずして、決定せざるがゆゑに。信心相続せずして、余念間つるがゆゑに。この三、相応せざるものは、往生することあたはざるなり。もし三心を具して往生せずといはば、この処あることなからん」と。導和尚(善導)のいはく(礼讃)、「もしよく上のごとく念々相続して命を畢ふるを期となすものは、十はすなはち十生じ、百はすなはち百生ず。もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、百にして時に希に一二を得、千にして時に希に三五を得」と。」(七祖篇一一二五~一一二六頁)とあるに拠ります。
 「専雑」とは専修と雑修の意です。専修とは専ら念仏の一行を修すること。雑修とは念仏以外の余の諸行をまじえて修することです。専雑二修の説は善導によります。『往生礼讃』前序の「専雑得失」(七祖篇六五九~六六〇頁)では専修には四得(①外の雑縁なくして正念を得るがゆゑに、②仏の本願と相応することを得るがゆゑに、③教に違せざるがゆゑに、④仏語に随順するがゆゑなり。)があり、雑修の者には十三の失(①雑縁乱動するによりて正念を失するがゆゑに、②仏の本願と相応せざるがゆゑに、③教と相違せるがゆゑに、④仏語に順ぜざるがゆゑに、⑤係念相続せざるがゆゑに、⑥憶想間断するがゆゑに、⑦回願慇重真実ならざるがゆゑに、⑧貪・瞋・諸見の煩悩来り間断するがゆゑに、⑨慚愧・懺悔の心あることなきがゆゑなり。懺悔に三品あり。一には要、二には略、三には広なり。下につぶさに説くがごとし。意に随ひて用ゐるにみな得たり。⑩相続してかの仏恩を念報せざるがゆゑに、⑪心に軽慢を生じて業行をなすといへども、つねに名利と相応するがゆゑに、⑫人我おのづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに、⑬楽ひて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆゑなり。)があるといい、「余、このごろみづから諸方の道俗を見聞するに、解行不同にして専雑異なることあり。ただ意をもつぱらにしてなせば、十はすなはち十ながら生ず。雑を修して至心ならざれば、千がなかに一もなし。この二行の得失、前にすでに弁ぜるがごとし。仰ぎ願はくは一切の往生人等よくみづから思量せよ。」(七祖篇六六〇頁)と述べています。
 親鸞は『一念多念文意』に、「専修は、本願のみなをふたごころなくもつぱら修するなり。修は、こころの定まらぬをつくろひなおし、おこなふなり。専はもつぱらといふ、一といふなり。もつぱらといふは、余善・他仏にうつるこころなきをいふなり。」(註釈版六八七頁)と述べています。
 「執心」とは、一般には「とらわれの心」の意ですが、ここでは執は執持の意で「心にかけ持つ事」の意で「信心」を意味します。『浄土文類聚鈔』には『小経』の「執持名号」を釈して、「「執」といふは心堅牢にして移らず、「持」といふは不散不失に名づく。ゆゑに「不乱」といへり。執持はすなはち一心なり。一心はすなはち信心なり。」(註釈版四九五頁)と釈しています。よって「専雑執心」とは専修の信心、雑修の信心の意です。
 「浅深」とは「化身土文類」に、「深とは利他真実の心これなり、浅とは定散自利の心これなり。」(註釈版三九三頁)とあります。つまり専修の信心は深い利他真実の心であり、雑修の信心は浅い定散自利の心です。
 月筌は「浅深とは、雑修(助正兼行)雑心(定散諸善)之を浅と為し、専修(称名)専心(信楽)之を深と為す」(『勦説』五〇頁)と述べ、深励は「正雑二行ハ行体テ分レル。浄土ノ行ヲ修スルカ正行ト云ヤウニ行体テ分レ、又専雑二修ハ機ノ上テ分レル」(『深励』一九二頁)と釈しています。
 また、法霖は「専雑執心判浅深」を釈して、「本朝に専雑の得失を判ずるは、今師(源信)をもって首唱となす。」(『捕影』六八頁)と釈しています。
 隨慧は「専トハ専行、スナハチ念仏ナリ。雑トハ雑業。定散ノ諸善及ヒ助正間雑スルモ。ミナ雑ト名ヅク。執心トハ、若ハ専、若ハ雑、各ソノ行業ヲ修スル能修ノ心ナリ。判浅深トハ、専行執持ノ心ヲ深トシ、雑業ヲ執持スル心ヲ浅トス。専行ノモノハ、執心牢固ナルカ故、報土ニ生シ、雑業ノモノハ、執心不牢固ノユヘニ、化土ニ生ストナリ。(中略)専雑ハ行ニツイテ示シ、浅深ハ執心ノ牢固不牢固ニツイテ分ツ。(中略)文類ニハ「得失ヲ専雑ニ決判シテ、念仏ノ真実門ニ回入セシム。タダ浅深ヲ執心ニ定メテ、報化二土マサシク弁立セリト。」(註釈版四八八頁)コレ行ト心トヲ具ニ開説スルナリ。」(『説約』四二二~四二三頁)と釈しています。


