浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
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カテゴリ:聖教講読 ( 181 )    
正信偈講読[183]     2016年 02月 06日
 補遺[135] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[31](2013年8月19日)を補足します。

 Ⅲ 依釈段  二 七高僧をたたえる  3 曇鸞の教え

二 七高僧をたたえる
3 曇鸞の教え
ⅰ 曇鸞の行跡

【本文】
 本師曇鸞梁天子 常向鸞處菩薩礼 三藏流支授浄教 焚焼仙経歸樂邦

【書き下し文】
 本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞(曇鸞)のところに向かひて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまひき。

【現代語訳】
 曇鸞大師は、梁の武帝が常に菩薩と仰がれた方である。菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 鸞師の釈の中で、初めの二句は、朝の崇重を明かしてその行徳を示している。迦才の『浄土論』(巻下)に「沙門曇鸞 法師は并州汶水の人であり、魏の末、高斉の初めにいた。神通は高遠にして三国に知聞されていた。すべての経を暁(さと)り、ひとり人外に出ていた。梁国の天子蕭王は、つねに北に向かつて菩薩と礼した。往生論を註解して、両巻を作る。」とある。「三蔵」以下の一行二句は、まず今師帰法の行状を明かす。『新修往生伝』に「初め、鸞は好んで術学をし、陶隠居が長生の法を得たと聞いて千里をゆき、陶は仙経十巻を鸞に授ける。鸞は躍然として自ら得たのである。神仙の術は必然であるとおもった。後に洛下に還って菩提流支に遇い、意にはなはだ得たのである。支に問うて曰う。仏道で長生を得ることがあるのか。つぶさによく老を却ぞけて不死となるのか。支は笑ってこたえて曰う。長生不死はわが仏道である。かえって観無量寿経を授けて曰う。汝これを誦みなさい。そうすれば三界にまた生まれることなく、六道に往くところなし。(乃至)これがわが金仙氏の長生である。乃至 鸞はその語を承ってよくよく深信を起こし、ついに所学の仙経を焚て観経を専にする。」とある。(和訳六要鈔一三一~一三二頁、宗祖部二七〇~二七一頁)

《正信偈大意》
 「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼」といふは、曇鸞大師はもとは四論宗のひとなり。四論といふは、三論に『智論』をくはふるなり。三論といふは、一つには『中論』、二つには『百論』、三つには『十二門論』なり。和尚(曇鸞)はこの四論に通達しましましけり。さるほどに、梁国の天子蕭王は御信仰ありて、おはせし方につねに向かひて、曇鸞菩薩とぞ礼しましましけり。「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」といふは、かの曇鸞大師、はじめは四論宗にておはせしが、仏法のそこをならひきはめたりといふとも、いのちみじかくは、ひとをたすくることいくばくならんとて、陶隠居といふひとにあうて、まづ長生不死の法をならひぬ。すでに三年のあひだ仙人のところにしてならひえてかへりたまふ。そのみちにて菩提流支と申す三蔵にゆきあひてのたまはく、「仏法のなかに長生不死の法は、この土の仙経にすぐれたる法やある」と問ひたまへば、三蔵、地につばきを吐きていはく、「この方にはいづくのところにか長生不死の法あらん。たとひ長年を得てしばらく死せずといふとも、つひに三有に輪廻すべし」といひて、すなはち浄土の『観無量寿経』を授けていはく、「これこそまことの長生不死の法なり、これによりて念仏すれば、はやく生死をのがれて、はかりなきいのちを得べし」とのたまへば、曇鸞これをうけとりて、仙経十巻をたちまちに焼きすてて、一向に浄土に帰したまひけり。(註釈版一〇三一~一〇三二頁)


【釈義】

◎本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼
 初めに曇鸞の行跡を明かします。【現代語訳】には「曇鸞大師は、梁の武帝が常に菩薩と仰がれた方である」とあります。
 曇鸞の伝記は多くありますが『続高僧伝』(唐、道宣撰。大正大蔵経第五〇巻四七〇頁。国訳一切経史伝部八・一四五頁)、『浄土論』(唐、迦才撰。大正大蔵経第四七巻九七頁)が資料価値が高い伝記です。また、『西方指南鈔』や『漢語燈録』の「浄土五祖伝」(拾遺部上一〇五頁以下、同四七七頁以下)並びに野上俊静『中国浄土三祖伝』(一九七〇年)、『仰法憧』(七高僧の伝記の出拠等にかんして詳細です)などを参照して下さい。
 曇鸞は、中国北魏の人で、山西省五台山の近くの雁門に生まれました。紀元後四七六年~五四二年。別説では四八八?年~五五四年。幼にして出家し、四論宗を学びました。「四論」とは龍樹の『中論』『十二門論』『大智度論』と門弟、提婆(だいば)の『百論』をいいます。いずれも羅什によって訳出されています。『高僧和讃』「曇鸞讃」には「四論の講説」(註釈版五八二頁)とあります。このことから、曇鸞の基礎的素養は龍樹、羅什、僧肇とつながる般若系の教学であったことが知られます。
 たまたま『大集経』の注釈を思いたちましたが、中途で病にかかり、この大業を完成するためには、まず長生きしなければならないと考え、そのころ道教の権威として名をはせていた陶弘景(とうこうけい・陶隠居ともいう)をたずね、長生不死の仙術を学び、仙経の『衆醮儀』をさずかったといいます。たまたまその帰路、洛陽において菩提流支にあい、仏法には長生不死の仙術にまさるものがあるかとたずねたところ、菩提流支は大喝一声して大地に唾をはいてその愚を笑いました。そして不死の法は仏法にまさるものはないことを力説して、その反省をうながしました。その時、菩提流支から『観経』、もしくは『浄土論』を授かったといわれます。後、『論註』を著して大いに浄土教の顕揚につとめました。その徳の高いことは一世を風靡し、道俗・貴賤ことごとく大師に帰依し、ことに魏の国王孝静帝は神鸞とほめ、梁の武帝蕭王も鸞菩薩とうやまわれ、北に向かって常に大師を礼拝したといわれます。晩年、勅によって並州の大巌寺に住されましたが、のち汾州の石壁玄中寺に移り、のち遥山寺にて示寂されました。
 親鸞は『西方指南抄』(拾遺部上一〇五頁以下)に曇鸞・道綽・善導・懐感・少康の「五祖」の伝記を収録しています。また、『高僧和讃』「曇鸞讃」にて「本師曇鸞和尚は 菩提流支のをしへにて 仙経ながくやきすてて 浄土にふかく帰せしめき」(註釈版五八二頁)、「本師曇鸞大師をば 梁の天子蕭王は おはせしかたにつねにむき 鸞菩薩とぞ礼しける」(註釈版五八七頁)と和讃され、さらに『尊号真像銘文』に次のように述べています。

  斉朝曇鸞和尚真像銘文
  「釈曇鸞法師者 并州汶水県人也 魏末高斉之初 猶在 神智高遠 三国知聞 洞暁衆経 独出人外 梁国天子蕭王 恒向北礼鸞菩薩 註解往生論 裁成両巻 事出釈迦才三巻浄土論也」文
  「釈の曇鸞法師は并州の汶水県の人なり」。并州はくにの名なり、汶水県はところの名なり。「魏末高斉之初猶在」といふは、「魏末」といふは晨旦(中国)の世の名なり。「末」はすゑといふなり、魏の世のすゑとなり。「高斉之初」は斉といふ世のはじめといふなり。「猶在」は魏と斉との世になほいましきといふなり。「神智高遠」といふは、和尚(曇鸞)の智慧すぐれていましけりとなり。「三国知聞」といふは、「三国」は魏と斉と梁と、この三つの世におはせしとなり。「知聞」といふは三つの世にしられきこえたまひきとなり。「洞暁衆経」といふは、あきらかによろづの経典をさとりたまふとなり。「独出人外」といふは、よろづの人にすぐれたりとなり。「梁国の天子」といふは、梁の世の王といふなり、蕭王の名なり。「恒向北礼」といふは、梁の王、つねに曇鸞の北のかたにましましけるを、菩薩と礼したてまつりたまひけるなり。「註解往生論」といふは、この『浄土論』をくはしう釈したまふを、『註論』(論註)と申す論をつくりたまへるなり。「裁成両巻」といふは、『註論』は二巻になしたまふなり。「釈迦才の三巻の浄土論」といふは、「釈迦才」と申すは、「釈」といふは釈尊の御弟子とあらはすことばなり。「迦才」は、浄土宗の祖師なり、智者にておはせし人なり。かの聖人(迦才)の三巻の『浄土論』をつくりたまへるに、この曇鸞の御ことばあらはせりとなり。(註釈版六五三~六五四頁)

 「本師曇鸞」の「本師」について、恵然は「本師は崇重の称なり」(『句義』三〇四頁)と釈し、慧琳は、「本師等とは、本宗の祖師なるがゆえに、本師と称す。本師源空と云も亦同じ。略文類には。曇鸞大師と頌して、総じて本師の言なし。讃には。龍・鸞・綽・信・空・並に本師と称し、ただ光明のみ宗師といふ。七祖皆相承の師なれば本師と云ふ。別意なし。」(『帯佩』五四五頁)と釈し、隨慧は「本師とは弟子、親教師を尊称して本師と云ふ。続高僧伝第二(六号)にみへたり。亦大師と云も同じ。文類偈(註釈版四八七頁)には「曇鸞大師をば梁の蕭王」と云へり。」(『説約』)と釈し、仰誓は「今本師と言ふは、本月本年本巻等の本の如き。或は通じて親教師を指して本師と称す。」(『夏爐』一五一頁)と釈しています。
 「梁天子」とは「梁国天子蕭王」(宗祖部二七一頁)で、迦才の『浄土論』に拠ります。仰誓は月筌(『勦説』三九頁)を承け「天子とは王者の通称。班固の白虎通の一(初紙)云ふ。天を父とし、地を母とす。故に天子と云ふ。」(『夏爐』一五一頁)と釈しています。「蕭王」は、通常「しょうおう」と読みますが、浄土真宗では「そうおう」と読んでいます。その理由について隨慧は「和讃(註釈版五八七頁)と文類(註釈版四八七頁)とに蕭王と云ふ。和讃に、さう反せう反の二音あり。當流にはさうの音を用ひ給ふに付て、いろいろの説あれども、削の平声なれば、さうの音あるべし。その上和書に障子をさうじと書く。閑居反にいつ聖徳太子をさう徳太子と書く。今もその格なるべし。」(『説約』四〇二頁)と述べています。

 「常向鸞処菩薩礼」について、若霖は「常向等とは、『僧伝』を按ずるに、師年五十二三にして江南に遊ぶ。此時初て梁主を見ると、蓋し厥の後常に禮するなり。菩薩禮とは、尊んで菩薩と称して禮するなり、此は王者褒崇の美を挙げて師徳を後世に著すなり。迦才云く「梁国天子蕭王(王の字は疑ふらくは誤れり、主に作るべし)、恒向北禮曇鸞菩薩」と、是れなり。」(『文軌』五九頁)と釈しています。
 「菩薩礼」について、慧空は「菩薩礼とは、迦才の云く。梁国の天子蕭王、恒に北に向かって曇鸞菩薩と礼す文。爾れば、今、礼の字、菩薩の上にあるへし。但し義に違い無し。喩えば遊戯園林と云うべきと雖も、而して園林遊戯地門と云ふが如し。亦大悲伝普化と云ふが如し。知るべし。但しまた礼菩薩と云ふ。」(『略述』二四頁)と釈しています。
 曇鸞を菩薩と礼した理由に関しては、存覚は「御信仰ありて」といい、若霖は「尊んで」とのみ語るだけで、従来の『正信念仏偈』の講録や解説書においても、その礼する理由については、ほとんど論じられていません。その意味において、「曇鸞は皇帝より尊崇を受けているが、その理由は神異的、医学的な能力や南朝への遊学が主たる要因であり、自身の仏道(浄土教)が積極的に評価されてのことではない。」(内田准心「曇鸞と国家―北朝仏教におけるその位置―」、『真宗研究会紀要』第四七号、二〇一五年、所収)との指摘は留意すべきに思います。


[補遺] 「天子も頭の下がる価値とは」何か
 曇鸞は、梁の武帝が常に菩薩と仰がれた方であるといわれます。七高僧の第一祖、龍樹は『親友への手紙』にて、南インドのサータヴァーハナ王朝の国王あてに詩の形で書かれた書簡形式のもので、王がいかに身を処すべきかを教えていますし、さらに『ラトナーヴァリー』も同様の手法にて、王に対する書簡の形で、どのように国を統治すべきかを教えています(『龍樹』三一七頁)。善導は『法事讃』に「大唐の皇帝」(=高宗)の尊い導きと「皇后」(=則天武后)の「慈心」を願っています(七祖篇五九三頁)。法然の『選択集』は、関白九條兼実の願いによって著されました(七祖篇一二九二頁)。親鸞は「国王不礼」(「出家の人の法は、国王に向かひて礼拝せず」『菩薩戒経』註釈版四五四頁)を述べるとともに「朝家の御ため、国民のため」(『親鸞聖人御消息』註釈版七八四頁)とも述べています。西洋のキリスト教文化の概念でいえば、「教会の中の国家か、国家の中の教会か」の問題もあります。
 「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼」の二句は、仏法と世法、言い換えれば、宗教者と権力者の関係のあり方のテストケースを示すものでもあります。この宗教者と権力者の関係について、先学は次のように述べています。

  天子に崇敬された大師・・・宗祖は大師(曇鸞・池田注)の高徳を讃嘆するため、大師の徳を和讃する。はじめには東魏の孝静帝、むすびには梁の武帝を出して、天子が大師を崇敬されたことを述べられる。そこには大師の徳を嘆ずるなかに『化身土文類』に「出家の人の法は国王に向かって礼拝せず・・・」という釈尊のことばを引いて、仏教者は如何なる世俗の権威にも頭を下げずという姿勢を反対側から強調されているように思える。逆に「天子が頭を下げた」という事実を示すことによって、仏教者の中でも真宗者の世俗における態度をあらわされたのではなかろうか。如来を忘れ、念仏を死後のものと考えていると、つい「名利」に堕して、権威にこびへつらい、仏への道よりはずれてしまうわたくしである。しかし世俗の権威を批判し、この世のことを案ずる祖師ではあったが、信心をねじまげて、朝廷に、幕府に、地方の権力者などに妥協したり、へつらったりすることを許される祖師ではなかった。祖師聖人はたえず、虚仮なる「世俗」よりも、真実なる「如来」を仰いで生きられた方である。(三木照國『三帖和讃講義』三〇一頁)

  かつて「菩薩戒経」の「出家のひとの法は、国王にむかいて礼拝せず、父母にむかいて礼拝せず、六親につかえず、鬼神を礼せず」というくだりが、論議を呼んだことがあった。それをむし返すつもりはないが、事はきわめて簡単明瞭であるように思われる。われわれの礼拝するのは弥陀一仏である。ということは、他のいかなるものも礼拝の対象ではないということである。絶対の権威は仏にのみある。その仏を礼拝するということは、他の一切の権威を相対化するということを意味している。それは国王を軽んぜよということではない、などという注釈は必要ではない。むしろ必要なのは、もし国王に敬意を払うとすれば、いかなるものとして敬するのかという説明である。信仰の外護者としてか、秩序の維持を司るものとしてか、その説明が必要である。(佐藤三千雄『生活のなかの信仰』一三五頁)