◎報化二土正弁立
 「報化二土」とは、報土と化土の意です。ただし、ここでいう報土・化土は、一般仏教の法・報(応)・化の三身三土ではなく、専修・雑修の結果として、阿弥陀仏の浄土のなかに真実(報土)と方便(化土)を分けたもので「報中の化」といわれます。故に隨慧は、「是報中ノ化ニシテ、第三ノ化ニハ非ス。故ニ西河・光明ノ是報非化ノ定量ニソムカス。」(『説約』四二三頁)と釈しています。
 一般に仏の世界は三種類に分けられます。①法身の土、すなわち、法性真如の世界で、色も形もない、人間の認識では把握できない世界です。②報土(報身の土)、すなわち、誓願と修行に報いて成立した世界。阿弥陀仏の浄土などです。③応化土(応化身の土)、すなわち、教化しようとする衆生に応じて仏が出現された世界。この世界は釈尊が応化の身をもって出現された応化の世界。応土とも化土ともいわれます。
 『大経』「胎化得失」には、仏智の不思議を疑惑するものの往生である「胎生」と、明らかに仏智を信ずるものの往生である「化生」を論じて、「その時に、慈氏菩薩(弥勒)、仏にまうしてまうさく、「世尊、なんの因なんの縁ありてか、かの国の人民、胎生・化生なる」と。仏、慈氏に告げたまはく、「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修して、かの国に生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じ、善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて、寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見ず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。もし衆生ありて、あきらかに仏智乃至勝智を信じ、もろもろの功徳をなして信心回向すれば、このもろもろの衆生、七宝の華のなかにおいて自然に化生し、跏趺して坐し、須臾のあひだに身相・光明・智慧・功徳、もろもろの菩薩のごとく具足し成就せん。」(註釈版七六~七七頁)と述べています。
 道綽は『安楽集』「第一大門」の「三身三土」にて、「問ひていはく、いま現在の阿弥陀仏はこれいづれの身ぞ、極楽の国はこれいづれの土ぞ。答へていはく、現在の弥陀はこれ報仏、極楽宝荘厳国はこれ報土なり。しかるに古旧あひ伝へて、みな阿弥陀仏はこれ化身、土もまたこれ化土なりといへり。これを大失となす。」(七祖篇一九一頁)といい、さらに「いまこの無量寿国はこれその報の浄土なり。仏願によるがゆゑにすなはち上下を該通して、凡夫の善をしてならびに往生を得しむることを致す。上を該ぬるによるがゆゑに、天親・龍樹および上地の菩薩またみな生ず。」(七祖篇一九六~一九七頁)と述べています。
 また、善導は『玄義分』にて、「問ひていはく、弥陀の浄国ははたこれ報なりやこれ化なりや。答へていはく、これ報にして化にあらず。いかんが知ることを得る。『大乗同性経』(意)に説きたまふがごとし。「西方安楽の阿弥陀仏はこれ報仏・報土なり」と。また『無量寿経』(上・意)にのたまはく、「法蔵比丘、世饒王仏の所にましまして菩薩の道を行じたまひし時、四十八願を発したまへり。一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」と。いますでに成仏したまへり。すなはちこれ酬因の身なり。」(七祖篇三二六頁)と述べ、さらに、「問ひていはく、かの仏および土すでに報といはば、報法は高妙にして、小聖すら階ひがたし。垢障の凡夫いかんが入ることを得ん。答へていはく、もし衆生の垢障を論ぜば、実に欣趣しがたし。まさしく仏願に託してもつて強縁となすによりて、五乗をして斉しく入らしむることを致す。」(七祖篇三三〇頁)と述べています。
 月筌(『勦説』五〇頁)もいうように、道綽と善導は弥陀の浄土を報土となし、未だ顕露に報土と化土の差異を分けてはいません。それは、聖道の諸師が弥陀の浄土を化土とし、また報土であっても具縛の凡夫の往生は許さない等の謬解に対する反論を中心としたからと思われます(七祖篇一一〇九頁「極楽依正」参照)。
 それに対して、源信は『往生要集』の「報土懈慢問答」にて、「問ふ。『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方にこの閻浮提を去ること十二億那由他して懈慢界あり。国土快楽にして、倡妓楽を作り、衣被・服飾・香華をもつて荘厳せり。七宝転開の床あり。目を挙げて東を視れば、宝床随ひて転ず。北を視、西を視、南を視るにもまたかくのごとく転ず。前後に意を発せる衆生の、阿弥陀仏国に生れんと欲するもの、みな深く懈慢国土に着して、前進して、阿弥陀国に生るることあたはず。億千万の衆、時に一人ありてよく阿弥陀仏の国に生ず」と。以上 この『経』(菩薩処胎経)をもつて准ずるに、生ずることを得べきこと難し。答ふ。『群疑論』に、善導和尚の前の文を引きて、この難を釈して、またみづから助成していはく、「この『経』(菩薩処胎経)の下の文にのたまはく、〈なにをもつてのゆゑに。みな懈慢によりて執心牢固ならず〉と。ここをもつて知りぬ、雑修のものは執心不牢の人となすなり。ゆゑに懈慢国に生ず。もし雑修せずして、もつぱらにしてこの業を行ぜば、これすなはち執心牢固にして、さだめて極楽国に生ぜん。乃至 また報の浄土に生るるものはきはめて少なし。化の浄土のなかに生るるもの少なからず。ゆゑに経に別に説けり。実には相違せず」と。」(七祖篇一一二六~一一二七頁)述べています。
 先の『往生要集』「凡下難生問答」は専・雑の二修の因について十即十生等の果を判じ、後の「報土懈慢問答」は報化の二土の果を挙げ執心の牢否の因を弁じています。
 『高僧和讃』「源信讃」には「本師源信和尚は 懐感禅師の釈により 『処胎経』をひらきてぞ 懈慢界をばあらはせる」「専修のひとをほむるには 千無一失とをしへたり 雑修のひとをきらふには 万不一生とのべたまふ」「報の浄土の往生は おほからずとぞあらはせる 化土にうまるる衆生をば すくなからずとをしへたり」(註釈版五九四頁)と和讃しています。
 源信のいう化土とは、一般仏教でいう報土(報身の土)を二つに分けた場合の一つを報土(真実の浄土)といい、その二を化土といった場合の化土で、親鸞はこの「化土」を、『正像末和讃』「誡疑讃」(註釈版六一〇頁以下)にて「辺地(真実の境地でない意)」「懈慢・疑城(仏智を信じないものの行く世界の意)」「胎宮(本願を疑惑した罪によって、ちょうど母の胎内にあって外界を味わうことができない状態に譬えた)」などと和讃しています。
 親鸞はこの源信の報土・化土の理解を承けて、さらに願の真仮、機の信疑によって報化二土を分けました。「行文類」に、「おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不可思議一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。」(註釈版二〇二頁)と、「真実の行信」で「真仏土」、すなわち「報土」に生まれ、「方便の行信」で「化身土」、すなわち「化土」に生まれることが明かされています。その「真実の行信」による往生が「難思議往生」であり、その方便の第十九願の往生が「双樹林下往生」、第二十願の往生が「難思往生」というわけです。
 親鸞は『親鸞聖人御消息』に「仏恩のふかきことは、懈慢辺地に往生し、疑城胎宮に往生するだにも、弥陀の御ちかひのなかに、第十九・第二十の願の御あはれみにてこそ、不可思議のたのしみにあふことにて候へ。」(註釈版七四九頁)と述べ、さらに『三経往生文類』に「観経往生といふは、修諸功徳の願(第十九願)により、至心発願のちかひにいりて、万善諸行の自善を回向して浄土を欣慕せしむるなり。しかれば、『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏を説きて、九品往生をすすめたまへり。これは他力のなかに自力を宗致としたまへり。このゆゑに観経往生と申すは、これみな方便化土の往生なり。これを双樹林下往生と申すなり。」(註釈版六三〇~六三一頁)と釈し、さらに「弥陀経往生といふは、植諸徳本の誓願(第二十願)によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号を選びて万善諸行の少善をさしおく。しかりといへども、定散自力の行人は、不可思議の仏智を疑惑して信受せず。如来の尊号をおのれが善根として、みづから浄土に回向して果遂のちかひをたのむ。不可思議の名号を称念しながら、不可称不可説不可思議の大悲の誓願を疑ふ。その罪ふかくおもくして、七宝の牢獄にいましめられて、いのち五百歳のあひだ、自在なることあたはず、三宝をみたてまつらず、つかへたてまつることなしと、如来は説きたまへり。しかれども、如来の尊号を称念するゆゑに、胎宮にとどまる。徳号によるがゆゑに難思往生と申すなり。不可思議の誓願、疑惑する罪によりて難思議往生とは申さずと知るべきなり。」(註釈版六三五頁)と釈しています。
 また、「真仏土文類」には、「選択本願の正因によりて、真仏土を成就せり。真仏といふは、『大経』(上)には「無辺光仏・無礙光仏」とのたまへり、また「諸仏中の王なり、光明中の極尊なり」(大阿弥陀経・上)とのたまへり。(中略)仮の仏土とは、下にありて知るべし。すでにもつて真仮みなこれ大悲の願海に酬報せり。ゆゑに知んぬ、報仏土なりといふことを。まことに仮の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。これを方便化身・化土と名づく。」(註釈版三七二~三七三頁)といい、「化身土文類」には、「つつしんで化身土を顕さば、仏は『無量寿仏観経』の説のごとし、真身観の仏これなり。土は『観経』の浄土これなり。また『菩薩処胎経』等の説のごとし、すなはち懈慢界これなり。また『大無量寿経』の説のごとし、すなはち疑城胎宮これなり。」(註釈版三七五頁)と明かしています。
 恵然は「この仮願より成ず。故に報中の化、第三の化に非ず。故に祖師真仮の名を立てる。」(『會鈔』三一四頁)と釈しています。
 「正弁立」について、恵空は「弁立とは廃立と云ふ如し。彼の判の釈意、雑修浅心を捨てて専修深心を立てしめん為。故に弁立と云ふなり。」(『略述』三七頁)と釈し、月筌は「正弁立とは、弁とは別なり判なり、此れ専雑の因、報化の果を感ずることを判じ、及び迦才の釈に朋うて意彼土に二土の差あることを存することを示す」(『勦説』五二頁)と釈し、隨慧は「報化ハ行ニ在テ土ニアラス。故ニ今専雑執心乃至正弁立ト云フ。」(『説約』四二三~四二四頁)と釈し、僧叡は「「正弁立」とは専雑の因を以て報化の果を弁ず。専雑の因とはさきにいう三願(第十八願・第十九願・第二十願、池田注)なり。」(『要訣』五〇六頁)と釈しています。
 また、若霖は「祖師の所謂化とは報中に於て化を開く、その真実願因に酬ふを真報と為し、方便願因に酬ゆるを化報と為す(亦仮報と名く)」(『文軌』六頁)と釈しています。
 以上、四十八願中の三願と専雑二修の因と報化二土の果を因果対配して図示しますと、左のようになります。