 まさに今日、仏教者における「天子も頭の下がる価値とは」(『読む』一六二頁)何かが、問われています。


◎三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦
 「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」は【現代語訳】に「菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された」とあります。
 『六要鈔』には、「「三蔵」以下の一行二句は、まず今師帰法の行状を明かす」といい、そして『新修往生伝』を引いて、その事績を述べています。
 「三蔵」とは経・律・論の三蔵に精通した翻訳家の意です。仰誓は「三蔵は訳家の美称。経律論に達する故に。」(『夏爐』一五二頁)と釈しています。
 「流支」は具には「菩提流支」。菩提流支(Bodhiruci)は、「道希」または「覚喜」と訳されます(『説約』四〇二頁)。その伝記は『続高僧伝』巻一(大正大蔵経第五〇巻四二八頁、国訳一切経史伝部八・一九頁)にあります。北インドの人で、北魏の永平年中に中国に来て、洛陽の永寧寺に住しました。勅をうけて七百の僧を監督して、経論三十九部二十七巻を翻訳しました。
 「授浄教」とは菩提流支が曇鸞に『観経』、または『浄土論』を授けたとの意です。隨慧は「授浄教とはすなはち観無量寿経授くと諸伝にみへたり。無量寿の法を詮する経なればなり。」(『説約』四〇二頁)と釈しています。

 「焚焼仙経」とは、『観経』もしくは『浄土論』を授かってのち、陶弘景(四五二~五三六)に授かった『衆醮儀』という仙経を焼き捨てたことを指します。法霖は「焚焼等は、正しく邪を捨て正に帰すの相。」(『捕影』四九頁、『説約』四〇三頁)と釈しています。隨慧は「焚焼仙経とは、陶弘景に授かる所の仙方なり。(中略)鸞師之授かる所の仙方。書目不詳。法琳辨正論(「化身土文類」に引用・註釈版四五七頁以下・池田注)第二云く。芳山道士陶隠居、衆醮凡十巻選す。天地山川星辰岳瀆より、安宅謝墓、召魂神を呼ぶに及ぶ。」(『説約』四〇二~四〇三頁)と釈しています。
 「帰楽邦」とは、楽邦は楽しみの多い邦の意味で、阿弥陀仏の浄土を指します。法然は『選択集』に「かの曇鸞法師は四論の講説をすてて一向に浄土に帰し」(七祖篇一一九〇頁)と述べ、「行文類」に引用の元照の『弥陀経義』には「一乗の極唱、終帰をことごとく楽邦を指す。」(註釈版一八〇頁)と述べています。普門は、「帰楽邦は、帰は帰入なり。楽邦は弥陀国。楽は極楽安楽と云ふ。邦は玉と云ふ。大を邦と曰ひ、小を国と云ふ。」(『發覆』二〇三頁)と釈し、恵然は「帰楽邦は、浄土門に帰す。この土の仙術を捨て、而して浄土の長寿を求む。行年六十七。閻浮の身を脱却す。」(『句義』三〇四頁)と釈しています。
 なお、以上四句は、『西方指南抄』並びに『漢語燈録』(拾遺部上一〇五頁以下並びに四七七頁以下)所引の曇鸞の伝記に拠っています。
by jigan-ji | 2016-02-06 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[182]     2016年 02月 05日
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 補遺[134] 学びの姿勢―「私」と「歴史」を踏まえた学び―

 三木照國は、自らのこれまでの真宗学の学びを述懐して、次のように述べています。

 昭和二十六年に龍谷大学に入り、『教行信証』を学ぶ最初は、山辺・赤沼師の講義本を開いた。真宗全書や真宗叢書はとてむむつかしく、平易な講義としては、当時それしかなかったのである。やがて真宗学を専攻するや、教室では、大江・大原・普賢・加藤師がたの講義を聞き、車中やわが寺では金子大栄師の講話や講義を読んでいた。父が、その頃は金子師に心酔していたため、京の寺町通を上から下へ降っては古書を買いあさり、新刊書も含めて、師の全著書をそろえていたからである。金子師に惹かれるものを感じたのは、ただ父の影響だけでなく、龍大で学ぶ近世以来の宗学には「私」という領域が欠落して、無味乾燥のように思えたからである。それでもなお、金子師や曽我師のみに傾倒し得なかったのは、当時の真宗学の教授がたが、近世以来の学派や学轍を統一して、自信に充ちて講義されるものに魅惑されていたからであろう。(中略)伝道院に勤務してより、次第に「現代教学」なるもののあることを知らされ、結城・佐藤・二葉・松野尾・松尾師がたと出会いの中に、はじめて金子・曽我師の教学には「歴史」が欠落していることを知らされた。今までの『教行信証』の学びが根底より問い直されたことによって、やっと「現代教学」の方向を見つめかけた頃(昭和五十五年)に、伝道院を解任され、大和の草庵に引き籠ることとなった。(三木照國『教行信証講義―教行―』一九八六年、「はしがき」)

 三木は自らの学びを述懐して、「龍大で学ぶ近世以来の宗学には「私」という領域が欠落して、無味乾燥のように思えた」といい、さらに「伝道院に勤務してより(中略)はじめて金子・曽我師の教学には「歴史」が欠落していることを知らされた。」と述べています。
 三木の述懐する「私」と「歴史」の欠落とは、浄土真宗理解の方法論、言い換えれば、学びの姿勢の問題になります。
 たとえば、大江淳誠は往生の行について、次のように述べています。

 すなわち衆生の称する念仏の勝をあらわすのに法体名号の万徳所帰をもってする。けだしこれ名号の徳を直ちに称名において語り、称名をもって万徳を円具するとなすのである。称名の勝は法体の万徳円具にありとすれば、易の義は無作となって衆生能称の功を見ず、ただ法体に一任するのみとなる。したがって易の義は信心の義となってくるのである。(中略)けだし大行は法体の名号と定めつつ、しかもその名号は如実なる本願の行者において相続の念仏となって顕発する。名号働いて行者の称名となり、したがって行者の称名はそのままが名号のほかに別体はない。ここに念仏往生の念仏は法体大行の名号往生の義となる。すなわち法然上人の念仏に勝劣の二義あり、その勝の義によれば法体の名号に帰す、これを『行文類』に顕わす。易の義は信心正因の義となる、これを『信文類』に顕わす。行信両巻相よって元祖法然の念仏の意義を開顕せられるのである。(大江淳誠『正信念仏偈講述』一九六六年、二一一~二一二、二一五頁)

 さらに久堀弘義は阿弥陀仏について、次のように述べています。

 阿弥陀仏は本来、不可称、不可説、不可思議の世界に生きるひとである。それは常に凡夫のはかり知れない、言葉を超えた、思議することのできない存在なのである。その世界は向こうから開かれる以外、凡夫の側からは押し開くことのできない世界なのである。そこで、阿弥陀仏とは、私がその存在を信じようが、信じまいが、そんな私の思いに全く関わりなく、厳として、まします仏さまである、と言うべきであろう。(久堀弘義『阿弥陀仏と浄土』一九八四年、三六~三七頁)

 大江は「名号働いて行者の称名となり、したがって行者の称名はそのままが名号のほかに別体はない。ここに念仏往生の念仏は法体大行の名号往生の義となる。」といいます。すなわち、「往生の行には衆生の方から一物も加えざる名号のひとりばたらき」(同五七頁)であるといい、久堀は、「阿弥陀仏とは、私がその存在を信じようが、信じまいが、そんな私の思いに全く関わりなく、厳として、まします仏さまである」といいます。
 大江や久堀の解説は、論理としては自己完結していると思います。しかし、「私」とこの解説(=論理)は、どう関係するのでしょうか。
 さらに、「歴史」の欠落に関して、中島岳志と信楽峻麿は次のように述べています。

 先ほど『原理日本』で、お西の方を出しましたが、お東も大変な人をたくさん出しています。その中心には、暁烏敏がいました。暁烏敏の思想は相当大変です。読んでいても、びっくりするようなことを繰り返し言っています。『全集』も出ていますが、危ない箇所はほとんど削除されています。しかし、削除しきれないものの残っていまして、それだけ彼の思想と密着していたのだと思います。彼は金沢の郊外、北安田というところにあるお寺で、ずっと活動していて、「北安田パンフレット」という彼の講演録も、たくさん出版しています。これは『全集』に入っていません。直接の彼の法話です。このパンフレットを集めると、かなり強烈なことを説いていたというのが分かってきます。(中島岳志「親鸞思想はなぜ超国家主義へと接続したのか」『浄土真宗総合研究』第九号、二〇一五年、一四九頁)

 一九四五(昭和二〇)年八月一五日、日本の敗戦において、その戦時教学は全面的に自己崩壊し、その学的営為が、まったくの虚構であったことが明白になったにもかかわらず、上記のような戦時教学を構築し、主唱した教学者たちは、その戦後において、かつての自己の信心とその行動をめぐって、それがまったくの欺瞞であったことについて、明確に自己批判し、廻心転向を表明したものは、誰一人としていませんでした。彼らの戦時下における真宗信心が、全面的に虚妄であり、異端であったことは、きわめて明瞭であり、何らの弁明の余地はないでしょう。しかし、彼らはいずれも、何ら自己批判をすることもなく、そのまま引きつづいて、龍谷大学や大谷大学の教団に立って、親鸞を講じ、それぞれが教団教学の最高の地位につきました。真宗教団の戦争責任、そしてまた真宗教学の戦争責任は、いったいどうなったのでしょうか。戦争責任には時効はありませんが、いまもってまったく問われてはいません。(中略)東西本願寺は、これほどまでに仏教の原理に背反し、開祖親鸞の意趣から脱線した過去の教団と教学の責任を何ら問うことなく、その錯誤をそのまま糊塗して、これから大衆に向かって、いったい何をどう教化し、その精神生活をいかに指導していこうとするのでしょうか。(信楽峻麿『親鸞はどこにいるのか』二〇一五年、四七~四八、五〇頁)

 中島、信楽のいわんとすることは明瞭です。教団や教学にとって、都合の悪いことに蓋をして、知らないふりをするような教学的営為は不誠実な学びの姿勢であり、そのような学びの姿勢においては「歴史」を課題とし担うことは出来ないということです。つまり、時代・社会の課題を担う教学的営為をなすには、教団や教学にとって都合の悪い過去の事実や教学的営為をも自己批判する必要があるということです。
 結局、「私」と「歴史」を欠落した学びの姿勢は、「危ない箇所はほとんど削除」した教学的営為となり、大衆を教化し、その精神生活を指導することは難しいと思います。
by jigan-ji | 2016-02-05 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[181]     2016年 02月 02日
 補遺[133] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[30](2013年8月12日)を補足します。

 Ⅲ 依釈段  二 七高僧をたたえる  2 天親の教え

二 七高僧をたたえる
2 天親の教え
ⅲ 一心の利益(承前)

◎得至蓮華蔵世界
 「得至蓮華蔵世界」は【現代語訳】に「阿弥陀仏の浄土に往生すれば」とあります。「五果門」の宅門の意で「得入蓮華蔵世界」(三経七祖部二七七頁・七祖篇四一頁)に拠ります。
 「得至等」の二句は浄土の証果、当益です。『浄土論』の「宅門」には、「得入蓮華蔵世界」と「得入」とありますが、今は「得至」と替えています。その理由について、若霖は「至は必至の至にして正定より滅度に至るの次第なり。蓮華蔵世界とは弥陀内證の真理即ち一法句なり。」(『文軌』五五頁)と、慧琳は「得至とは。得は果位にうるをいふ。今は彼土の大果を明す。故に論に得入と云ひ。ここに得至といふ」(『帯佩』五三九頁)と、隨慧は「論に得入と云ふ。今得至と云ふ。論は安楽土より華蔵に証入する次第を示す。故に入と云ふ。今は穢土より報土に至るに依る。故に至と云ふ」(『説約』三九六~三九七頁)と釈しています。
 さらに、『六要鈔』では問答を設けて、次のように述べています。

  □問「蓮華蔵世界」とは、いかなる土か。□答智光の『疏』に「廬舎那仏は蓮華蔵世界に坐すと言うがごとく、今、蓮華蔵世界と言うのは、無量寿仏所居の住処はこの世界に准ずるので、義に随ってこう言うのである。すなわち修行安心の宅である。」とある。この文のとおり極楽と花蔵とは一土である。□問華厳世界は純菩薩の居であり、極楽国土は五乗に通入している。何んで一土であるのか。□答両土と分けることはしばらく機見に随い、深旨に達すればおのおの別土ではない。したがって極楽は大乗善根清浄の土であるから、実に二乗、三乗の異はない。これによって『智論』(巻三四)には「一乗清浄無量寿世界」と判別し、今の『論』には「蓮華蔵界」と説く。名は異なっているが義は同じであることを知らなければならない。(和訳六要鈔一三〇~一三一頁、宗祖部二七〇頁)

 「蓮華蔵世界」の語は『大経』にはなく、『浄土論』の宅門に拠ります。「蓮華蔵世界」とは、蓮華によって蔵せられる世界の意味で、毘盧遮那仏の浄土であって、『華厳経』や『梵網経』では、諸仏の浄土の中でもっともすぐれた浄土のことです。「蓮華蔵世界」の語は『浄土論』(七祖篇四一頁)や『浄土文類聚鈔』(註釈版四八七頁)や『入出二門偈頌』(註釈版五四七頁)や『唯信鈔文意』(註釈版七〇九頁)などに使用されていますが、親鸞のうえでは、転用して弥陀の浄土の名としています。存覚は「華厳世界」と「極楽国土」と「両土と分けることはしばらく機見に随い、深旨に達すればおのおの別土ではない」と述べ、隨慧は「華蔵の名諸仏の土に通す。故に(中略)弥陀の真土の別名たる。無量光明土及諸智土を挙ぐ。(中略)若定散漸進の機は、極樂に生じて而して華蔵に進す。(中略)若直往の機は直に華蔵に至る。極樂に即して華蔵。華蔵極樂、無二無別なり。」(『説約』三九七頁)と釈しています。
 法霖は「浄土論は初め安楽国といい、その得益の處に至って得至蓮華界という。常途の判教は、蓮華界に至るをもって聖道門となす。安楽世界に至るをもって浄土門となす。今かへりて華蔵界に至るというは、これ聖浄二門互融の相、娑婆にあって融せず、浄土に至って即ち融す。」(『捕影』四五頁)と釈しています。すなわち、「蓮華蔵世界」の名は、全く弥陀自証の境地を顕し、「安楽浄土」の名は衆生を摂受する阿弥陀如来の浄土です。まさに、「蓮華蔵世界」に至れば「聖浄二門互融」すというわけです。
 「世界」について隨慧は、「世界とは探玄三(四十二号)云ふ。「世是時。界是分斉。謂。時中に於て分斉顕現」」(『説約』三九七頁)と釈しています。
 また、『大経』には浄土は「たくさんの宝でできた蓮の華が世界中に充満している(趣意)」(註釈版四〇頁)と表現されています。『浄土和讃』の「三十六百千億」(註釈版五六三頁)とは、浄土の蓮華には百千億の花びらがあり、その花びらに青・白・黒・黄・朱・紫の六光があって相互に照らし合うから、六々三十六の百千億の光になり、一即一切、一切即一という無礙の相をあらわしています。


◎即証真如法性身
 「即証真如法性身」は【現代語訳】に「ただちに真如をさとった身となり」とあります。「五果門」の屋門の意を明かします。普門は「修行所居の屋寓は、即ち真如法性身を証するこれなり。」(『發覆』一九六頁)と釈しています。
 「即証」とは、即時に証得する意です。普門は「即証とは、頓証の義なり。これ則ち速は無為法身を証するなり。」(『發覆』一九六頁)と釈し、若霖は「即証真如等とは至ることを得る者は即ち証す、至ることを得ざる者は或は方便土に止まり漸進分証す、今は彼迂遅に非ざるが故に即証と云ふなり。」(『文軌』五六頁)と釈し、隨慧は「華蔵に至ることを得るものは即證す。至ることを得ざるものは、化土にとどまりて漸進分證す。今はかの迂回にあらず。故に即證と云ふ。」(『説約』三九八~三九九頁)と釈し、仰誓は「即証等は、即ち即疾の義。念時を隔てず。至証同時の故に即証と云ふ。」(『夏爐』一四八頁)と釈し、僧鎔は「即疾の義」と「体不離の義」の二義(『評註』一九頁)を挙げています。
 「真如法性身」とは阿弥陀如来と同体の身になる意です。「真如」とは真実如常の意味で、真実であり、常住不変の意味です。「法性」とは、諸法の体性という意味で、一切の法のもとになるものの意です。『念仏正信偈』には「蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち寂滅平等身を証せしむ。」(註釈版四八七頁)とあります。「真如法性身」とは「寂滅平等身」であり、「寂滅平等身」は『論註』(七祖篇三七・一三一頁)に拠ります
 僧叡は「真如法性身」について、「「真如法性身」とは「論」に無為法身という。即ちこれ入一法句の覚体なり。願に滅度という。」(『要訣』四七一頁)と釈し、「証文類」の「かならず滅度に至るはすなはちこれ常楽なり。常楽はすなはちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなはちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなはちこれ無為法身なり。無為法身はすなはちこれ実相なり。実相はすなはちこれ法性なり。法性はすなはちこれ真如なり。真如はすなはちこれ一如なり。」(註釈版三〇七頁)の文を引用しています。なお、月筌は、「身とは、『論註』に曰「身名集成」(「身」を集成と名づく・七祖篇八一頁)と、今は功徳の集成を謂ふなり。」(『勦説』三七頁)と釈し、隨慧は「経(『大経』三経七祖部二一頁、註釈版三七頁)に虚無之身無極之體と云ふ是なり。」(『説約』三九九頁)と釈しています。
 若霖は以上の「得至蓮華藏世界」と「即証真如法性身」の二句について、「蓮華藏は土を顕し、法性身は証を示す。其実は至証(得至と即証を指す・池田注)同時なり、ただ説くに前後あるのみ」(『文軌』五七頁、『説約』三九九頁)と釈しています。


◎遊煩悩林現神通 入生死園示応化
 「遊煩悩林現神通 入生死園示応化」は【現代語訳】に「さらに迷いの世界に還り、神通力をあらわして自在に衆生を救うことができる」と述べられた」とあります。
 『正信偈大意』には、「「遊煩悩林現神通 入生死園示応化」といふは、これは還相回向のこころなり。弥陀の浄土にいたりなば、娑婆にもまたたちかへり、神通自在をもつて、こころにまかせて、衆生をも利益せしむべきものなり。」(註釈版一〇三一頁)と釈しています。「五果門」の園林遊戯地門の意で、還相回向を明かします。
 『念仏正信偈』(宗祖部四四九頁、註釈版四八七頁)も全く同文です。『入出二門偈頌』は「入生死薗煩悩林 示応化身遊神通 至教化地利群生(生死の薗・煩悩の林に入りて、応化身を示し、神通に遊ぶ、教化地に至りて群生を利せしむ」(宗祖部四八二頁、註釈版五四八頁)と頌しています。
 「遊」とは「遊戯(ゆげ)」する、あそぶがごとく衆生救済をする意で、菩薩自娯楽です。『論註』には「遊戯」を、「「遊戯」に二の義あり。一には自在の義なり。菩薩、衆生を度することは、たとへば獅子の鹿を搏つがごとく、なすところ難からざること遊戯するがごとし。二には度無所度の義なり。菩薩、衆生を観ずるに畢竟じて所有なし。無量の衆生を度すといへども、実に一衆生として滅度を得るものなし。衆生を度するを示すこと遊戯するがごとし。」(七祖篇一五三頁)と、遊戯を「自在の義」と「度無所度の義」にて釈しています。
 「煩悩林」とは、煩悩が林のごとく多い、私たちの住んでいる迷いの世界、娑婆世界の意です。恵然は「煩悩林の中とは、因に約して境を明かす。林は惑多を喩ふ。」(『句義』三〇三頁)と釈し、隨慧は「煩悩無数これを譬るに林のごとし。生死廣博これを譬に園のごとし。煩悩は因なり。生死は果なり。此園林凡愚は此に逼悩し。菩薩はこれを自娯楽の地とす。」(『説約』四〇〇頁)と釈しています。
 「神通」とは神通力のことです。「神通」といえば六神通がよく知られています。四十八願の第五願から第十願(註釈版一六~一七頁)まで六つの願がありますが、六神通の願です。六神通とは梵語シャッド・アビジュニャー(sad-abhijna)の漢訳で、六通ともいいます。すぐれた智慧に基礎づけられた自由自在な活動能力です。六通のうち漏尽通は聖者のみが得られ、その他の五つは凡夫でも得られるとされます。

1、天眼(てんげん)通=一切のものを、邪魔ものなしに見ることのできる力。
 2、天耳(てんに)通=どんなものでも聞こえる力。
 3、神足(じんそく)通=どこへでも自由に行ける力。
 4、他心通=他人の心がよくわかる力。
 5、宿命(しゅくみょう)通=自分の過去のことをことごとく知ることのできる力。
 6、漏尽(ろじん)通=一切の煩悩が尽きたことを知る力。

 「生死」とは、煩悩の果、迷いの意です。先には煩悩を林に喩えたので、ここでは生死の園と対句になっています。普門は「生死の園、これ煩悩となす。その果地を示す。」(『發覆』一九八頁)と釈し、仰誓は「生死の園は、総じて三界の苦域を指す。煩悩の林は、別して有煩悩の衆生を指す。上は依報を指し、下は正報を指す。」(『夏爐』一五〇頁)と釈しています。
 「応化」とは縁に応じて化作する、応同化益の意で、その人の迷いに相応して救うことです。還相回向のはたらきを示しています。普門は「摩訶衍に云く。言ふところの応は、根機に随順し、しかも相違せず。時に随い、處に随い、趣に随い出現す。」(『發覆』一九七頁)と釈しています。
 隨慧は「入とは廻入。生死園とは六趣四生なし。示応化とは仏身・獨覚身・縁覚・声聞・梵王・帝釈・一切の天身・長者居士・宰官・婆羅門・比丘・比丘尼・童男・童女・龍・夜叉・等の化現無方なる。これ普現色身三昧の相なり。これを普賢の徳と名く。吾祖の謂ふ所の報応化種々の身を示現すと是なり。ただ有情身を現するのみに非ず。草木国土魚米瓦礫一切現ぜずといふことなし。」(『説約』四〇一頁)と釈しています。隨慧によれば、阿弥陀如来は如より来生して、「有情身」はもとより「草木国土魚米瓦礫」として現ずるといいます。
 『浄土論』では「菩薩はかくのごとく五門の行を修して自利利他す。速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得るゆゑなり。」(七祖篇四二頁)と述べ、『論註』では「仏の所得の法を名づけて阿耨多羅三藐三菩提となす。この菩提を得るをもつてのゆゑに名づけて仏となす。いま「速やかに阿耨多羅三藐三菩提を得」といふは、これ早く作仏することを得るなり。」(七祖篇一五四頁)と釈しています。すなわち天親、曇鸞は五念五果を成就して仏果を得るという立場ですが、親鸞は「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」とあるように往生即成仏の立場です。これは親鸞の己証(こしょう)です。
 以上を図示すると、次のようになります(『講述』一八〇頁)。
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by jigan-ji | 2016-02-02 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[180]     2016年 02月 01日
 補遺[132] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[29](2013年8月11日)を補足します。

 Ⅲ 依釈段  二 七高僧をたたえる  2 天親の教え

二 七高僧をたたえる
2 天親の教え
ⅲ 一心の利益

【本文】
 歸入功徳大寶海 必獲入大會衆數 得至蓮華藏世界 即證眞如法性身 遊煩悩林現神通
 入生死薗示應化

【書き下し文】
 功徳大宝海に帰入すれば、かならず大会衆の数に入ることを獲。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せしむと。煩悩の林に遊んで神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといへり。

【現代語訳】
 「本願の名号に帰し、大いなる功徳の海に入れば、浄土に往生する身と定まる。阿弥陀仏の浄土に往生すれば、ただちに真如をさとった身となり、さらに迷いの世界に還り、神通力をあらわして自在に衆生を救うことができる」と述べられた。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 「帰入」已下の三行六句は、『論』の五門の中の第二、第三、第五の門意である。『論註』の下に「入第二門とは、阿弥陀仏を讃嘆して名義に随順して如来の名を称し、如来の光明智相に依って修行するをもって大会衆の数に入ることを得るのを第二門と名づける。如来の名義に依って讃嘆するのは第二の功徳の相である。入第三門とは、一心に専念してそこに生まれようと作願して奢摩他寂静三昧の行を修するのをもって蓮華蔵世界に入ることを得るのを入第三門と名づける。寂静止を修めようとするから一心にかの国に生れようと願ずるのは第三の功徳の相である。(乃至)出第五門とは。」(この重釈は、はじめに註の文を引き、下に論の文を引いてある。)「必獲入大会衆数」とは、第二門の益である。「得至蓮華蔵世界」とは、第三門の益である。「遊煩悩林現神通」とは、第五門の益である。今は第一・第四の両門を除く。□問五門の中でこの三門を挙げるのは何の意であるか。□答第二門は讃嘆門であり、讃嘆とは、名義に随順して如来の名を称することが肝要だからである。第三門とは、その益が蓮華蔵世界であるゆえ勝益であるから、今、これを出す。入の四門の中で、最要とするのにこの二門を挙げる。第五門は、出の功徳であり、還相の廻向、利益衆生の至極であるからである。これらの義によってこの三門を出すのである。□問「蓮華蔵世界」とは、いかなる土か。□答智光の 『疏』に「廬舎那仏は蓮華蔵世界に坐すと言うがごとく、今、蓮華蔵世界と言うのは、無量寿仏所居の住処はこの 世界に准ずるので、義に随ってこう言うのである。すなわち修行安心の宅である。」とある。この文のとおり極楽 と花蔵とは一土である。□問華厳世界は純菩薩の居であり、極楽国土は五乗に通入している。何んで一土であるのか。□答両土と分けることはしばらく機見に随い、深旨に達すればおのおの別土ではない。したがって極楽は大乗善根清浄の土であるから、実に二乗、三乗の異はない。これによって『智論』(巻三四)には「一乗清浄無量寿世界」と判 別し、今の『論』には「蓮華蔵界」と説く。名は異なっているが義は同じであることを知らなければならない。「即証」とは、寂静三昧所入の土であるから真如法性の証を得るのである。(和訳六要鈔一二九~一三一頁、宗祖部二六九~二七〇頁)

《正信偈大意》
 「帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数」といふは、大宝海といふは、よろづの衆生をきらはず、さはりなく、へだてず、みちびきたまふを、大海の水のへだてなきにたとへたり。この功徳の大宝海に帰入すれば、かならず弥陀大会の数に入るといへるこころなり。「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」といふは、蓮華蔵世界といふは安養世界のことなり。かの土にいたりなば、すみやかに真如法性の身をうべきものなりといふこころなり。「遊煩悩林現神通入生死園示応化」といふは、これは還相回向のこころなり。弥陀の浄土にいたりなば、娑婆にもまたたちかへり、神通自在をもつて、こころにまかせて、衆生をも利益せしむべきものなり。(註釈版一〇三一頁)


【釈義】

◎帰入功徳大宝海
 「帰入功徳大寶海 必獲入大会衆数」の二句は「五果門」の大会衆門の意を明かします。
 「帰入功徳大宝海」は【現代語訳】に「「本願の名号に帰し、大いなる功徳の海に入れば」とあります。「帰入」とは、「帰投廻入」(『説約』三九五頁)の意、「帰依投入」(『夏爐』一四五頁)の義です。帰依・帰順などと同義で、全面的にたよる、おまかせすること、信じることの意です。『六要鈔』は「帰入」以下の六句は、『浄土論』の五果門の中の第二、第三、第五の門意であると釈していますが、普門は「称揚云く。今帰入功徳の一句は、これ入第一近門なり」(『發覆』一九〇頁)、慧空は「即ち入第一門也」(『略述』二二頁)、慧琳は「帰入功徳等とは、これ近門なり。」(『帯佩』五三八頁、『講述』一八〇頁参照)と釈しています。
 「功徳大宝海」とは、功徳の大宝のあるものという意味で、南無阿弥陀仏の名号を意味します。名号には汲んでも汲んでも尽きることのない一切の善根がみちみちているから、これを海に譬て「功徳大宝海」といいます。天親は『浄土論』の「偈頌」に「仏の本願力を観ずるに、遇ひて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ」(七祖篇三一頁)と述べ、曇鸞は『讃阿弥陀偈』に「もし阿弥陀仏の号を聞きて、歓喜し讃仰し、心帰依すれば、下一念に至るまで大利を得。すなはち功徳の宝を具足すとなす。」(七祖篇一六九頁)と述べています。親鸞は「行文類」に「大行とはすなはち無礙光如来の名を称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。」(註釈版一四一頁)と述べ、さらに、『一念多念文意』に「真実功徳と申すは名号なり。一実真如の妙理、円満せるがゆゑに、大宝海にたとへたまふなり。」(註釈版六九〇頁)、「「功徳」と申すは名号なり。「大宝海」はよろづの善根功徳満ちきはまるを海にたとへたまふ。この功徳をよく信ずるひとのこころのうちに、すみやかに疾く満ちたりぬとしらしめんとなり。」(註釈版六九二頁)と釈しています。普門は「帰入功徳等は、則ち名号の一法に帰入す」(『發覆』一九一頁)と釈し、恵然は「帰入は至るなり。大宝海は、三種荘厳功徳成就の宝国なり。(中略)若し正定聚を以て現生に約せば、則ち帰入は則ち帰依なり。功徳大宝海は誓願の尊号を指すなり。」(『句義』三〇一頁)と釈しています。