  専修───深心(執心牢固)────報土─────── 第十八願
   雑修───浅心(執心不牢)────化土─────── 第十九願、第二十願


[補遺] 「懈慢国」とは
 普門(1636~1692)は「報化二土」を釈するなかで「懈慢国」について、次のような問答をもうけています。

 問ふ。懈慢とは如何なる義や。答ふ。つぶさには下に述べるがごとし。これ人に約し名を得る。問ふ。前後に意を発せる(七祖篇一一二七頁、三経七祖部八九八頁)とは何。答ふ。古今の人、往生を望む者なり。問ふ。心不牢の者、深く懈慢に著すれば、浄土に生るとは、途中で懈慢国を見、彼に著すや。答ふ。懈慢とは、平生の業が、彼に熟すゆゑえに、臨終の時、彼の影像が現れるか。しかれば途中で、これを見るに非ざるなり。(『發覆』二三九頁)

 普門は、執心不牢の人は懈慢国に生ずといわれるが、懈慢国とは、平生業(=念仏)で浄土に行く途中にあるのかと問い、それに対して、懈慢国は、臨終の時に、その「影像」が現れるのではないかと解し、よって、懈慢国は浄土への途中で見るものではない、といいます。
 普門は「影像」という用語の定義を施していませんが、普門のいう「影像」は、少なくとも肉体や物質の位相の概念ではなく、精神や心の位相の概念として用いられているように思います。
 ちなみに善導は『往生礼讃』にて、「弥陀の身心法界にあまねし。衆生の心想のうちに影現したまふ」(七祖篇七〇一頁)と述べ、親鸞は『浄土和讃』にて「無明の大夜をあはれみて 法身の光輪きはもなく 無礙光仏としめしてぞ 安養界に影現する」(註釈版五七二頁)と和讃しています。「衆生の心想のうちに影現したまふ」とありますから、普門のいう「影像」も、精神や心の位相の概念、言い換えれば、「衆生の心想」の「影像」と言えましょうか。
 後に、隨慧は「報化ハ行ニ在テ土ニアラス。故ニ専雑執心乃至正弁立ト云フ。」(『説約』四二三~四二四頁)と釈しています。隨慧においても報化二土は、単なる物質的・空間的な場所としてのテーマではなく、行的・精神的な「衆生の心想」の課題として釈しています。
 「懈慢国」を「影像」という用語で把握した普門の「懈慢国」理解は、近代に生きた金子大栄(1881~1976)の『浄土の観念』の「観念」という用語に先んじた「浄土」理解として、大変興味深く思います。
by jigan-ji | 2015-08-09 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[137]    2015年 08月 08日
 補遺[89] 6 源信の教え ⅰ 浄土往生を勧む

 正信偈講読[39](2013年10月6日)を補足します。


6 源信の教え

ⅰ 浄土往生を勧む

【本文】
 源信廣開一代教 偏歸安養勧一切

【書き下し文】
 源信広く一代の教を開きて、ひとへに安養に帰して一切を勧む。

【現代語訳】
 源信和尚は、釈尊の説かれた教えを広く学ばれて、ひとえに浄土を願い、また世のすべての人々にもお勧めになった。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 楞厳の讃の中で、はじめの二句は諸教の中で安養に帰すことを選び、ひとえに西方を勧めたことを標す。(和訳六要鈔一三四頁、宗祖部二七二頁)

《正信偈大意》
 「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」といふは、楞厳の和尚(源信)は、ひろく釈迦一代の教を開きて、もつぱら念仏をえらんで、一切衆生をして西方の往生をすすめしめたまへり。(註釈版一〇三六頁)

【講義】

◎源信広開一代教
 源信讃は八句からなります。恵然は「初の四句は教。第五句は行。六七八句は現益を示現す。」(『會鈔』三一三頁)と述べています。
 「源信広開一代教」は【現代語訳】に「源信和尚は、釈尊の説かれた教えを広く学ばれて」とあります。
 源信(九四二~一〇一七)は大和の葛木下郡当麻に生まれました。父は卜部正親。幼名を千菊丸といいました。「源信」は諱です。「化身土文類」では「楞厳の和尚」(註釈版三八一頁)、『弥陀如来名号徳』には「恵心院の僧都」(註釈版七二七頁)とあり、『親鸞聖人御消息』には「恵心院の和尚」(註釈版七四七頁)、『正信偈大意』には「楞厳の和尚」(註釈版一〇三六頁)とあります。
 源信の伝記については、真宗では玄智(一七三四~一七九四)の『浄土真宗七高祖伝』「源信僧都伝」(『真宗全書』第六十六巻所収)が広く知られています(『迎法幢』三四五頁以下を参照して下さい)。
 源信は九歳の時比叡山に登り、当時の碩学良源の門で研学に専念しました。その英才は師に認められ、十五歳にして、時の帝、村上天皇の勅を奉じて八講の師となり、宮中において『称讃浄土経』を講じ大いに名声を博したといわれます。帝から布帛の賞を賜り、それを郷里の母に送ったところ、母はそれを受けず、かえってこのことを嘆き、「後の世を導く僧とたのみしに、世渡る僧となるぞ悲しき」という歌をそえてこれを返されたといいます。源信は母の言葉に悔悟し、それからは横川の首楞厳院にこもり、名利をはなれて専ら仏道の修行に励みました。その後源信は出離の道はただ念仏の一門によるよりほかはないことを体得され、身は天台にありながら、心は偏に念仏門に歸し、称名念仏をすすめました。良源門下が恵心流と檀那流にわかれたとき、源信は檀那流の覚運とならんで恵心流の鼻祖となり、その天台教学史上に画期的な業績を発揮しました。
 なお、恵然は「此の師の伝記、具には仏祖統紀、及び釈書等の如し。」(『會鈔』三一三頁)と述べるとともに、源信を「六祖」とする理由について、「通別」の理由を挙げて、次のように述べています。

 問ふ。他の伝うるところの浄土の付法は、導(善導)より空(源空)に伝ふ。今、何ぞ此の師(源信)伝灯となすや。答ふ。此に通別あり。通に謂ふ。黒谷浄土宗を開く、もと要集より諸伝載せるところ、この故に祖となす。選択集所載の血脈これ唐土の次第 別に謂ふ。吾祖もと本願の真仮に由って報中の化を立つ。その本、大経及び綽公導師の説にありと雖も、具に文義を判ずるは特に要集にあり。故に讃及び偈等、皆楞厳師に依る。以て真仮を弁ず。これ特に相承となす所以なり。(『會鈔』三一三~三一四頁)

 隨慧は「惠心院ハ御房ノ御名ナリ。(中略)伝ハ元享釈書・江匡房続往生伝・仏祖統紀第十二・等ノコトシ。他流イマタ此師ヲ相承トセス。吾祖コレヲ第六祖トスルコトハ、吉水大師ノ浄土真宗ヲ興シ給フコト、偏ニ信和尚ノ指南ニヨレリ。ソノ旨黒谷伝六初号ニミヘタリ。故ニ詮要・料簡・等ヲ著シテ要集ヲ釈ス。語燈録ニノスル上人ノ語ニ云フ。「源空ハ大唐ノ善導和尚ノ教ニ順シ。本朝ノ恵心ノ先徳ノ勧ニ任テ、称名念仏ノツトメ長日六萬辺ナリ」ト。古徳伝に云フ。源空上人云フ。「予往生要集ヲ先達トシテ浄土門ニイルナリ」ト。ソノ上吾祖報中ニ真仮ヲ分ツコト、ソノ源ト西河・光明ニ祖述スト云ヘトモ、具ニ文義ヲ判シテ報化二土ヲ弁立スルコトハ、独リ要集ニアリ。祖師コヽニ根柢ス。故ニコノ偈及文類和讃ニ報化ヲ弁立スルハ信和尚ノ功トス。尤モ伝燈トスヘキモノナリ。」(『説約』四二一~四二二頁)と釈しています。
 「広開等」とは、若霖は、「広開等とは難を捨てゝ易を取り、且つ果の勝妙にして因の速かに成ずるに就かんと欲するが故に広く開くなり、一代教の中に於て撰んで浄土の教行に従ひ、浄土の行の中に復た唯称名を宗と為すなり」(『文軌』七六頁)と釈し、隨慧は「廣開等トハ、自行化他、安養ヲ所帰トシ。念仏ヲ最要トス。(中略)廣開テ偏ニ帰ス。亦他ヲ勧ムルユエンナリ。イカンカ勧ムトナラハ。集ニ曰「今、念仏ヲ勧ムルコトハ、コレ余ノ種々ノ妙行ヲ遮スルニハ非ズ。タダコレ男女貴賤、行住坐臥ヲ簡バズ、時處諸縁ヲ論ゼズシテ、コレヲ修スルニ難カラズ、乃至、臨終ニ往生ヲ願求スルニ、ソノ便宜ヲ得タルハ念仏ニハシカジ。」(七祖篇一〇九六頁)ト。」(『説約』四二二頁)と釈しています。
 「一代教」とは、釈尊が生涯にわたって説かれた教えのことで、仏教全般を指します。すなわち、『往生要集』巻頭に、「それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、たれか帰せざるものあらん。ただし顕密の教法、その文、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。利智精進の人は、いまだ難しとなさず。予がごとき頑魯のもの、あにあへてせんや。このゆゑに、念仏の一門によりて、いささか経論の要文を集む。これを披きこれを修するに、覚りやすく行じやすし。総べて十門あり。分ちて三巻となす。」(七祖篇七九七頁)と述べ、以下に九百五十二文の経論釈の引文がある故に「源信広開一代教」というわけです。
 『念仏正信偈』には「諸経論によりて教行を撰びたまふ。まことにこれ濁世の目足たり。(依諸経論撰教行 誠是為濁世目足)」(註釈版四八八頁、宗祖部四五〇頁)とあります。また、『高僧和讃』「源信讃」には「本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに 念仏一門ひらきてぞ 濁世末代をしへける」(註釈版五九四頁)と和讃しています。