[補遺] 「五念門」と「五果門」について
 天親の『浄土論』に明かされた「五念門」と「五果門」について述べておきます。
 「五念門」とは、阿弥陀仏の浄土に往生するための行として、『浄土論』に示された五種の行(①礼拝門、②讃歎門、③作願門、④観察門、⑤回向門)をいいます。親鸞は曇鸞の『論註』を通して、これら五種の行がすべて法蔵菩薩所修の功徳として名号に具わって衆生に回向されると説きました(註釈版巻末註「五念門」参照)。
 天親は『浄土論』で「五念門」について、「いかんが観じ、いかんが信心を生ずる。もし善男子・善女人、五念門を修して行成就しぬれば、畢竟じて安楽国土に生じて、かの阿弥陀仏を見たてまつることを得。なんらか五念門。一には礼拝門、二には讃歎門、三には作願門、四には観察門、五には回向門なり。いかんが礼拝する。身業をもつて阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したてまつる。かの国に生ずる意をなすがゆゑなり。いかんが讃歎する。口業をもつて讃歎したてまつる。かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑなり。いかんが作願する。心につねに願を作し、一心にもつぱら畢竟じて安楽国土に往生せんと念ず。如実に奢摩他を修行せんと欲するがゆゑなり。いかんが観察する。智慧をもつて観察し、正念にかしこを観ず。如実に毘婆舎那を修行せんと欲するがゆゑなり。かの観察に三種あり。なんらか三種。一にはかの仏国土の荘厳功徳を観察す。二には阿弥陀仏の荘厳功徳を観察す。三にはかの諸菩薩の功徳荘厳を観察す。いかんが回向する。一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに願を作し、回向を首となす。大悲心を成就することを得んとするがゆゑなり。」(七祖篇三二頁~三三頁)と明かしています。
 すなわち、①礼拝門とは、身業をもって阿弥陀仏を礼拝すること。②讃歎門とは、口業をもって阿弥陀仏を讃嘆すること。③作願門とは、意業に安楽国に願生せんとすること。④観察門とは、意業に浄土の三厳の徳を観察すること。⑤回向門とは、自らの所得の功徳を他の一切衆生に回施して共に仏道に向かわせることです。前四門は自利の行であり、第五回向門は利他の行です。また、この五念門には「体具の五念」と「相発の五念」があります。体具の五念は作願・観察の止観中心の高度の五念であり、相発の五念は讃嘆門中心の凡夫相応のものです。体具の五念は高度ですから、親鸞は『入出二門偈頌』では「願力成就を五念と名づく」(註釈版五四八頁)と、法蔵菩薩所修の因行としての五念と解釈しています(『要義』三三~三四頁)。
 また「五果門」とは、この五念門の行を修することによって浄土に往生して得るところ果報で、五功徳門ともいいます。『浄土論』は「五果門」について、「また五種の門ありて漸次に五種の功徳を成就す、知るべし。何者か五門。一には近門、二には大会衆門、三には宅門、四には屋門、五には園林遊戯地門なり。この五種の門は、初めの四種の門は入の功徳を成就し、第五門は出の功徳を成就す。入第一門とは、阿弥陀仏を礼拝し、かの国に生ぜんとなすをもつてのゆゑに、安楽世界に生ずることを得。これを入第一門と名づく。入第二門とは、阿弥陀仏を讃歎し、名義に随順して如来の名を称し、如来の光明智相によりて修行するをもつてのゆゑに、大会衆の数に入ることを得。これを入第二門と名づく。入第三門とは、一心専念にかしこに生ぜんと作願し、奢摩他寂静三昧の行を修するをもつてのゆゑに、蓮華蔵世界に入ることを得。これを入第三門と名づく。入第四門とは、専念にかの妙荘厳を観察し、毘婆舎那を修するをもつてのゆゑに、かの所に到りて種々の法味楽を受用(じゆゆう)することを得。これを入第四門と名づく。出第五門とは、大慈悲をもつて一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、生死の園、煩悩の林のなかに回入して遊戯し、神通をもつて教化地に至る。本願力の回向をもつてのゆゑなり。これを出第五門と名づく。菩薩は入の四種の門をもつて自利の行成就す、知るべし。菩薩は出の第五門の回向をもつて利益他の行成就す、知るべし。」(七祖篇四一~四二頁)と明かしています。
 すなわち五果門とは、①近門。礼拝によって仏果に近づくこと。②大会衆門。讃嘆によって浄土の聖者(阿弥陀仏の聖衆)の仲間に入ること。③宅門。作願によって止(奢摩他)を成就すること。④屋門。観察によって観(毘婆舎那)を成就すること。⑤園林遊戯地門。回向によってさとりの世界から迷いの世界にたちかえって、自在に衆生を教化・救済することを楽しみとすることです。『浄土論』では、はじめの四果を菩薩の入門(自利)、第五果を還相の出門(利他)としていますが、親鸞は「証文類」において五果のすべてを還相の益としています(註釈版巻末註「五種の功徳」参照)。
 「五念門」と「五果門」を図示すると、次のようになります。
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◎必獲入大会衆数
 「必獲入大会衆数」は【現代語訳】に「浄土に往生する身と定まる」とあります。『浄土論』の「五果門」の大会衆門の「得入大会衆数」(三経七祖部二七七頁・七祖篇四一頁)に拠ります。
 「必」の字について『尊号真像銘文』には、「「必」はかならずといふ。「得」はえしむといふ。「往生」といふは、浄土に生るといふなり。かならずといふは、自然に往生をえしむとなり。自然といふは、はじめてはからはざるこころなり。」(註釈版六五六頁)とあり、他力自然の意を明かしています。仰誓は「必は自然の義。決定の義。」(『夏爐』一四六頁)と釈しています。龍樹章(本書二一四頁)の「憶念弥陀仏本願、自然即時入必定」(註釈版二一四頁)に同じ意です。「入必定」とは菩薩聖衆の数に入ることです。
 『浄土論』の「五果門」では「得入大会衆数」と「得」の字になっていますが、今は「必獲入大会衆数」と「獲」の字に替えられています。その理由を深励は、「今は獲の字に替たは、論意をえて、現益と云ふ目印の為に、獲の字に替玉ふ」(『深励』一五七頁)と述べています。
 つまり、親鸞は『正像末和讃』「自然法爾章」に、「「獲」の字は、因位のときうるを獲といふ。「得」の字は、果位のときにいたりてうることを得といふなり。」(註釈版六二一頁)と釈し、『浄土論』には「得入大会衆数」と「得」とあるものを、今は「獲」に改めて現益であることを示し、次の「得至蓮華蔵世界」は「得」の字で当益であることを明かしています。
 「大会衆」とは、広大會の聖衆の数の意味で、浄土において行われる阿弥陀如来の説法の場につらなるメンバーのことです。『大経』には「法を聞きてよく忘れず、見て敬ひ得て大きに慶ばば、すなはちわが善き親友なり。」(註釈版四七頁)とあり、『観経』には「観世音菩薩・大勢至菩薩、その勝友となる。」(註釈版一一七頁)とあり、『阿弥陀経』には「諸上善人倶会一処(諸上善人とともに一処に会することを得ればなり)」(註釈版一二四頁)とあります。法霖は「大会とは浄土の無量聖衆海なり。初會聖衆なり。なお算数及ぶことろに非ず。況んや後々来生する者をや。」(『捕影』四五頁)と釈しています。
 今は、浄土に往生するに先立って、如来の説法に直参する一員となる。その現身に正定聚の位に入るので「現生正定聚」ともいいます。「正定聚」とは、さとりをいただく仲間の意です。
by jigan-ji | 2016-02-01 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[179]     2016年 01月 29日
 補遺[131] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[28](2013年8月8日)を補足します。

 Ⅲ 依釈段  二 七高僧をたたえる  2 天親の教え

二 七高僧をたたえる
2 天親の教え
ⅱ 他力の一心

【本文】
 廣由本願力回向 爲度群生彰一心

【書き下し文】
 広く本願力の回向によりて、群生を度せんがために一心を彰す。

【現代語訳】
 本願力の回向によってすべてのものを救うために、一心すなわち他力の信心の徳を明らかにされた。


【釈読】

◎広由本願力回向
 「広由本願力回向」は【現代語訳】に「本願力の回向によって」とあります。
 若霖は「広由」を「十方広多の衆生の共に由る所の本願なるが故に広由と云ふ」(『文軌』五三頁)と釈し、法霖は「今広由というは本願の公道を彰わす。自力私心は広に非ず。如来利他心ゆえに広い。ゆえに讃にいわく。「弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」。又聖道は聖にかぎるゆえに狭い。浄土は凡聖通入ゆえに広い。」(『捕影』四四頁)と釈し、恵然は「広由に二義あり。一つは十方の群類、普くこの願に由る。これ人について解す。二つには因果自他、みな回向に由る。これ法について釈くす。広というは普徧大多の義。由は謂く由籍因従の義。」(『句義』二九九頁)と釈し、隨慧は「報土の因果三願(第十八・第十一・第二十二の三願、池田注)二廻向(往相・還相の二廻向、池田注)に由ることを示す。故に廣由等と云ふ。」(『説約』三九三頁)と釈しています。
 また、先学は「「広」とは、論の「普共諸衆生」の「普」であって、所被の群生の広きことを示され、論主自らも願力廻向の一心を因として、共に往生を願うのであるから「広」というのである。故に、この「広」の字は「為度群生」の句に及ぼし、「広く群生を度せんが為に、本願力廻向によりて一心を彰わす」との意である。「由」とは、行者の一心は凡夫発起の安心ではなく、如来の本願力廻向に由りて発起するところの一心なることを顕わされるのである。」(『講述』一七二頁)と釈しています。
 さらにいえば、「広由」とは往還二回向が本願力回向であることを明かす意で、今は往相の信心を明かします。「信文類」には「「能生清浄願心」といふは、金剛の真心を獲得するなり。本願力回向の大信心海なるがゆゑに」(註釈版二四四頁)と、また「「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。」(註釈版二五一頁)とあります。
 「本願力」とは、阿弥陀如来の第十八願に依ります。「回向」とは、「回転趣向(えてんしゅこう)」の意味で、善根の目的を変更して、他の目的におもむかせることをいいます。ここでは阿弥陀如来が凡夫に善根(名号)を回向してくださる意です。凡夫には回向すべき善根がないから、善根のない凡夫が善根の功徳を回向することはできません。ですから、親鸞は第十八願成就文を、通常は「至心に回向して」と読むべきところを、如来回向の義をあらわすために、「至心に回向せしめたまへり。」(註釈版二一二頁)と読みかえています。
 『正像末和讃』には「如来の作願をたづねれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり」(註釈版六〇六頁)と和讃しています。
 月筌は「廻向とは、乃ち二種あり、所謂往相、還相なり。往生浄土之を往相と名け、教化群生之を還相と名く。並びに是れ仏徳の故に願力廻向と云ふ。」(『勦説』二八頁)と釈しています。


◎為度群生彰一心
 「為度群生彰一心」は【現代語訳】に「すべてのものを救うために、一心すなわち他力の信心の徳を明らかにされた」とあります。
 「為度」の「度」は済度、救うの意で、迷いの世界から、さとりの世界に渡らせるために「一心」を明かされたとの意です。「群生」は群れをなして生きているものの意で、衆生と同じ意味です。梵語サットバの旧訳(玄奘以前の訳)が衆生、新訳が有情です。
 「一心」とは宗教心の意で、無二心、専一心、疑う心のないこと、他の心のまじらない専一、純一の心の意です。『念仏正信偈』には「為度具縛彰一心」(宗祖部四四九頁、註釈版四八七頁)とあります。
 すなわち、天親は『浄土論』「偈頌」の初めに「世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。」(七祖篇二九頁)と述べ、「偈頌」の最後に「われ論を作り偈を説く。願はくは弥陀仏を見たてまつり、あまねくもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。」(七祖篇三二頁)と述べています。
 この「一心」を曇鸞は『論註』にて「「我一心」とは、天親菩薩の自督の詞なり。」(七祖篇五一頁)と釈し、この「督」の字を親鸞は「行文類」にて「督の字、勧なり、率なり、正なり」(註釈版一五五頁)の三訓を出しています。すなわち「一心」とは、自らをすすめ(勧)、ひきい(率)、正してゆく(正)ようなはたらきをもつ信心の意であることを示されています。
 天親は偈の冒頭で一心帰命を表白しましたが、それは天親一人の表白に止まらず、すべての衆生に阿弥陀如来に対する一心帰命を勧められている意が知られます。
 「彰一心」とは、ここでは如来廻向の信心のことで、往相の意です。この往相・還相の二相とも他力によるので「広由本願力廻向」となります。曇鸞章(本書二五〇頁)に「往還回向由他力」(宗祖部四五頁、註釈版二〇六頁)とあるのも同じ意です。往相・還相共に仏願の所成なることを明かすのは『論註』「覈求其本釈」です。「おほよそこれかの浄土に生ずる(=往相・池田注)と、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行(=還相・池田注)とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり。」(七祖篇一五五頁)と明かしています。
 『高僧和讃』「天親讃」には、「信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり」(註釈版五八一頁)と和讃しています。この「一心」が第十八願の三心と別なものでないことは「信文類」の三一問答に詳しく述べられています。


[補遺] 「三一問答」について
 「三一問答」は、『浄土論』「偈頌」の「一心」と、『大経』第十八願文の至心・信楽・欲生の「三信(三心ともいう)」との関係についての問答をいいます。
 親鸞の師である法然は『選択集』に「偏依善導一師(ひとえに善導一師による)」(七祖篇一二八六頁)と、その教学のすわりを善導・『観経』に置いていました。しかし、その教学の体系化にあたっては、『選択集』「二門章」に「往生浄土を明かす教といふは、いはく三経一論これなり。「三経」とは、一には『無量寿経』、二には『観無量寿経』、三には『阿弥陀経』なり。「一論」とは、天親の『往生論』(浄土論)これなり。あるいはこの三経を指して浄土の三部経と号す。」(七祖篇一一八七頁)と「浄土三部経」を建てました。「浄土三部経」の呼称は法然に始まります。
 さらに『選択集』「三心章」に「生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城(みやこ)には信をもつて能入となす。」(七祖篇一二四八頁)と述べ、信心で往生することを明かしました。
 よって『大経』の三信、『観経』の三心、『阿弥陀経』の一心、『浄土論』の一心の関係が問題となりました。
 曇鸞は『論註』で「我一心」を釈して、「「我一心」とは、天親菩薩の自督の詞なり。いふこころは、無礙光如来を念じて安楽に生ぜんと願ず。心々相続して他の想間雑することなしとなり。」(七祖篇五一~五二頁)と釈しています。さらに、善導は『玄義分』宗旨門の念観両宗につづいて、「一心に回願して浄土に往生するを体となす。」(七祖篇三〇五頁)と述べ、一経の全体に三心の一貫することが知られます(『要義』九四頁)。
 親鸞は「信文類」にて、「問ふ。如来の本願(第十八願)、すでに至心・信楽・欲生の誓を発したまへり。なにをもつてのゆゑに、論主(天親)一心といふや。答ふ。愚鈍の衆生、解了易からしめんがために、弥陀如来、三心を発したまふといへども、涅槃の真因はただ信心をもつてす。このゆゑに論主、三を合して一とせるか。」(註釈版二二九頁)と述べ、今、『正信念仏偈』では「群生を度せんがために一心を彰す。」(註釈版二〇五頁)と述べています。さらに、『尊号真像銘文』には「「一心」といふは、教主世尊の御ことのりをふたごころなく疑なしとなり、すなはちこれまことの信心なり。」(註釈版六五一頁)と釈しています。
 また「化身土文類」に「しかれば、濁世能化の釈迦善逝、至心信楽の願心を宣説したまふ。報土の真因は信楽を正とするがゆゑなり。ここをもつて『大経』には「信楽」とのたまへり、如来の誓願、疑蓋雑はることなきがゆゑに信とのたまへるなり。『観経』には「深心」と説けり、諸機の浅信に対せるがゆゑに深とのたまへるなり。『小本』(小経)には「一心」とのたまへり、二行雑はることなきがゆゑに一とのたまへるなり。」(註釈版三九三頁)と三経と一心について釈し、さらに『浄土文類聚鈔』に「また問ふ。『大経』(第十八願)の三心と『観経』の三心と、一異いかん。答ふ。両経の三心すなはちこれ一なり。なにをもつてか知ることを得るとならば、宗師(善導)の釈にいはく、至誠心のなかにいはく、「〈至〉といふは真なり、〈誠〉といふは実なり」(散善義 四五五)と。人に就き、行に就いて信を立つるなかにいはく、「一心に弥陀の名号を専念する、これを正定の業と名づく」(同・意 四六三)と。またいはく、「深心すなはちこれ真実信心なり」(礼讃 六五四)と。回向発願心のなかにいはく、「この心深信せることなほ金剛のごとし」(散善義 四六四)と。あきらかに知んぬ、一心はこれ信心なり、専念はすなはち正業なり。一心のなかに至誠・回向の二心を摂在せり。」(註釈版四九四~四九五頁)と釈しています。
 『高僧和讃』「曇鸞讃」には、「論主の一心ととけるをば 曇鸞大師のみことには 煩悩成就のわれらが 他力の信とのべたまふ」(註釈版五八四頁)と和讃しています。
 以上をもって『大経』の三信、『観経』の三心、『阿弥陀経』の一心は、「他力の信」であるというわけです。


[補遺] 「非意業の信心」について
 親鸞は『高僧和讃』「曇鸞讃」に「論主の一心ととけるをば 曇鸞大師のみことには 煩悩成就のわれらが 他力の信とのべたまふ」(註釈版五八四頁)と和讃し、さらに「善導讃」において「信は願より生ずれば」(註釈版五九二頁)に「われら衆生の信は弥陀の願より起るなり」と左訓を付しています。
 では、この「他力の信」と凡夫の自覚・意識の関係は、どのように考えたら良いのでしょうか。
 かつて金子大栄、曽我量深は異安心と批判されました。金子はその問題とされた『浄土の観念』(大正一四年二月刊行)にて、「夫で之からの話の順序は、大体今申した事を言葉をまとめて申しますれば、浄土といふものは我々個人の自覚にとってどういう意味を持って居るかといふ方面を先づ第一に簡単にお話しようと思ひます。」(四頁)と述べています。また、曽我は問題とされた「如来表現の範疇としての三心観」(昭和二年五月刊行、『曽我量深選集』第五巻所収)にて、「それでお話する標準といふものはどこに置くのか、詰まり自分に置くのであります。(中略)詰まり愚な自分が首肯くまで自分に話して聞かせて、そうして愚な自分が成る程と受け取って呉れる迄話をしたいと思ふのであります。」(一五五頁)と言い、「私は『唯識』の阿頼耶識といふのは、即ち『大無量寿経』に説いてある所の弥陀の因位としての法蔵菩薩であると思ふ。」(一五七頁)、「自分は愚直であるものだからして、其の法蔵菩薩といふものゝ正態を、どうしても自分の意識に求めて行かないといふと満足出来ない。」(一五八頁)と述べています。
 金子、曽我両師は、因位としての法蔵と、果位としての浄土を、「個人の自覚」(金子)、「自分の意識」(曽我)の上に確認しようとして、異安心との批判を受けたのでした。
 この「他力の信」と凡夫の「個人の自覚」「自分の意識」の問題を考えるとき留意したいのは、「他力の信心は三業中の意業に非ず」という「他力信心非意業の説」です。
 『真宗大辞典』(昭和四十七年一一月改訂再刊)は「非意業の信心」について、次のように解説しています。

  非意業の信心  他力の信心は三業中の意業に非ずとするを云ふ。顧るにこの非意業説は寛政年中已後、真宗学界に於て創唱せられたものである。蓋し寛政年中に至つて本派の学林に於る謂ゆる三業帰命の安心が盛んに唱へられ、吾人の意業に於て後生たすけ給へと願ふを安心なりとしたるを以て之に反抗したる一派は正統の安心を闡明せんが為に、他力の信心は意業に非ずと主張するに至つたのである。故にそれ已前に於ては信心は意業なりや非意業なりやの議論はなかつたようである。大瀛の十六問尋通釈之弁には『たのむといふは意業にもあらず三業にもあらざること見るべし』(真宗全書七二の九九頁)とある。又同師の子三月書上安心書細説には『安心起行作業と申事、安心は次の文に顯はされ候通、信心歓喜乃至一念にて御座候。起行と申は行者身口意のはたらきにかけて修行するを申候。作業は其上の行作を申事に御座候。然れば起行作業に対して唯心に信ずる歓喜の一念を安心と名けられ候。安心と申す事は曾て三業の勤にわたり申さざる旨、此文明白に御座候』(真宗全書七一の二九六頁)と云ひて、起行は身口意に亙る行業なれども、安心は身口意三業の外に立つものとしてゐた。同師の横超直道金剛錍巻中及び宗極論にも同様の意味を記載してある。又大瀛と同時の学匠たりし道隠は三業安心と正統安心との相濫ずる点五箇條を列挙して、其の差別を鮮明せられたる簡濫五條には信と意業と相濫ずる事の一條を設け、信心は意業に非ざることを説明して『凡そ性相の定むる處は、意は業には非れども意は身口の業を発するが故に意思業と名けて、三業は一具(一組の意・池田注)にして作業にわたること倶舎唯識等に明すが如し。又独意業と云ふことあれどもこれは律家の所談なり。然れば意業と云ふは三業一具の発業にあり、信心とは信の心所と談じて意思業と信の心所と差別すること性相の通判すらかくの如し。況んや如来回向の他力の大信心豈凡夫の意思業に同じからんや。今家相承するところ三業は仏恩報謝の行門に在て之を談じ、信一念は行者の意業をしも論ぜんや、三業にかかはるべきに非ず(中略)明に知ぬ信楽開発の一念帰命は意業に非ず、仏智の名号のいはれを信念執持するのみ。然ればその信心とはすなはち仏智なり、仏心なり、行者三業相応の意業にあらざる事知  るべし』とある。されば他力信心非意業の説は大瀛道隠の始て明かに唱へしものであると云ふべし。(第三巻一八一二頁)

 以上の『真宗大辞典』の解説から三業惑乱以降、「信心」は「非意業」と理解されてきたことが知られます。
 さらに『真宗大辞典』は「非意業」とする理由を、次のように解説しています。

  然らば他力の信心は意業に非ずとする理由如何と云ふに、この問題について諸学匠は種々の意見を発表せられた。大瀛の金剛錍巻上(二七丁)の説明に拠るに、三業はみな行に属するものにして皆造作の相なり、他力の信心は機の運想造作を離れたるものなるが故に、意業に非ずとする意見の如くである。又道隠の簡濫五條(前に引抄したる文意)に拠れば、他力の信心は仏智なり仏心なるが故に、衆生の意業の思量にわたるものに非ずとする如くである。又曇龍は他力の信心は仏の勅命のままを領受して深く信じたる心であつて、衆生の思量分別を容れざる心なるが故に意業に属すべきに非ずとせられたと云ふ(曇龍の孫弟たる赤松連城より聞く所に拠る)又利井鮮妙の意業非意業之論に拠るに師は非意業なる所以を説くに三の理由を以てして、一に極促の一念なるが故に、謂く信の一念は唯仏與仏の知見なる至極短かき時間なるが故に、凡夫の意業分別を容るる暇がない、二に意業は麁分別の故に、謂く信の一念は凡夫の覚知し難き程の極促幽微の一念なれば、麁き意業分別なきは当然である、三に意業なるものは浮沈存亡がある、浮沈存亡ある意業を以て信体となさば心不断とは云はれぬ、故に信一念は存没増微なき非意業なるべきであるとしてゐる。又足利義山の真宗百題啓蒙の一念両釈の題下には信一念は意業に非ざることを述て『意の字、倶舎には思量の義とし、俗典には心の所発とす、業とは造作の義なれば何れも無疑無慮無作の他力回向に適せざれば意業の名を用ゆべからず』と云て、信の一念は衆生の思量分別を離れて、ただ仏の願力を聞信するのみなれば、意業とすべきではないとしてある。石川舜台の真宗安心之根本義、宗学院論輯第九輯に出づ。(第三巻一八一三頁)

 以上から、「他力信心非意業の説」を要約すれば、「起行は身口意に亙る行業なれども、安心は身口意三業の外に立つもの」であり、「無疑無慮無作の他力回向」は「衆生の思量分別を離れ」ており、「意業とすべきではない」となりましょう。こうした議論を踏まえて、梯實圓は「信心」を、次のように解説しています。

  「難信」とは、まことの信心は阿弥陀仏から恵み与えられるものであって、自力で信じられるような信心ではないということです。したがって、まことの信心は、人間の分別的な知性を超越した、阿弥陀仏の領域に属するものであるということを表しています。信心は人間の心に開くものですが、人間に属するものではなく、その本体は阿弥陀仏の智慧であり、慈悲であり、仏心そのものだったのです。(梯實圓『聖典セミナー 教行信証[教行の巻]』七六頁)

  親鸞聖人は、行信を勧めるのに「もつぱらこの行に奉(つか)へ、ただこの信を崇(あが)めよ」といわれています。これによって真実の行信は、わがはからいによって行ずるものでも、信ずるものでもなく、阿弥陀仏よりたまわった本願力回向の南無阿弥陀仏につかえているのが称名であり、心に響き込んでくださる阿弥陀仏の救いの名のりを崇め尊んでいるのが信心だということがわかります。信も行も阿弥陀仏が私のうえではたらいている姿だったのです。一声の念仏も、わがはからいによって出てくるものではありません。南無阿弥陀仏という、最勝にして至易なる行を選び取って、お願いだからわが名を称えてくれよと呼びかけ、われらを念仏するものに育てたもうた本願力がなかったら、一声の念仏も口をついて出ることはなかったのです。一声一声が阿弥陀仏の本願海から恵み与えられた行であることを、親鸞聖人は「行文類」のはじめに、 大行とはすなはち無礙光如来の名を称するなり。(中略)しかるにこの行は大悲の願より出でたり。(『註釈版聖典』一四一頁) と説かれています。阿弥陀仏よりたまわった行を行じているということは、阿弥陀仏のはからいに「つかえ」ているということになります。称名の主体はどこまでも阿弥陀仏であって、私は「もっぱらこの行につかえ」るばかりなのです。(中略)それゆえ信心とは、私の能力によって確立する思いではなくて、ただ阿弥陀仏の言葉をはからいなく聞いて崇め尊ぶところに自然に成就する事実だったのです。そのことを「ただこの信を崇めよ」と説かれたのです。(同八三~八五頁)

 さて、この「他力信心非意業の説」に対して、山崎教正は『親鸞の価値哲学』(二〇〇三年六月)にて、次のように述べています。

  人が起すところの信心は勿論のこと、仏より与えられる他力の信であれ、それらは広い意味での心経験―意識作用であるのに違いはないのであるから、それを非意業と断定し一切の意業を拒否する教学は真に十全なものと言えるであろうか。果たして、宗学者の中からも「在来の会通と異なれる解明がなされて然るべきではないであろうか。一箇の研究課題として学者の再検討を期待したい」(大原性実『真宗異義異安心の研究』昭和三十一年六月一〇日、三八一頁・池田注)という発言もなされているのである。(『親鸞の価値哲学』四~五頁)

  真宗で説く信心は既に述べたように、名号の謂われ(本願の勅命)を無疑・無慮に聞-信して仏願に信順・全托する、いわゆる他力の信心であって、そこには自己の意識を働かせる(意業)ことがあってはならない非意業の信心であるというのが宗学の定説であるからである。従って、自己の意識を働かせた信心というのは自心建立・自力運想の自力の信心であるとして排斥せられることになる。しかし、この自己の思慮分別によって形成される自力の信心ということから、広くあらゆる意識作用をも排斥せねばならぬということは、信心という明白な意識作用そのものを否定してしまうという矛盾を露呈するものではないかという疑問も当然起りうるのである。ここは、論理的視点と心理的視点に分けて更に考察を進めるべきであろうと考える。(同一一七頁)

 さらに、山崎は「宗学では信心を心理学的に研究するということ、仏教学の範囲内では唯識学を用いることをも避けてきた。」(二一頁)と述べています。
 「如来回向の他力の大信心」を「衆生の思量分別」や「凡夫の意業分別」「自己の思慮分別」と同列に論じることは〝勿体ない〟〝おそれ多い〟という意味で、「自己の意識を働かせた信心」=「自力の信心」や「他力の大信心」=「非意業の信心」というのであれば、その「自力」や「非意業」と表現した思いは充分理解できましょう。
 しかし、「禅の脳科学的研究」や精神医療と宗教の垣根を越えた連携を目指す学会が創立され、医療と宗教の協力が求められている今日、「非意業」の名の下に、「広くあらゆる意識作用」を「排斥」「拒否」「否定」しなければならないとしたら、現代の科学的知見と宗教との対話は困難となりましょう。
 「非意業の信心」、言い換えれば、「一切の意業を拒否する教学」に対する、大原の「一箇の研究課題として学者の再検討を期待したい」や、山崎の「論理的視点と心理的視点に分けて更に考察を進めるべきであろう」との指摘は、一考に値すると思います。
 ちなみに大原は、この「意業非意業の問題」について、次のように「一疑問を提起」しています。

  繰り返して云えば、意業と云うも自力の意識ではなく、他力廻即ち仏力の御もよほしによる信の意識であり、他力によるめざめ(自覚)である。親鸞はこれを「信心の智慧」と云い、或は「智慧の念仏」と表現せられた。信心が意識作用であり、心経験であることは『歎異抄』第一條に 弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まふさんとおもひたつるこゝろのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。 とあることによつても知られるであろう。『御文章』に「帰命の心おこる」とあるものや「助けたまへと思ふこゝろの一念」とあるもの、さては、『安心決定鈔』に「意業にうかびいずる」(註釈版一四〇五頁・池田注)とある諸文のこゝろは、いづれも皆同じ趣きを表現せられたものと心得べきであつて、「めざめさせられた信の意識」即ち「他力によるめざめの自覚」の表明に外ならぬのである。三業惑乱に於ける諍論は、わが教学史上に種々の影響を與えたのであるが、この意業非意業の問題も、その重要な一つであつて、その論議の趣旨は十分諒とせられるが、いささか羮に懲りて膾を吹くの結果を見たものではないかと思われるのである。以上述ぶるところは真宗学研究上に一疑問を提起したに過ぎない。もとよりこの問題に関しては尚十分に研究を重ねて先哲研鑽の跡を全からしむべきである。 (大原性実『真宗異義異安心の研究』三八二~三八三頁)

 かつて恵然は「能発一念喜愛心」を釈するにあたって、「能発」といっても「自力」ではなく、「如来選択の願心より発起す」といい、その理由を「謹んで祖釈(親鸞の釈・池田注)を按ずるに、如来の因位は如実の心を以て至徳の尊号を成就す。以て衆生に施す。此の至徳の尊号は、至心を体と為す。故に如来の真実功徳を、即ち衆生の真実と為す。然れば則ち施すところの功徳、意業に顕現す。而して虚偽無し。至心と名づく也。」(『句義』二六九頁)と釈し、「意業に顕現す」と述べています。
 「起行は身口意に亙る行業なれども、安心は身口意三業の外に立つもの」であるといわれる「他力信心非意業の説」においては、「安心」「起行」と身・口・意の「三業」とが、一人格上において、いかにトータルに把握されるかが課題となりましょう。
 なお、「三業惑乱」の「史学の上」の評価に関しては、金龍静『一向一揆論』(二三~二四頁)を参照して下さい。
by jigan-ji | 2016-01-29 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[178]     2016年 01月 28日
 補遺[130] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[27](2013年8月7日)を補足します。

 Ⅲ 依釈段  二 七高僧をたたえる  2 天親の教え

二 七高僧をたたえる
2 天親の教え
ⅰ 造論の功

【本文】
 天親菩薩造論説 歸命无礙光如来 依修多羅顯真實 光闡横超大誓願

【書き下し文】
 天親菩薩、『論』(浄土論)を造りて説かく、無礙光如来に帰命したてまつる。修多羅によりて真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。

【現代語訳】
 天親菩薩は、『浄土論』を著して、「無礙光如来に帰依したてまつる」と述べられた。浄土の経典にもとづいて阿弥陀仏のまことをあらわされ、横超のすぐれた誓願を広くお示しになり、

【先徳の釈】
《六要鈔》
 天親の讃の中で、初めの二句は、造論の事を標し、帰命の意を述べている。「依修」以下の二行四句は、所依真実の義を明かし、また横超他力の益を顕かす。『論』の中に横超の言葉はないとはいえ、三経一論所説の法門法体が同じであるゆえ、かの経(大経巻下)の中に「横絶」といい、「横截」ともいい、今「横超」というのである。また大師の釈(玄義分)にこの名目があるゆえ、「横超大誓願」というのである。「彰一心」とは、「我一心」を指し、論主の一心、行者の一心は同じでなければならない。だから釈して「為度群生」というのである。(和訳六要鈔一二九頁、宗祖部二六九頁)

《正信偈大意》
 「天親菩薩造論説 帰命無礙光如来」といふは、この天親菩薩も龍樹とおなじく千部の論師(ろんじ)り。仏滅後九百年にあたりて出世したまふ。『浄土論』一巻を造りて、あきらかに三経の大意をのべ、もつぱら無礙光如来に帰命したてまつりたまへり。「依修多羅顕真実 光闡横超大誓願 広由本願力回向 為度群生彰一心」といふは、この菩薩、大乗経によりて真実を顕す。その真実といふは念仏なり。横超の大誓願をひらきて、本願の回向によりて群生を済度せんがために、論主(天親)も一心に無礙光に帰命し、おなじく衆生も一心にかの如来に帰命せよとすすめたまへり。(註釈版一〇三〇~一〇三一頁)