[補遺] 法然の『往生要集』理解について
 法然の『往生要集』理解について述べておきたく思います。
 法然の著作や法語を収集した『西方指南抄』には、「余宗の人浄土門にその志しあらむには、先づ『往生要集』をもて、これをおしふべし。そのゆへは、この書はものにこころえて、難なきやうにその面をみえて、初心の人のためによき也。雖然真実の底の本意は、称名念仏をもて、専修専念を勧進したまへり。善導と一同也。」(拾遺部上一三六頁)とあります。また、浄土真宗の立場から書かれた法然の伝記である『拾遺古徳伝』には、「このゆへに予(法然・池田注)『往生要集』を先達として浄土門にいるなりと。」(歴代部六七八頁)とあります。
 さらに法然は『往生要集』を解説した『往生要集大綱』にて、「この『往生要集』について広と略と要とあり。広とは、この一部三巻に序・正・流通あり、厭離等の十門を束ねてもつて広と名づく。(中略)また略とは、助念方法の中の総結要行の七法これなり。(中略)要とは、念仏の一行に約して勧進する文これなり。」(拾遺部上三九五~四〇一頁)と述べています。
 すなわち、「広例」とは『往生要集』の十門七十科で、観念を以て正となし、称名を助とします。したがって「広例」の立場からは、称名念仏は劣機のもののために説かれた教えということになります。
 「略例」とは、助念方法の中の総結要行(七祖篇一〇三〇頁以下)の、①大菩提心、②護三業、③深信、④至誠、⑤常、⑥念仏、⑦随順の七法(七種の要行)です。ここでは称名正業を示し、観を以て助業とします。
 七法について詳説しますと、①大菩提心は、正修念仏中の作願門(七祖篇九〇二頁以下)に示されています。②護三業は、これは止悪修善のなか(七祖篇一〇〇四頁以下)の止悪の辺を取って護三業といいます。③深信は、これは大文第五「助念方法」の中の修行相貌の四修・三心を明かすなかの三心の第二の深心(七祖篇九七〇頁)です。④至誠は、これは三心のなか第一の至誠心(七祖篇九七〇頁)です。⑤常は、これは四修のなかの第三の無間修(七祖篇九六七頁)です。同文に「『要決』(西方要決)にいはく、「いはく、つねに仏を念じて往生の心をなせ。一切の時において、心につねに想ひ巧め。」(七祖篇九六七頁)とあります。⑥念仏は、これは大文第四「正修念仏」(七祖篇八九七頁以下)のなかの第四観察門(七祖篇九三四頁以下)に明かしてあります。その念仏について観念と口称とがありますが、今は「仏を称念するは、これ行の善なり。」(七祖篇一〇三一頁)とあるように口称です。⑦随願は、これは三心のなかの第三の回向発願心(七祖篇九七〇頁)です。『往生要集』には迦才の『浄土論』を引用し、「たとへば、竜の行くに、雲すなはちこれに随ふがごとく、心もし西に逝けば、業またこれに随ふ」(七祖篇九七〇頁)とあり、願心に由り往生の行となると釈しています。これを総結要行には「業は願によりて転す。」(七祖篇一〇三一頁)と釈し、随願が肝要であることを示しています。しかし、この称名念仏はなお前後の六法の助けをかりねばならない念仏、すなわち助念仏の位にあり、独立した他力念仏の行業ではありません(福原蓮月『往生要集の研究』一三六~一四〇頁参照)。
 そして「念仏の一行」に約する「要例」は、第四門の極略観(註釈版九五七頁)に「一心称念」を明かし、さらに、第八門「念仏証拠」に「二には、『双巻経』(大経・下)の三輩の業、浅深ありといへども、しかも通じてみな「一向にもつぱら無量寿仏を念じたてまつれ」とのたまへり。三には、四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく(同・上意)、「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。四には、『観経』(意)に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。」(七祖篇一〇九八頁)と述べ、『大経』の三輩段には共に「一向専念無量寿仏」と称名念仏が説かれ、また念仏往生が誓われた第十八願は、四十八願中、特別な願であると重視され(別発一願の文)、そして『観経』下下品の意を汲んで極重悪人は称名念仏の他に道なしと明かされています。
 親鸞はこの「念仏証拠」の三文を「行文類」(註釈版一八四頁)に引用し、「化身土文類」には「しかれば、それ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門(往生要集・下)のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。」(註釈版三八一頁)と述べています。親鸞は「要例」の立場で『往生要集』を理解されていることが知られます。
 僧叡は、この「広・略・要」を解説して、「初めの広例とは観を以て正となす。称名はこれ傍、これは『観経』の顕説第十九願義に順ず。次に略例とは前の広と反す。称名を正となす、その余はこれ助なり、念仏為本と曰へるが故に、此は「小経」の顕説第二十願の意に順ず、後の要例とは一切皆廃し、ただ称のみこれ存す。故に釈に云、「三に要とは念仏一行に約して勧進する文これなり。・・・・・・私かに云、恵心理を尽くして往生の得否を定めるには善導和尚の専修正行の文を以て指南となすなり」等と、この故に第十八願他力の念仏なり。故に本願を引いて極略中を証す。黒谷、念仏為本を承くるは実に此処に於てす。偈主は黒谷についてとる。この中及び「和讃」等の所述、一にこれ要例の意なるのみ。」(『要訣』五〇〇~五〇一頁)と解説しています。


◎偏帰安養勧一切
 「偏帰安養勧一切」は【現代語訳】に「ひとえに浄土を願い、また世のすべての人々にもお勧めになった」とあります。
 「偏帰」とは、「他に帰せざる謂なり」(『捕影』六七頁)で、『往生要集』巻頭の「それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、たれか帰せざるものあらん。」(七祖篇七九七頁)に拠ります。普門は「偏は、一向の義なり。帰は帰入の義なり。勧は勧化なり。」(『發覆』二三七頁)と釈しています。この「偏帰」の偏は、「広開一代教」の広と対になっています。すなわち、一代仏教に通じた源信でさえ、自ら阿弥陀仏の浄土を願生するとともに、他の一切にも浄土往生を勧めたというわけです(『帯佩』五七五頁)。
 「安養」とは、阿弥陀の浄土のこと。『大経』には「安楽」「安養」、『観経』『阿弥陀経』には「極楽」とあります。「勧一切」とは、『往生要集』に「いま念仏を勧むることは、これ余の種々の妙行を遮するにはあらず。ただこれ、男女・貴賤、行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜずして、これを修するに難からず、乃至、臨終に往生を願求するに、その便宜を得たるは念仏にはしかじ。」(七祖篇一〇九六頁)と、浄土往生のための念仏を勧めていることによります。
 『高僧和讃』「源信讃」には「本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに 念仏一門ひらきてぞ 濁世末代をしへける」(註釈版五九四頁)と和讃しています。
 若霖は「諸仏国中に簡びて弥陀の国土に帰するが故に偏帰と云ふ、復た報化を揀びて直ちに報土を以て其所帰と為し、亦他を勧めて帰趣せしむ、故に安養勧一切と云ふ。」(『文軌』七六頁)と釈しています。また、僧叡は「「偏帰安養」とは別して浄土を以て自の所帰となすが故に、「安養」とはいうところの往生極楽の教、自らの所帰となすは「予が如きの頑魯等」といえるが故に、「勧一切」とはその化他を歎じ、道俗貴賤等と云い」(『要訣』五〇一頁)と釈しています。
by jigan-ji | 2015-08-08 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[136]    2015年 08月 07日
 補遺[88] 正信念仏偈と念仏正信偈(その2)

 正信偈講読[50](2013年12月17日)を補足します。

 『教行信証』には「正信念仏偈」とあり、『浄土文類聚鈔』には「念仏正信偈」とあります。この偈題の違いについて正信偈講読[50]にて、稲葉秀賢師の解釈を紹介しました。
 この問題について、仰誓(1721~1794、本願寺派の学僧)は、文献解釈の立場から、次のように述べています。

今偈ヲ正信念仏ト題スルハ、能信能行ノ義。和讃ニ謂フトコロノ真実信心ノ称名ナリ。集三心章ノ次ニ四修章アリ。マタ略書ノ総題ハ、タダ浄土文類聚鈔ト云フ。四法ヲ以テ題目ヲ立テズ。故ニ偈題ニ至テ、教相次第ヲ顕スト為ス。題ニ念仏正信ト言フ。本書(『教行信証』・池田注)ノ総題、既ニ行信次序ヲ顕ス。故ニ偈題ニ至テ、還テ能信能行次第ヲ顕スナリ。亦可。今偈ハ願文ニ順テ、正信念仏ト云フ。[信楽十念] 略書ハ成就文ニ順テ念仏正信ト云フ。[聞其名号信心歓喜] マタ正信堅固ニ由ル故ニ、念仏相続ス。念仏相続ニ由ル故ニ、正信ヲ獲ト知ル。相ヨリ之ヲ言エバ行ハ信ヲ含ム。体ヨリ之ヲ言エバ信ハ行ヲ具ス。行信不離。珠、光アルガゴトシ。之ヲ正信念仏ト曰フ。ホボ、題目ヲ解シオワンヌ。(『正信念仏偈夏爐篇』[『真宗全書』第四十巻所収]、八〇頁、以下『夏爐』と表記)
by jigan-ji | 2015-08-07 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[135]    2015年 07月 27日
 補遺[87] 5 善導の教え ⅲ 信心の利益

 正信偈講読[38](2013年9月4日)を補足します。

 ⅲ 信心の利益

【本文】
 開入本願大智海 行者正受金剛心 慶喜一念相應後 與韋提等獲三忍 即證法性之常樂

【書き下し文】
 本願の大智海に開入すれば、行者まさしく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなはち法性の常楽を証せしむといへり。

【現代語訳】
 「本願の大いなる智慧の海に入れば、行者は他力の信を回向され、如来の本願にかなうことができたそのときに、韋提希と同じく喜忍・悟忍・信忍の三忍を得て、浄土に往生してただちにさとりを開く」と述べられた。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 「行者」等とは、菩薩等覚の後心を指すものではなく、ただ一心念仏の行は一念慶喜金剛の信心であることを明かす。「与韋提」とは、『序分義』の意で、その釈には第三巻の末に載せられているので下に譲る。「三忍」とは、喜と悟と信である。「即証」等とは、『往生礼讃』の前序の釈に「捨此穢身即証」等という意である。(和訳六要鈔一三三~一三四頁、宗祖部二七二頁)

《正信偈大意》
 「開入本願大智海 行者正受金剛心」といふは、本願の大智海に帰入しぬれば、真実の金剛心を受けしむといふこころなり。「慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍 即証法性之常楽」といふは、一心念仏の行者、一念慶喜の信心さだまりぬれば、韋提希夫人とひとしく、喜・悟・信の三忍を獲べきなり。喜・悟・信の三忍といふは、一つには喜忍、二つには悟忍、三つには信忍なり。喜忍といふは、これ信心歓喜の得益をあらはすこころなり。悟忍といふは、仏智をさとるこころなり。信忍といふは、すなはちこれ信心成就のすがたなり。しかれば、韋提はこの三忍の益をえたまへるなり。これによりて真実信心を具足せんひとは、韋提希夫人にひとしく三忍をえて、すなはち法性の常楽を証すべきものなり。(註釈版一〇三五~一〇三六頁)


【講義】

◎開入本願大智海 行者正受金剛心
 「開入本願大智海」以下五句は獲信とその得益を明かします。
 「開入本願大智海 行者正受金剛心」は【現代語訳】に「本願の大いなる智慧の海に入れば、行者は他力の信を回向され」とあります。「開入」とは、開は開示にして、入は悟入の意です。「本願大智海」に気づき、そこに入ることです。『玄義分』には「いま二尊(釈尊・阿弥陀仏)の教に乗じて、広く浄土の門を開く。」(七祖篇二九九頁)、「長劫の苦因を開示し、永生の楽果に悟入せしむ。」(七祖篇三〇〇頁)とあります。
 恵空は「開入は○傍観念法門(七祖篇六三八頁・池田注)開示悟入なり。」(『略述』三二頁)と釈し、さらに、問答をもうけ、「問。悟入は愚者の鏡に非ず、爾れば宗義に違う、如何。答。悟は深智を云ふに非ず、証知(宗祖部四五頁・池田注)の証の如く、又証得往生(三経七祖部五一四頁・池田注)の証の如き。ただ疑惑心無きを悟と云ふ。即ち明了仏智の明了。」(『略述』三二頁)と釈しています。
 慧琳は「開入等ノ二句ヲ。略文類ニハ「入涅槃門値真心」(宗祖部四五〇頁・池田注)ノ一句ニ頌ス。涅槃門即念仏[舟讃曰。念仏即是涅槃門(三経七祖七二〇頁・池田注)]ナレバ。入涅槃門ハ開入ノ句ニ同シ。値真心ハ正受ノ句ニ同シ」(『帯佩』五七〇頁)と釈しています。
 「大智海」とは、弥陀の「本願」、すなわち仏智を海に譬えて「大智海」といいます。善導の『往生礼讃』「初夜讃」には「弥陀の智願海は、深広にして涯底なし。」(七祖篇六七一頁)とあります。この「本願大智海」を、親鸞は『唯信鈔文意』に「仏の智願海」(註釈版七〇〇頁)と語っています。普門は「大智海は、則ちこれ六八(四十八・池田注)の誓願、仏智を顕す故に。弘誓は深く海のごとしというがごとくなり。」(『發覆』二二五頁)と釈し、隨慧は「本願大智海トハ礼讃ニ弥陀ノ智願海ト云フ。スナハチ名号ノ徳海ニ入ル也。(中略)本願ノ大智海ニ開示引入スルナリ。」(『説約』四一八頁)と釈しています。