【釈義】

◎天親菩薩造論説
 「天親菩薩造論説」以下の十二句は『浄土論』により天親を讃嘆します。「天親菩薩造論説」は【現代語訳】に「天親菩薩は、『浄土論』を著して」とあります。『六要鈔』には「造論の事を標し」と釈しています。
 「天親」については、『論註』に「「婆藪」を訳して「天」といふ。「槃頭」を訳して「親」といふ。この人を天親と字く。事は『付法蔵経』にあり。」(七祖篇五〇頁)と釈しています。『念仏正信偈』(註釈版四八七頁)も「天親菩薩」とあります。『入出二門偈頌』には「婆薮槃豆菩薩の造なり、婆薮槃豆は、これ梵語なり。旧訳(くやく)には天親、これは訛れるなり、新訳には世親なり、これを正とす。」(宗祖部四八〇頁)とあります。『尊号真像銘文』(註釈版六五一頁)も参照してください。
 深励は「爾れば旧に天親と訳したも可なり。又新訳で世親と翻したも勿論、歒対ゆへに両方乍ら用て然なり。故に吾祖も両方乍ら御依用で、二門偈では世親との玉ひ、此偈では天親との玉ふ。新旧両訳ながら用玉ふ。」(『深励』一五〇頁)と述べています。
 天親は紀元後四〇〇年から四八〇年頃(別説では紀元後三二〇年~四〇〇年、『龍樹』四五三頁)で、北インド、現在のパキスタン北辺、アフガニスタンに近いペシャワールに生まれました。その地はガンダーラと呼ばれました。梵名をヴァスバンドウ(Vasubandhu)といい、訳して天親(旧訳)、世親(新訳)といいます。三人兄弟で長兄を無着、弟を獅子覚といいました。成長して隣国のカシミールに留学して部派仏教を学び五天竺第一の小乗学者(説一切有部)といわれ『阿毘達磨倶舎論』を著して一家をなし、大乗仏教を批判しました。後、兄無着(むじゃく)の説得により大乗に転じ瑜伽行学派(唯識仏教)の祖師として仏教史上すぐれた足跡を残しました。龍樹と並んで「千部の論主(ろんじゅ)」と称されます。深励は「菩薩一代の造論のことは、恵愷の旧倶舎序(初左)に「造大小乗論凡数十部」とあり、扨西域記五(十二左)云ふ「製大乗論凡百餘部」、嘉祥百論疏序(十左)云ふ「造五百部小乗論乃至造大乗五百部論時人呼為千部論主」」(『深励』一五〇頁、『夏爐』一四〇頁)と釈しています。
 親鸞の天親理解については『高僧和讃』「天親讃」(註釈版五八〇頁以下)を参照して下さい。
 なお、隨慧は「婆薮槃豆」の翻訳について言及し、「問ふ。新訳家より破するがごとく、天親と云ふは決して偽謬なりや。答ふ。一概に偽謬とも云ひがたし。」と問答を設け、さらに天親と世親とは、「一説に別人と云ふ。今取らざるところなり。」(『説約』三八八頁)と述べています。
 この「婆薮槃豆」の翻訳について先学は、「ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)を、真諦は婆藪槃豆と、玄奘は伐蘇畔度と音写する。また真諦は(すでに菩提留支・勒那摩提・仏陀扇多や毘目智仙も)天親と、玄奘は(旧は「訛謬」なりとして)世親と訳す。玄奘の訳場に列した神泰はその『倶舎論疏』第一に、天親という訳の誤りを詳説する(「西域記」一七一ページ註)。天親と世親という二つの訳語の相違は、一見明白のように、ヴァスバンドゥヴァスにある。vasuの語は、インド最古の文献である『リグ・ヴェーダ』に頻出し、動詞のvas(光る・輝く)を語根として、「輝く」「明るい」「すばらしい」「よい」などをあらわす形容詞で、主神インドラを修飾し、ときにその異名ともなる。したがって真諦(および上記の人々)がそれを「天」と訳したのは、妥当と評されよう。玄奘が真諦に対する反撥はあまりに激しい(袴谷憲昭「仏教史の中の玄奘」にくわしい。桑山正道・袴谷『玄奘』大蔵出版)。その系譜の法相宗の人々はいっそう急であり、玄奘の新訳以後は、世親に統一された(ただしたとえば『大乗百法明門論』天親菩薩造・唐玄奘訳〔大正大蔵経三十一巻〕の例もないではない。しかしこの書の偽作説もある)。」(『世親』三一~三二頁)と述べています。
 「造論」とは、『浄土論』の製作のことであり、「造論説」とは『浄土論』を造って説いたという意です。『浄土論』には、「われ論を作り偈を説く。願はくは弥陀仏を見たてまつり、あまねくもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。」(七祖篇三二頁)とあります。『浄土論』は偈頌(げじゅ・詩句)と長行(じょうごう・散文)からなりますが、普門は「偈は己心を申ぶ。長行は化他に約するなり。」(『發覆』一八六頁)と釈しています。
 『浄土論』はまさしくは『無量寿経優婆提舎願生偈』といいます。その「無量寿経」とは、「総依三経別依大経の論」とか「三経通申の論」「大経別申の論」といわれますが、曇鸞の『論註』の「釋迦牟尼仏在王舎城(大経・観経)及舎衛国(阿弥陀経)於大衆之中説無量寿仏荘厳功徳」(三経七祖二七九頁、七祖篇四八頁)によれば「三経通申の論」といえます。また、『浄土論』は「願生偈」とあるように、天親自身が往生浄土を願生する意を述べる偈文でもあります。
 法然は『選択集』「二門章」で「三経一論」(七祖篇一一八七頁)といって『浄土論』を重視していますが、『浄土論』は弥陀の浄土に往生することを天親自らが述べているからです。
 『浄土論』は偈頌と長行からなります。その内容を図示すると、次のようになります。
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 なお、慧空は『浄土論』の「一心」と「五念門」の関係を、「開は五指五念門。摂は一心挙なり。往生の種は帰命の一心なり」(『略述』二〇頁)と、五指と拳の関係に譬え、さらに恵然は「凡そ因の五門はこの一心にあり。(中略)又この五門、祖師は常に他力の心行と云ふ。心は一心。行は五門。」(『句義』三〇〇頁)と釈しています。

◎帰命無礙光如来
 「帰命無礙光如来」は、天親の阿弥陀如来に対する帰依を述べます。【現代語訳】には「「無礙光如来に帰依したてまつる」と述べられた」とあります。
 「帰命等」とは『浄土論』に「世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。」(七祖篇二九頁)に拠り、『尊号真像銘文』には「「帰命」は南無なり、また帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり。」(註釈版六五一頁)と釈しています。また、『高僧和讃』「天親讃」には「天親論主は一心に 無礙光に帰命す 本願力に乗ずれば 報土にいたるとのべたまふ」(註釈版五八一頁、本書二七頁以下も参照して下さい)と和讃しています。
 「無礙光如来」とは、「尽十方無礙光如来」を略したものです。法霖は「無礙光は、つぶさには尽十方無礙光と曰ふ。安楽浄土の如来の別号。」(『捕影』四〇頁)と釈しています。「無礙」については『尊号真像銘文』に、「「無礙」といふは、さはることなしとなり。さはることなしと申すは、衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。」(註釈版六五二頁)と釈し、また『唯信鈔文意』に「尽十方無礙光仏とまうすひかりの御かたちにて、いろもましまさず、かたちもましまさず、すなはち法性法身におなじくして、無明のやみをはらひ、悪業にさへられず、このゆへに無礙光とまうすなり。無礙は有情の悪業煩悩にさへられずとなり。」(宗祖部六三一頁)と釈しています。すなわち、「無礙光如来」とは、阿弥陀仏の別名で、十方世界にゆきわたって、どんなものにもさえぎられることのないひかりの如来という意味です。


◎依修多羅顕真実
 「依修多羅顕真実」は【現代語訳】に「浄土の経典にもとづいて阿弥陀仏のまことをあらわされ」とあります。この句は『浄土論』「偈頌」の「われ修多羅の真実功徳相によりて、願偈を説きて総持し、仏教と相応せん。」(七祖篇二九頁)に拠ります。
 「依」については、『論註』に「依修多羅 与仏教相応」を釈して「偈に「我依修多羅 与仏教相応」といふ。「修多羅」はこれ仏経の名なり。われ仏経の義を論じて、経と相応す。仏法の相に入るをもつてのゆゑに優婆提舎と名づく。名、成じをはりぬ。上の三門(礼拝・讃嘆・作願の三門、池田注)を成じて下の二門(観察・回向の二門、池田注)を起すとは、いづれのところにか依り、なんのゆゑにか依り、いかんが依る。いづれのところにか依るとは、修多羅に依る。なんのゆゑにか依るとは、如来はすなはち真実功徳の相なるをもつてのゆゑなり。いかんが依るとは、五念門を修して相応するがゆゑなり。」(七祖篇五五~五六頁)と釈しています。「仏法の相」とは「仏所説の法相」(『發覆』一八七頁)の意です。「依」について、「いづれのところにか依り」(所依)、「なんのゆゑにか依り」(依意)、「いかんが依る」(依相)の三義でもって釈しています。
 「修多羅」とは梵語のスートラ、お経のことです。『論註』には「「修多羅」はこれ仏経の名なり。われ仏経の義を論じて、経と相応す。(中略)「修多羅」とは、十二部経のなかの直説のものを修多羅と名づく。いはく、四阿含・三蔵等、三蔵のほかの大乗の諸経もまた修多羅と名づく。このなかに「依修多羅」といふは、これ三蔵のほかの大乗の修多羅なり。阿含等の経にはあらず。」(七祖篇五五~五六頁)と釈しています。また、『尊号真像銘文』には、「「修多羅」は天竺(印度)のことば、仏の経典を申すなり。仏教に大乗あり、また小乗あり。みな修多羅と申す。いま修多羅と申すは大乗なり、小乗にはあらず。いまの三部の経典は大乗修多羅なり、この三部大乗によるとなり。」(註釈版六五二頁)と釈しています。つまり、親鸞は「修多羅」とは「浄土三部経」であるというわけです。
 「顕真実」の「真実」とは『浄土論』にいう「真実功徳相」です。『論註』には、「「真実功徳相」とは、二種の功徳あり。一には有漏の心より生じて法性に順ぜず。いはゆる凡夫人天の諸善、人天の果報、もしは因もしは果、みなこれ顚倒、みなこれ虚偽なり。このゆゑに不実の功徳と名づく。二には菩薩の智慧清浄の業より起りて仏事を荘厳す。法性によりて清浄の相に入る。この法顚倒せず、虚偽ならず。名づけて真実功徳となす。いかんが顚倒せざる。法性によりて二諦に順ずるがゆゑなり。いかんが虚偽ならざる。衆生を摂して畢竟浄に入らしむるがゆゑなり。」(七祖篇五六頁)と、その真実なる所以を「不顚倒(ふてんどう)」「不虚偽(ふこぎ)」で釈しています。その「真実功徳相」を親鸞は『尊号真像銘文』にて「「真実功徳相」といふは、「真実功徳」は誓願の尊号なり、「相」はかたちといふことばなり。」(註釈版六五二頁)と釈しています。
 曇鸞や親鸞は「真実」を「不顚倒」「不虚偽」と定義し、その「真実功徳」が「誓願の尊号」、すなわち南無阿弥陀仏であるというわけです。先学は「不顚倒」「不虚偽」を、「「不顚倒」とは、法性の道理に契った如来の智慧の徳をいい、「不虚偽」とは、一切の衆生を救うて、さとらしめたまうから、慈悲の徳をいうのであります。他の言葉でいうと、自利と利他とであります。」(神子上恵龍『正信偈の話』三八頁)と釈しています。


◎光闡横超大誓願
 「光闡横超大誓願」は【現代語訳】に「横超のすぐれた誓願を広くお示しになり」とあります。この句は『大経』の「如来、無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。」(註釈版九頁)とあるに拠ります。「道教を光闡して」とは、「仏道の教えを広く説きのべて。」(註釈版一〇頁脚注)の意です。
 「光闡」とは光は広く、闡はのぶること。広く説き述べる意です。普門は「光は広なり。闡は暢ぶるなり。」(『發覆』一八七頁)と、若霖は「光とは大なり広なり、闡とは開なり顕なり」(『文軌』五二頁)と、隨慧は「光は廣なり。闡は顕なり。」(『説約』三九二頁)と、仰誓は「憬興の云ふ。光とは廣なり。闡とは申すなり。」(『夏爐』一四二頁)と釈しています。
 『六要鈔』は「横超」について、「『論』の中に横超の言葉はないとはいえ、三経一論所説の法門法体が同じであるゆえ、かの経(大経巻下)の中に「横絶」といい、「横截」ともいい、今「横超」というのである。また大師の釈(玄義分)にこの名目があるゆえ、「横超大誓願」というのである。」と釈しています。「かの経の中」とは『大経』に「かならず〔迷ひの世界を〕超絶して去つることを得て安養国に往生して、横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ぢ、道に昇るに窮極なからん。」(註釈版五四頁)とあるを指します。また「大師の釈」とは、『玄義分』の「横に四流を超断すべし。〔横超断四流〕」(七祖篇二九七頁)を指します。
 「横超大誓願」とは、第十八願をいいます。「信文類」の「横超断四流釈」には、「横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず、一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す、ゆゑに横超といふなり。」(註釈版二五四頁)と釈しています。「横超」の「横」は「他力」の意であり、「超」は「頓速」の意です。
 よって、「光闡横超大誓願」とは、『大経』の精髄である名号の教えに基づいて、阿弥陀仏に帰命し、浄土を願生することを、広く説き述べるという意になります。


[補遺 「名無眼人」「名無耳人」について
 親鸞は『浄土和讃』に「大聖易往とときたまふ 浄土をうたがふ衆生をば 無眼人とぞなづけたる 無耳人とぞのべたまふ」(註釈版五七二頁)と和讃しています。
 また、『親鸞聖人御消息』では「釈迦如来のみことには、念仏するひとをそしるものをば「名無眼人」と説き、「名無耳人」と仰せおかれたることに候ふ。」(註釈版七八七頁)と述べています。
 つまり、親鸞は「浄土をうたがふ衆生」、さらには念仏者を弾圧する側の、「念仏をとどめんとするところの領家・地頭・名主」(註釈版七八七頁)を、「名無眼人」「名無耳人」と批判しています。言い換えれば、親鸞は「名無眼人」「名無耳人」を、弾圧され迫害された側から解釈しています。
 この「名無眼人」「名無耳人」について、法霖は大変興味深い釈をほどこしています。
 すなわち、法霖は「光闡横超大誓願」を釈するなかで、「大誓願」を明かすには「略闡」と「広闡」があるといい、「略闡」とは「帰命尽十方文」であり、「広闡」は「観彼世界相已下文」であると述べ、その「観彼世界相下」の「依正荘厳功徳成就」は「略」すれば「一法句」となり、「広」げれば「二十九種」となり、この「一法句」は「是清浄真実名寶珠」であるとし、そのうえで「観察門二十九種」の「観」には、「聞」と「見」の二義が具していると釈します。
 すなわち、「聞とは名号より来る。見とは光明より来る。聞は耳で聞に非ず、即ちこれ心で聞く。見は眼で見るに非ず、即ちこれ心で見る。聞と見と合わせて一つの観の名義を成ず。又聞は善知識より来る。見は経巻より来る。聞と見の義絶えれば無眼人と名づけ、無耳人と名づく。此の聾盲病を除くは、横超の大誓願。ゆえにいわく。彼の智慧の眼を開いて、此の昏蒙の闇を滅す。高祖のいわゆる「無礙光如来の名号と かの光明智相とは 無明長夜の闇を破し 衆生の志願をみてたまふ」は是なり。」(『捕影』四三頁)と釈しています。
 つまり、「聞は善知識より来る。見は経巻より来る。聞と見の義絶えれば無眼人と名づけ、無耳人と名づく。」と釈しています。「聞」=「善知識」と「見」=「経巻」の有無において、言い換えれば、「善知識」と「経巻」を前提として、「名無眼人」「名無耳人」を解釈しています。
 世の宗教の多くは、弾圧や迫害される側にあった時は、おおむね「非暴力」と「平和主義」を貫きます。しかし、やがて多数派、体制側になると、「善知識」や「経巻」を現状維持の立場から解釈し、緻密な教学体系を構築するようになります(星川啓慈・石川明人『人はなぜ平和を祈りながら戦うのか? ―私たちの戦争と宗教―』二〇一四年、一五八頁)。
 私は「善知識」と「経巻」を否定するものではありません。「善知識」と「経巻」を否定したならば、浄土真宗の存立根拠を失います。しかし、親鸞が『教行信証』「後序」に、さらに蓮如が『歎異抄』「後序」に流罪の記録を書き留めたことに思いをいたす時、弾圧や迫害を受けた側からの仏教理解・解釈の視点を忘れてはならないと思います。なお、『捕影』からの引文中の「聾盲病」については、『浄土真宗聖典(註釈版)』「補註14」を参照して下さい。
by jigan-ji | 2016-01-28 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[177]     2016年 01月 23日
 補遺[129] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[26](2013年8月2日)を補足します。