 「行者正受金剛心」は『玄義分』帰三宝偈の「正受金剛心 相応一念後 果徳涅槃者(まさしく金剛心を受け、相応する一念の後、果徳涅槃のものに)」(三経七祖四四一頁、七祖篇二九八頁)に拠ります。普門は「以下四句、これ弘願他力の勝益を明かすなり。」(『發覆』二二六頁)と述べています。
 「行者」とは、念仏の行者の意です。普門は「行者は念仏修行者なり。」(『發覆』二二六頁)と釈し、隨慧は「行者トハ語観経ニイテタリ。スナハチ哀愍スルトコロノ定散逆悪ノ諸機、玄義ノ道俗時衆等ナリ。」(『説約』四一九頁)と釈しています。「正受」とは、「思惟」(精神統一して浄土の姿を思い浮かべること)が完成して、浄土のすがたが行者の心と一つになること。すなわち「観」が成就することです。恵然は「凡そ正受の名、三昧の異名。観照の心、境處と一なり。」(『會鈔』三一一頁)と釈しています。『観経』流通分には「此経名観極楽国土無量寿仏観世音菩薩大勢至菩薩(この経をば〈極楽国土・無量寿仏・観世音菩薩・大勢至菩薩を観ず〉と名づく。」(三経七祖六六頁、註釈版一一七頁)とあります。
 善導は『観経』の「教我思惟教我正受」(註釈版九一頁)の「正受」を解説し、『玄義分』にて「「正受」といふは、想心すべて息み、縁慮並び亡じて、三昧相応するを名づけて正受となす。」(七祖篇三〇八頁)と釈し、『序分義』にて「「教我正受」といふは、これ前の思想漸々に微細にして、覚想ともに亡ずるによりて、ただ定心のみありて前境と合するを名づけて正受となすことを明かす。」(七祖篇三七八頁)と釈しています。
 恵空は「行者とは前の逆悪及び定散人。廻心して名号の因を得る時、行者の称を受る。正受等とは、玄義に云ふ。正受金剛心相応一念後文。此の文の正受とは三昧漢語、則ち金剛喩定。」(『略述』三二頁)と釈し、月筌は「「行者」とは所哀の諸機なり。正受等とは、正は邪雑の念を離るるを謂ふ、受は仏智の信を領するを謂ふ。」(『勦説』四七頁)と釈し、慧琳は「正受トハ定ノ名。唯善ニシテ悪無記ニ通セス。梵ニ三昧或ハ三摩提。新ニハ三摩地ト云。旧ニ正受。新ニ等持ト云ふ。」(『帯佩』五六九頁)と釈し、隨慧は「正受等トハ正シク他力ノ大信ヲ領納スルナリ。」(『説約』四一九頁)と釈しています。また、僧叡は「「行者」とは有縁の人を挙ぐ。「正受」とは本はこれ三昧の翻語、邪乱を離るを正という。法を領納するを受という。今は則ち聞信の異称なり。」(『要訣』四九六頁)と釈しています。
 「金剛心」とは、他力の信心のこと。ダイヤモンドを金剛石といいますが、決して破壊されることがないものを比喩的にいいました。善導は『散善義』に「この心深信せること金剛のごとくなるによりて、一切の異見・異学・別解・別行の人等のために動乱破壊せられず。」(七祖篇四六四頁)と、『玄義分』に「ともに金剛の志を発して、横に四流を超断すべし。」(七祖篇二九七頁)と、『序分義』に「金剛の志を発すにあらざるよりは、永く生死の元を絶たんや。」(七祖篇三七四頁)と述べ、『定善義』には「「金剛」といふはすなはちこれ無漏の体なり。」(七祖篇四一九頁)と釈しています。
 親鸞は「化身土文類」に「「教我正受」といふは、すなはち金剛の真心なり。」(註釈版三八二頁)と釈し、さらに、「信文類」にて大信心の特質を十二(十二嘆名)挙げるなかで「金剛不壊の真心」(註釈版二一一頁)と述べ、また『散善義』の二河白道の譬喩を解説して、「「能生清浄願心」といふは、金剛の真心を獲得するなり。本願力の回向の大信心海なるがゆゑに、破壊すべからず。これを金剛のごとしと喩ふるなり。」(註釈版二四四頁)と釈しています。
 『高僧和讃』「天親讃」には「信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり」(註釈版五八一頁)と和讃しています。
 覚如は「「金剛心成就」といふ、金剛はこれたとへなり、凡夫の迷心において金剛に類同すべき謂なし。凡情はきはめて不成なり。されば大師(善導)の御釈(序分義 三四〇)には、「たとひ清心を発すといへども、水に画せるがごとし」と云々。」(『改邪鈔』註釈版九四四頁)と釈しています。
 慧琳は「疏主ノ意。等覚ノ金剛心定ニ住スルヲ正受トス。然ルニ祖師ハ義ヲ転シテ。化巻本ニ「言教我正受者。即金剛真心也」ト釈ス。」(『帯佩』五六九頁)と釈しています。なお恵然は「金剛これ喩え、三義を以て釈す。一に不壊の義。即ち堅固義。貪等のために障げらるところにあらざる故に。二に不動義。この心移転せず。外邪[異覚、異見]のために傾動せられず故に。三に無漏義。仏智回向の故に。この金剛心亦真心と名づく。」(『會鈔』三一二頁)と釈しています。


◎慶喜一念相応後 與韋提等獲三忍
 「慶喜一念相応後 與韋提等獲三忍」は【現代語訳】に「如来の本願にかなうことができたそのときに、韋提希と同じく喜忍・悟忍・信忍の三忍を得て」とあります。この二句は信心によって得るところの現世の利益を明かし、後の「即証法性之常楽」は当来の利益を明かします。
 「慶喜」とは信心の異称です。親鸞は「信文類」に「大慶喜心はすなはちこれ真実信心なり。真実信心はすなはちこれ金剛心なり。」(註釈版二五二頁)と、『浄土文類聚鈔』には「真実の浄信を獲れば、大慶喜心を得るなり。」(註釈版四八〇頁)と、また、『親鸞聖人御消息』には「慶喜と申し候ふことは、他力の信心をえて、往生を一定してんずとよろこぶこころを申すなり。」(註釈版八〇六頁)と述べています。また、月筌は「慶喜とは乃ち身心悦豫の貌にして是れ信の用なり。」(『勦説』四七頁)と釈し、隨慧は「慶喜ハ信ノ用ナリ。一念ハ信ノ体ナリ。信心二心無キ故ニ一念ト云フ。玄義ニハ等覚ノ菩薩、金剛定ニ座シテ、一念始覚ノ智起テ、本覚ノ理体ニ相応スルヲ、一念相応ト云フ。今ハ念仏ノ行者、正シク如来廻向ノ金剛心ヲ受レバ、慶喜ノ一念、仏智ニ相応シ本願ニ相応ス。」(『説約』四一九頁)と釈しています。
 「相応後」とは、『玄義分』に「妙覚および等覚の、まさしく金剛心を受け、相応する一念の後、果徳涅槃のものに帰命したてまつる。」(七祖篇二九八頁)とあるのを転用したものです。すなわち、一念慶喜の他力の信心を得た後との意です。恵空はこの「相応後」の後を、「今信とは本願相応の一念に三忍を獲。実に信と倶なる時、得忍すと雖も、説必次第の義によって後と云ふなり。」(『略述』三四頁)と釈しています。

 「與韋提等獲三忍」とは、現世の利益を明かします。「韋提」とは韋提希を指します。釈尊時代のインドのマガダ国、王舎城の頻婆娑羅王の妃で阿闍世の母です。『観経』は、王舎城の悲劇を契機として説かれました。
 「忍」とは、認可決定の意で、ものをはっきりと確かめて受け入れることです。六波羅蜜の「忍辱」や『大経』の「三法忍」(註釈版三四頁)や『序分義』の喜・悟・信の三忍(七祖篇三九〇頁)があります。今いう「三忍」とは、喜・悟・信の三忍にして、真理にかない形相を超えて不生不滅の真実をありのままにさとる無生法忍を三方面より名づけたものです。喜忍とはよろこびのこころ、悟忍とは仏智をさとること、信忍とは疑い晴れて決定するこころに名づけられたもので、共に信心のことです(大原性実『正信偈講讃』一六〇頁)。『念仏正信偈』では「かならず信・喜・悟の忍を獲。」(註釈版四八八頁)と三忍の名を挙げています。隨慧は「喜忍トハ心歓喜故。悟忍トハ廓然大悟。仏智ヲ悟ルナリ。信忍トハ信心成就スルナリ。○冠除苦悩法ノ法体即此ノ弥陀仏ナリト悟ルハ悟忍ナリ。是ニ於テ自ラ慶心ヲ生スルハ喜忍ナリ。其ノ心明了ニシテウタカハヌハ信忍ナリ。」(『説約』四二一頁)と釈しています。
 『序分義』に、「「心歓喜故得忍」といふは、これ阿弥陀仏国の清浄の光明、たちまちに眼前に現ず、なんぞ踊躍に勝(た)へん。この喜によるがゆゑに、すなはち無生の忍を得ることを明かす。また喜忍と名づけ、また悟忍と名づけ、また信忍と名づく。これすなはちはるかに談じていまだ得処を標せず、夫人等をして心にこの益を悕はしめんと欲す。勇猛専精にして心に〔仏を〕想ひて見る時、まさに忍を悟るべし。これ多くこれ十信のなかの忍にして、解行以上の忍にはあらず。」(七祖篇三九〇頁、註釈版二六一~二六二頁)と、聖道諸師が韋提希を高位の聖者と解するのに対して、善導は韋提希を十信位の凡夫であると解し、『玄義分』にて「韋提の得忍は、出でて第七観の初めにあり。」(七祖篇三三二頁)と、第七華座観の初めにおいて韋提希は「無生の忍」を得たと述べています。
 すなわち聖道の諸師は『観経』の「得益分」(註釈版一一六頁、三経七祖部六五頁)にて「無生忍」を得たと解釈し、浄影は「七八九地ノ忍」と釈し、天台は「初住初地」と釈しましたが(隨慧『説約』四二〇頁)、善導は『玄義分』にて『観経』では釈迦が定散の要門の教えを説き、弥陀が弘願の教えを説いたと解釈し(七祖篇三〇〇~三〇一頁)、「安楽の能人」たる弥陀の弘願の利益である「無生忍」を、韋提希は「華座観」(七祖篇三三二・四二五頁)で得たと解釈しました。なお恵空は「華座観」の韋提希の見仏について『涅槃経』を引用し、「見に二種有る。一つには眼見、二つには聞見。文 昔韋提眼見の益。今我等聞見の益なり。」(『略述』三五頁)と釈しています。
 「無生の忍」とは「無生法忍」のことで、第三十四願には「たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、わが名字を聞きて、菩薩の無生法忍、もろもろの深総持を得ずは、正覚を取らじ。」(註釈版二一頁)とあり、親鸞は第三十四願を「信文類」真仏弟子釈(註釈版二五七頁)に、信心に生きる者の現生の利益として引用し、「まことに知んぬ、弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるがゆゑに、竜華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。ゆゑに便同といふなり。しかのみならず金剛心を獲るものは、すなはち韋提と等しく、すなはち喜・悟・信の忍を獲得すべし。これすなはち往相回向の真心徹到するがゆゑに、不可思議の本誓によるがゆゑなり。」(註釈版二六四頁)と自釈しています。また、『尊号真像銘文』の「無生忍」には「フタイノクラヰナリ」(宗祖部五八三頁、註釈版六四九頁)と左訓しています。


◎即証法性之常楽
 「即証法性之常楽」は【現代語訳】に「浄土に往生してただちにさとりを開く」と述べられた」とあります。
 「即証等」とは、『玄義分』の「ただ勤心に法を奉けて、畢命を期となして、この穢身を捨ててすなはちかの法性の常楽を証すべし。」(七祖篇三〇一頁)と、『往生礼讃』前序の「前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時永劫につねに無為の法楽を受く。」(七祖篇六六〇~六六一頁)との文に拠ります。
 親鸞は「真仏土文類」に『涅槃経』を引用して「凡夫の楽は無常敗壊なり、このゆゑに無楽なり。諸仏は常楽なり、変易あることなきがゆゑに大楽と名づく。」(註釈版三四六頁)と、さらに『入出二門偈頌』に「安楽土に到れば、かならず自然に、すなはち法性の常楽を証せしむとのたまへり。」(註釈版五五〇頁)と述べています。また、『高僧和讃』「善導讃」には「煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば すなはち穢身すてはてて 法性常楽証せしむ」(註釈版五九一頁)と和讃しています。
 「法性」とは真如・涅槃・滅度などに同じ意味です。「常楽」とは、涅槃に具する常・楽・我・浄の四徳のことです。涅槃のさとりは、永劫に変わらず(常)、一切の苦しみを離れ(楽)、自在であり(我)、煩悩の汚れを少しも止めない(浄)。いまはこの四徳の中の初めの二徳をあげて、後の二徳を略しました(『會鈔』三一三頁、『帯佩』五七三頁)。
 『唯信鈔文意』には、「法性のみやこといふは、法身と申す如来のさとりを自然にひらくときを、みやこへかへるといふなり。これを、真如実相を証すとも申す、無為法身ともいふ、滅度に至るともいふ、法性の常楽を証すとも申すなり。このさとりをうれば、すなはち大慈大悲きはまりて生死海にかへり入りてよろづの有情をたすくるを、普賢の徳に帰せしむと申す。」(註釈版七〇二頁)と釈しています。
 若霖は「即証」について「因(三忍)より果(法性常楽)に至る、或は年時を隔つれども、而も彼五十六億七千萬歳に望むれば、此一生は乃ち須臾の間なるが故に即証と云ふ、此三忍は因位の頂を極むるが故なり、亦はいふべし、定散諸機の化土に生ずる者の如きは多生曠劫を経て乃ち証入するが故に、今は則ち爾らず、故に即証と云ふ。」(『文軌』七六頁、隨慧『説約』四二一頁)と釈しています。また、僧叡は「「即証」等というは、即とは証すること捨身の刹那に在るが故に、「法性の常楽」とは即ち滅度をいう。」(『要訣』四九九頁)と、「捨此穢身」であるがゆえに「法性之常楽」は往生浄土の益であるといいます。
 ところで『正信念仏偈』では「與韋提等獲三忍 即証法性之常楽」とありますが、『念仏正信偈』は「得難思議往生人 即証法性之常楽」(宗祖部四五〇頁、註釈版四八八頁)とあります。「難思議往生」とは、真実報土の往生のことで、化土の往生である「双樹林下往生」、「難思往生」に対しています。この三往生は『法事讃』(七祖篇五一四頁)に出て、親鸞はこれを『愚禿鈔』(註釈版五〇五頁)で「難思議往生は、『大経』の宗なり。」「双樹林下往生は、『観経』の宗なり。」「難思往生は、『弥陀経』の宗なり。」と三経に配しています。また、「難思議往生」は「証文類」標挙(註釈版三〇六頁)に、「双樹林下往生」「難思往生」は「化身土文類」標挙(註釈版三七四頁)に挙げられています。
 『正信念仏偈』よりも『念仏正信偈』のほうが、『愚禿鈔』の「三往生」(註釈版五〇五頁)の意が、より明確に主張されているように思います。
by jigan-ji | 2015-07-27 01:02 | 聖教講読