 Ⅲ 依釈段  二 七高僧をたたえる  1 龍樹の教え

二 七高僧をたたえる
1 龍樹の教え
ⅱ 難行道と易行道(承前)

◎憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
 「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」は【現代語訳】に「「阿弥陀仏の本願を信じれば、おのずからただちに正定聚に入る」とあります。
 「憶念弥陀仏本願」以下の四句は『易行品』弥陀章に、「人よくこの仏の無量力威徳を念ずれば、即時に必定に入る。このゆゑにわれつねに念じたてまつる。」(七祖篇一六頁)に拠ります。
 「憶念」とは「億持明記不忘義」(『發覆』一八四頁)、「憶恃不忘義」(『捕影』三八頁)で、心におもうて忘れないことをいい、真宗では信心の異名とします。『一念多念文意』には「「念」は如来の御ちかひをふたごころなく信ずるをいふなり。」(註釈版六九二頁)といい、『唯信鈔文意』には「憶念は、信心をえたるひとは疑なきゆゑに本願をつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。」(註釈版七〇五頁)と釈しています。
 『六要鈔』では「憶念」等とは、先の「行文類」へ引用の『易行品』の「人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば、即の時に必定にいる。このゆゑにわれつねに念じたてまつる。」(註釈版一五三頁)等の文の意であると釈しています。
 親鸞は『易行品』の「行文類」への引用にあたって、「このもろもろの仏世尊現に十方の清浄世界にまします。みな名を称し憶念すべし。」(七祖篇一五頁)と読むべきところを、「この諸仏世尊、現在十方の清浄世界に、みな名を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくのごとし。」(註釈版一五三頁)と読んでいます。すなわち、本来は阿弥陀仏も含めた百七の諸仏の名を称し、諸仏を憶念すべしとの意を、阿弥陀仏以外の百六の諸仏が阿弥陀仏の名を称し、阿弥陀仏を憶念している意と解釈しました。それを「憶念弥陀仏本願」と語られたわけです。
 「弥陀仏本願」とは、念ずるところの第十八願を指します。ここに弥陀と出したのは諸仏に簡別するためです。

 「自然即時入必定」は、『易行品』長行の「憶念阿弥陀仏本願」(三経七祖部二五九頁)に続いて「もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得」(七祖篇一五頁)に拠ります。『易行品』では「即入必定」(三経七祖二五九頁)とありますが、親鸞は「必」の字に「自然」の義を含んでいると見たので「自然即時入必定」と表しました(『深励』一四六頁)。『尊号真像銘文』には「「必」はかならずといふ、かならずといふは定まりぬといふこころなり、また自然といふこころなり」(七祖篇六四五~六四六頁)と釈しています。
 「自然」とは「任運不作意義」(『發覆』一八五頁)、「無功用義」(『捕影』三八頁、『説約』三八四頁)で、おのずから然らしむという意味で、他の力をかりないで、そのもの自身の力でなることをいいます。大自然の力ではなく、阿弥陀仏のはたらきを指します。
 『親鸞聖人御消息』「自然法爾の事」には、「「自然」といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず。「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。」(註釈版七六八頁)と釈しています。
 「自然」は通例、次の三種に分類されます(『浄土真宗辞典』二八九頁)。

①業道自然。善悪の行為によって因果の法則どおりに結果を生ずること。「自ずから然り」という意にあたる。『大経』「五善五悪」(五悪段)の用例は多くはこの意であるが、親鸞は「自然」の語をこの意で用いるこ  とはない。

②願力自然。「自ずから然らしむ」という他力の意。阿弥陀仏の本願力を信じ、願力にまかせる行者は、何のはからいもなく本願力によって自ずから浄土に往生せしめられることをいう。

③無為自然。さとりの世界は有無の分別を離れ、分別による限定を超えた絶対無限の境地であることをいう。

 「即時」とは、阿弥陀仏の本願を憶念したその瞬間の意です。親鸞は「行文類」六字釈に、「「即」の言は願力を聞くによりて報土の真因決定する時刻の極促を光闡するなり。」(註釈版一七〇頁)と釈しています。
 「必定」とは、「必ず仏果に至るに定るとなり。すなはち正定聚なり。」(『説約』三八四頁)とあります。『易行品』に「人よくこの仏の無量力威徳を念ずれば、即時に必定に入る。」(七祖篇一六頁)とあるに拠ります。
 「正定聚」については『親鸞聖人御消息』に、「信心をえたるひとは、かならず正定聚の位に住するがゆゑに等正覚の位と申すなり。『大無量寿経』には、摂取不捨の利益に定まるものを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には等正覚と説きたまへり。その名こそかはりたれども、正定聚・等正覚は、ひとつこころ、ひとつ位なり。等正覚と申す位は、補処の弥勒とおなじ位なり。弥勒とおなじく、このたび無上覚にいたるべきゆゑに、弥勒とおなじと説きたまへり。さて『大経』(下)には、「次如弥勒」とは申すなり。弥勒はすでに仏にちかくましませば、弥勒仏と諸宗のならひは申すなり。しかれば、弥勒におなじ位なれば、正定聚の人は如来とひとしとも申すなり。浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来とひとしと申すこともあるべしとしらせたまへ。弥勒はすでに無上覚にその心定まりてあるべきにならせたまふによりて、三会のあかつきと申すなり。浄土真実のひとも、このこころをこころうべきなり。光明寺の和尚(善導)の『般舟讃』(意 七九二)には、「信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居す」と釈したまへり。「居す」といふは、浄土に、信心のひとのこころつねにゐたりといふこころなり。これは弥勒とおなじといふことを申すなり。これは等正覚を弥勒とおなじと申すによりて、信心のひとは如来とひとしと申すこころなり。」(註釈版七五八~七五九頁)と釈しています。
 慧琳は「自然即時等とは、現生不退の益を示す」(『帯佩』五二二頁)と述べています。
 なお、先学は『易行品』「弥陀章」の「憶念阿弥陀仏本願如是 若人(十方衆生)念我(三信)称名(乃至十念)自帰(三信十念)即入必定(即得往生)得阿耨多羅三藐三菩提(若不生者不取正覚)」(三経七祖二五九頁)を第十八願の因願取意の文の意と理解し、さらに偈頌の「人(諸有衆生)能念(聞信歓喜)是仏無量力功徳(其名号)即時入必定(即得往生住不退転)是故我常念(報恩)」(三経七祖二六〇頁)を第十八願の成就文の意と解釈しています(『要義』一九頁、『講述』一六二頁)。
 また、先学は「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」を、「阿弥陀仏の本願を憶念する時、本願の軌道にはいるのだ。それが必然だ。阿弥陀仏の本願が信ぜられて毎日の日暮しは阿弥陀仏の本願と共に動くのである。(中略)本願一実の大道、阿弥陀如来の本願を憶念する、そうすると本願の軌道へはいるのです。」(『講話』二七〇頁)と味わっています。


◎唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
 「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」は【現代語訳】に「ただ常に阿弥陀仏の名号を称え、本願の大いなる慈悲の恩に報いるがよい」と述べられた」とあります。
 『六要鈔』には、「唯能」以下の二句は、「易行の法に遇って出離は心に在り、他力の仏恩を報ずべきことを勧める」とあります。
 この文は「行文類」に引用の『易行品』に、「世自在王仏 乃至その余の仏まします この諸仏世尊、現在十方の清浄世界に、みな名を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくのごとし。〈もし人われを念じ名を称しておのづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得、このゆゑにつねに憶念すべし〉と。」(「行文類」の読み方、註釈版一五三頁)とあり、さらに「人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば、即のときに必定に入る。このゆゑにわれつねに念じたてまつる。」(註釈版一五三頁)とあるに拠ります。
 月筌は「唯とは報恩の勤以て餘異なきを謂ふ。能とは謝徳の念以て僻習なきを謂ふ。常とは不易の心を謂ふ。」(『勦説』二五頁)と釈し、若霖は「行住坐臥等を簡ばざるが故に常と云ふ」(『文軌』五一頁)と釈し、法霖はこの二句を「唯は無余修、常称は長時、而して無間修を兼ね、報恩は恭敬修。」(『捕影』三九頁)と四修に配し、隨慧は「報恩の行無量なりと云へども、本願を憶念せんものは、ただ一向に念仏するを唯と云ふ。能は不堪に対す。」(『説約』三八五頁)と釈しています。先学は「専ら仏名を称して仏恩を報謝するが故に「唯」といい、信心の力は自ら報謝の称名を行ぜしむるが故に「能」という。『愚禿鈔』(下)に「能言対不堪也」(真聖全(二)四七七頁)とある。如実の称名は末代の今日の劣機に堪能するのである。また如実の称名は、遍数の多少、行住坐臥を論ぜざれば「常」といい憶念相続の相である。」(『講述』一六五頁)と述べています。
 「称如来号」とは、『浄土論』には「称彼如来名(かの如来の名を称する)」(七祖篇三三頁)とあり、『論註』には「称無礙光如来名(無礙光如来の名を称するなり)」(七祖篇一〇三頁)とあるに拠ります。すなわち南無阿弥陀仏と称名念仏することです。

 「応報大悲弘誓恩」とは、『易行品』偈文の「即時入必定是故我常念(、、)」(七祖篇一六頁)の「常念」を『大智度論』三番解釈の文意(取意)によって釈したものといわれます(『讃述』一二九頁)。
 すなわち『安楽集』に、「第六に『大智度論』(意)によるに三番の解釈あり。「第一に仏はこれ無上法王にして、菩薩は法臣たり。尊ぶところ重くするところはただ仏世尊なり。このゆゑにまさにつねに念仏すべし。第二にもろもろの菩薩ありてみづからいはく、〈われ曠劫よりこのかた、世尊の長養を蒙ることを得たり。われらが法身・智身・大慈悲身、禅定・智慧、無量の行願、仏によりて成ずることを得たり。報恩のためのゆゑに、つねに仏に近づかんと願ず。また大臣、王の恩寵を蒙りて、つねにその主を念ふがごとし〉と。」(七祖篇二五一~二五二頁)とあり、「信文類」(註釈版二五九頁)にも引用されています。『高僧和讃』「龍樹讃」には「『智度論』にのたまはく 如来は無上法皇なり 菩薩は法臣としたまひて 尊重すべきは世尊なり」(註釈版五七九頁)と和讃しています。慧琳は「應は勧る辞。報は酬謝の義。言を以て相告其恩に酬ふを報とす」(『帯佩』五二四頁)と釈しています。つまり、報恩のための念仏であるというわけです。
 善導は『般舟讃』に「「今より仏果に至るまで 長劫に仏を讃じて慈恩を報ぜん」と 弥陀の弘誓の力を蒙らずは いづれの時いづれの劫にか娑婆を出でん」(七祖篇七四四頁)と述べ、さらに『往生礼讃』に「みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたさらに難し。大悲をもつて伝へてあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるになる。」(七祖篇六七六頁)と述べ、親鸞は「信文類」真仏弟子釈(註釈版二六一頁)に『往生礼讃』の同文を引用し、さらに、『浄土和讃』に「仏慧功徳をほめしめて 十方の有縁にきかしめん 信心すでにえんひとは つねに仏恩報ずべし」(註釈版五六五頁)と、また『正像末和讃』に「他力の信をえんひとは 仏恩報ぜんためにとて 如来二種の回向を 十方にひとしくひろむべし」(註釈版六一五頁)と、「大悲伝(弘)普化」が「真成報仏恩」であると述べています。若霖は「大悲弘誓恩」を釈するにあたって信後の称念について問答を設け、「此行仏化を助揚す。故に報恩を成ずるなり」(『文軌』五二頁)と釈しています。
 『親鸞聖人御消息』には、「仏恩のふかきことは、懈慢辺地に往生し、疑城胎宮に往生するだにも、弥陀の御ちかひのなかに、第十九・第二十の願の御あはれみにてこそ、不可思議のたのしみにあふことにて候へ。仏恩のふかきこと、そのきはもなし。いかにいはんや、真実の報土へ往生して大涅槃のさとりをひらかんこと、仏恩よくよく御案ども候ふべし。」(註釈版七四九頁)と述べています。
 ところで「報恩」に関して「信心正因」と「称名報恩」の関係をどう理解すべきかが問題となります。この点について先学は、「従来は信心正因と称名報恩の関係について、信心正因を示さんがための称名報恩であり、称名報恩を示さんがための信心正因であるとせられている。つまり、称名は唯報恩の行業であるのみにして、なんら果に対して力用(りきゆう)がないという義が確立して、よく信心正因の義が克明になるというのである。これは、自力の称名を否定するための表現であろうが、このような表現は称名が正定業であることを軽視する誤解を招くこともある。自力の称名を嫌うあまりに、報謝の称名が強調せられ、それがそのまま正定業であることが等閑にならないよう注意する必要がある。すなわち、念仏は正定の業だけれども称える心は報恩であるというよりも、念仏は正定の業なればこそ称える心は報恩でしかないという表現がより適切となるであろう。」(『讃述』一三〇頁)と述べています。また、慧琳は「世人動もすれば念仏まふさんと思ふは自力策厲なりと嫌ふ者あり。他力の信に催されて念仏まふさんとおもひたつは、何かは自力の企ならん。故に弥陀大悲の誓願をふかく信ぜんひとはみな等(註釈版六〇九頁・池田注)とのたまふ。唯能常称と云ふは此の意なり」(『帯佩』五二四頁)と釈しています。
by jigan-ji | 2016-01-23 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[176]     2016年 01月 22日
 補遺[128] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[25](2013年8月1日)を補足します。

 Ⅲ 依釈段  二 七高僧をたたえる  1 龍樹の教え

二 七高僧をたたえる
1 龍樹の教え
ⅱ 難行道と易行道

【本文】
 顯示難行陸路苦 信樂易行水道樂 憶念彌陀佛本願 自然即時入必定 唯能常稱如来号
 應報大悲弘誓恩

【書き下し文】
 難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に 即のとき必定に入る。ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。

【現代語訳】
 龍樹菩薩は、難行道は苦しい陸路のようであると示し、易行道は楽しい船旅のようであるとお勧めになる。「阿弥 陀仏の本願を信じれば、おのずからただちに正定聚に入る。ただ常に阿弥陀仏の名号を称え、本願の大いなる慈悲の恩に報いるがよい」と述べられた。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 「顕示」以下の一行二句は、判別して難易二道の得失を示す。その文の源は『十住婆沙』に出ている。くわしいこ とは当巻の初めに引いてある。「憶念」等とは、すなわち上に引くところの「人能念是仏」等の文の意である。「唯能」以下の一行二句は、総結の釈である。易行の法に遇って出離は心に在り、他力の仏恩を報謝すべきことを勧める。(和訳六要鈔一二九頁、宗祖部二六九頁)

《正信偈大意》
 「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」といふは、かの龍樹の『十住毘婆沙論』に、念仏をほめたまふに二種の道をたてたまふ。一つには難行道、二つには易行道なり。その難行道の修しがたきことをたとふるに、陸地のみちを歩ぶがごとしといへり。易行道の修しやすきことをたとふるに、水のうへを船に乗りてゆくがごとしといへり。「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」といふは、本願力の不思議を憶念するひとは、おのづから必定に入るべきものな りといへるこころなり。「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」といふは、真実の信心を獲得せんひとは、行住坐臥に名号を称へて、大悲弘誓の恩徳を報じたてまつるべしといへるこころなり。(註釈版一〇二九~一〇三〇頁)


【釈義】

◎顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
 「顕示難行陸路苦」以下六句は、龍樹の教義について述べます。「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」の二句は「難易二道の教判」を明かします。
 【現代語訳】に「龍樹菩薩は、難行道は苦しい陸路のようであると示し、易行道は楽しい船旅のようであるとお勧めになる」とあります。すなわち、『易行品』の「仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。」(七祖篇五~六頁)に拠ります。親鸞は同文を「行文類」(註釈版一五一~一五二頁)に引用しています。
 また道綽は『安楽集』「第二大門」の「広施問答」に、「たとへば癖者他の船に寄載すれば、風帆の勢ひによりて一日に千里に至るがごとし。」(七祖篇二二一~二二二頁)と述べ、さらに、「第五大門」の「修道延促」に、「『倶舎論』のなかにまた難行・易行の二種の道を明かすがごとし。難行とは、『論』(同・意)に説きていふがごとし。「三大阿僧祇劫において、一々の劫のうちに、みな福智の資糧六波羅蜜一切の諸行を具す。一々の行業にみな百万の難行の道ありて、はじめて一位に充つ」と。これ難行道なり。易行道とは、すなはちかの『論』(同・意)にいはく、「もし別に方便あるによりて解脱することあるを易行道と名づく」と。いますでに勧めて極楽に帰せしむ。」(七祖篇二六一頁)と、難行・易行を解説しています。
 龍樹は「難行」の理由として「阿惟越致地に至るには、もろもろ(諸)の難行を行じ、ひさしく(久)してすなはち得べし。あるいは声聞・辟支仏地に堕す。もししからばこれ大衰患なり。」(七祖篇三頁)といい、いわゆる「諸久堕の三難」を挙げています。
 「諸久堕の三難」は、次のようになります。
①行体の難=行の種類が多いことの難・・・布施行、持戒行、忍辱行などの六波羅蜜の行。〈諸〉
②時劫の難=長い時間を要する時劫の難・・・善根功徳を長時にわたって実践しなければならない。〈久〉
③退堕の難=修行途中にして小乗(二乗)に堕す退堕の難・・・二乗に堕するを「菩薩の死」という。〈堕〉

 普門は「顕示難行等と云ふは、これ則ち釈尊以下龍樹等、次第の顕示なり。(中略)法印云く。又顕示より必定の句に至るは選択集第一章に、毘婆沙論を引きて難易二道を判ずる意なり。」(『發覆』一八三頁)と釈しています。

 「信楽易行水道楽」の「信楽」とは、信受愛楽をいいます。すなわち疑蓋無雑の心、第十八願の信心を指します。『易行品』には「信方便易行」(七祖篇六頁)とあり、信心を方便(方途・道筋)とする易行とされ、「諸久堕の三難」に対し、「一速必の易行」といわれます。すなわち、「一」とは弥陀一仏であり、「速」は「即時に必定に入る。(即時入必定)」(七祖篇一六頁)とか「すなはち必定に入りて(即入必定)」(七祖篇一五頁)の即で、「必」は必定です(『要義』二二頁)。
 『念仏正信偈』には、「『十住毘婆沙論』を造りて、難行の険路、ことに悲憐せん、易往の大道広く開示す。」(註釈版四八七頁)と、「難行の険路」に対して「易往の大道」と明かしています。これは『高僧和讃』「曇鸞讃」にて「万行諸善の小路より 本願一実の大道に」というに同じです(註釈版五八七頁、『帯佩』五一九頁)。
 以上を図示しますと、次のようになります(『講述』一五八頁)。
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 ところで法然と親鸞においては龍樹の『十住毘婆沙論』の位置付けに大きな違いがあります。すなわち、法然は『選択集』「二門章」に「正しく往生浄土を明かす教」として「三経一論」(七祖篇一一八七頁)を挙げた後、「傍らに往生浄土を明かす教」を挙げて、「『華厳』・『法華』・『随求』・『尊勝』等のもろもろの往生浄土を明かす諸経これなり。また『起信論』・『宝性論』・『十住毘婆沙論』・『摂大乗論』等のもろもろの往生浄土を明かす諸論これなり。」(七祖篇一一八七~一一八八頁)と、『十住毘婆沙論』を「傍明往生浄土之教」としています。しかし、親鸞は『高僧和讃』「龍樹讃」にて「本師龍樹菩薩は 『智度』・『十住毘婆沙』等 つくりておほく西をほめ すすめて念仏せしめたり」(註釈版五七八頁)と和讃しています。
 この『十住毘婆沙論』に対する法然と親鸞との理解の相違について先学は、「「易行品」では易行についてまず十方十仏の易行が説かれ、あとに阿弥陀仏等の諸仏や諸大菩薩にも易行ありとして、百七仏・過未八仏・東方八仏・総三世仏および諸大菩薩の易行を出すのであるから、弥陀易行はただ諸仏易行のなかの一種として示されているにすぎないように思われる。法然上人が『十住毘婆沙論』をもって「傍明往生浄土の教」(『選択集』一八)としたのはこの点からであろう。しかし、宗祖は百七仏章に点発を施して弥陀一仏を所讃とし他の百六仏を能讃として、この一段全体を弥陀章とせられるのである。なぜなら、百七仏の中でくわしく易行の相を示すものは弥陀一仏のみであり、他の百六仏については具説がないからである。また、百七仏章だけでなく、前後の諸章も弥陀易行に結帰するものと見られるのである。これは宗祖独自の解釈ではあるが、「易行品」の本意が弥陀易行であるとせられるのもうなずける。」と解説しています(『讃述』一二五~一二六頁)。
 この先学の指摘は、「行文類」で「いままさにつぶさに無量寿仏を説くべし。世自在王仏 乃至その余の仏まします この諸仏世尊、現在十方の清浄世界に、みな名を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくのごとし。」(註釈版一五三頁、七祖篇一四~一五頁)との『易行品』の親鸞による読み替えを指します。すなわち、親鸞は『易行品』を読み替えすることによって、法然が「傍明往生浄土の教」とした『十住毘婆沙論』を、実は諸仏が弥陀易行を褒め称えている書物とされました。つまり、親鸞は百六仏をもって弥陀を称名憶念する仏とし、しかも百七仏章全体を弥陀章と見たわけです(『講述』一五九頁)。
 なお、先学は『易行品』において諸仏菩薩の易行と弥陀易行を比較して、何故に弥陀易行に中心があるかを論じて、①本願有無の異、②総讃別讃の異、③能讃所讃の異、④往生有無の異、⑤常念有無の異、⑥信疑得失有無の異、⑦乗船譬喩有無の異、⑧廻向有無の異等、種々その理由を挙げています(『要義』一九~二一頁)。
by jigan-ji | 2016-01-22 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[174]     2016年 01月 16日
 補遺[126] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[24](2013年7月31日)を補足します(補足②)。

 Ⅲ 依釈段  二 七高僧をたたえる  1 龍樹の教え

二 七高僧をたたえる
1 龍樹の教え
ⅰ 釈迦の懸記

◎宣説大乗無上法 証歓喜地生安樂
 「宣説大乗無上法 証歓喜地生安樂」は【現代語訳】に「尊い大乗の法を説き、歓喜地の位に至って、阿弥陀仏の浄土に往生するだろう」と仰せになった」とあります。隨慧は「宣説等とは顕正の徳を明す。(中略)証歓喜地生安楽とは、自利の徳を示す。」(『説約』三七九~三八〇頁)と釈しています。
 この二句は『大乗入楞伽経』の「大慧よ、汝応に知るべし、善逝の涅槃の後、未来世に当に我が法を持する者あるべし。南天竺国中の大名徳比丘、厥(そ)の号(な)を龍樹と為す。能く有無の宗を破り、世間の中に我が大乗無上の法を顕し、初歓喜地を得て安楽国に往生せん」(大正大蔵経第十六巻六二七頁)に拠ります。
 龍樹にとって当面の「大乗無上法」は『華厳経』や『般若経』ですが、帰するところは「往生安樂国」です。ですから、龍樹は有無の見を打ち砕いて、大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安樂(国)に生じたと讃えます。
 『六要鈔』には、「今、「大乗無上法」というのは、すなわち念仏である。仏は名号をもって大利であることを説き、また無上の功徳というからである。ことに安楽の往生を説く。釈尊未来記の文では、龍樹の出世は専ら弥陀の教を弘通させるためである。」(和訳六要鈔一二八~一二九頁、宗祖部二六九頁)と釈しています。まさに第二の釈尊である龍樹の出現は、弥陀の教えを弘通させるためであるというわけです。

 「証歓喜地生安樂」について、隨慧は「証とは証會。歓喜地とは初地なり。(中略)安楽の名義は大経に説くがごとし。法華文句に安楽行を釈して云ふ。「身に危険無き故に安と。心に憂悩無き故に楽と。」準じてしるべし。」(『説約』三八〇頁)と釈し、深励は「次に「証得歓喜地往生安楽国」とは、竜菩薩は弥陀の本願を説に出た菩薩なれば、この菩薩自ら安楽を願生して、衆生と共に極楽に往生す。若密教一乗が竜菩薩の出世の本懐ならば、次の文に三密の行成就して即身成仏すと説くべきなり。それを懸記の文に左はなくして「証得歓喜地往生安楽国」とあるからは、弥陀の本願に違いなひと成立するが今家のこゝろなり(中略)竜菩薩は初歓喜地まで至らせられた菩薩なり。それが弥陀の浄土を願て弥陀の浄土へ往生し玉ふ故に「証歓喜地生安楽」となり」(『深励』一四二頁)と釈しています。
 「歓喜地」とは、歓喜のおこるところの意味で、菩薩の五十二位の第四十一段目(初地)を指します。菩薩の証位の最初、始めて諸仏の大法を得、必ず彼の果を究竟するを知る位です。
 菩薩五十二位(菩薩修行の段階を五十二位に分けたもの。[補遺]⑯「五十二位」について(本書一〇九頁)を参照して下さい)は、次のようになります。
  五十二位 ― 十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚

 『大経』には「三塗苦難の名あることなく、ただ自然快楽の音のみあり。このゆゑに、その国を名づけて安楽といふ。」(註釈版三六頁)とあり、慧琳は「生安楽とは梵に蘇●尾●也(ソギヒジャヤ)。此に安楽国と云ふ。三塗苦難の名なく、但自然快楽の音のみ有り。故に土を安楽と云ふ。」(『帯佩』五一八頁)と釈しています。
 曇鸞は『讃阿弥陀仏偈』にて、「本師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて頽綱を理へ、邪扇を関閉して正轍を開く。これ閻浮提の一切の眼なり。伏して承るに尊(龍樹)、歓喜地を悟りて、阿弥陀に帰して安楽に生ぜり。」(七祖篇一七六頁)と讃じています。
  親鸞はこの『大乗入楞伽経』や『讃阿弥陀仏偈』の意を『高僧和讃』「龍樹讃」に、「本師龍樹菩薩は 大乗無上の法をとき 歓喜地を証してぞ ひとへに念仏すすめける」(註釈版五七八頁)と和讃し、さらに、『正像末和讃』に「像法のときの智人も 自力の諸教をさしおきて 時機相応の法なれば 念仏門にぞいりたまふ」(註釈版六〇五頁)と、「像法のときの智人」である龍樹や天親も、自力の諸教を捨てて、念仏門に入ったと和讃しています。
by jigan-ji | 2016-01-16 01:02 | 聖教講読
正信偈講読[173]     2016年 01月 15日
 補遺[125] 第二編 本文釈義  Ⅲ 依釈段

 正信偈講読[24](2013年7月31日)を補足します(補足①)。

 Ⅲ 依釈段  二 七高僧をたたえる  1 龍樹の教え

二 七高僧をたたえる
1 龍樹の教え
ⅰ 釈迦の懸記

【本文】
 釋迦如来楞伽山 爲衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗无上法
 證歓喜地生安樂

【書き下し文】
 釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまはく、南天竺(南印度)に龍樹大士世に出でて、ことごとくよく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。

【現代語訳】
 釈尊は楞伽山で大衆に、「南インドに龍樹菩薩が現れて、有無の邪見をすべて打ち破り、尊い大乗の法を説き、歓喜地の位に至って、阿弥陀仏の浄土に往生するだろう」と仰せになった。

【先徳の釈】
《六要鈔》
 龍樹の讃の中で、「釈迦」以下の三行六句は、釈尊未来記の説を明かす。『楞伽経』(巻九)に「我が乗内証の智は盲覚であり、境界ではない。如来滅世の後、誰が持って我がために説くであろうか。未来に人があり、南天国の中に大徳比丘があって龍樹菩薩と名づける。よく有無の見を破り、人のために我が乗大乗無上の法を説き、初歓喜地に住して安楽国に往生する。」と説かれている。この経文の意は、真言の行人は秘教に約すとおもい、真宗の学者は念仏にあるとする。「内智証」とは弥陀の五智で、「盲覚」等とは、声聞・菩薩には如来の智恵海を測れない のである。「我乗大乗無上法」とは、念仏三昧のことで、龍樹の論の中に、多く弥陀を讃嘆して稽首礼拝する。ゆえに真門を持して、自ら「我乗」という。今、「大乗無上法」というのは、すなわち念仏である。仏は名号をもって大利であることを説き、また無上の功徳というからである。ことに安楽の往生を説く。釈尊未来記の文では、龍樹の出世は専ら弥陀の教を弘通させるためである。(和訳六要鈔一二八~一二九頁、宗祖部二六九頁)

《正信偈大意》
 「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」といふは、この龍樹菩薩は八宗の祖師、千部の論師(ろんじ)なり。釈尊の滅後五百余歳に出世したまふ。釈尊これをかねてしろしめして、『楞伽経』に説きたまはく、「南天竺国に龍樹といふ比丘あるべし。よく有無の邪見を破して、大乗無上の法を説きて、歓喜地を証して安楽に往生すべし」と未来記したまへり。(註釈版一〇二九頁)


【釈義】

◎釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
 「釈迦如来楞伽山」以下十二句は『楞伽経』や『易行品』により龍樹を讃嘆します。『六要鈔』には「「釈迦」以下の三行六句は、釈尊未来記の説を明かす。」と、釈迦の懸記(けんき)、すなわち釈尊の預言を記しています。
 「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺」は【現代語訳】に「釈尊は楞伽山で大衆に、南インドに」とあります。 「楞伽山」とは、『華厳音義』三には「西域の山名。天竺の南界に在あり。海岸の近くなり。」と、インドの南海岸にある「山名」(『補註』には「城名」とある)とありますが、場所を特定することは出来ません(『勦説』二一頁、『説約』三七八頁)。この「楞伽山」で『楞伽経』が説かれたといわれます。

 「為衆告命」とは、『楞伽経』の懸記を大衆のために説くことを指します。「南天竺」とは、インドの南地方をいいます。すなわち、『入楞伽経』巻九に「我が乗内証の智(弥陀の五智之を内証智と謂ふ、釈尊此智に乗じ来たりて正覚を成す、故に我乗と云ふ。『文軌』四九頁により池田補遺。以下同)は妄覚(邪見憍慢悪衆生之を妄覚と謂ふ)であり、境界ではない。如来滅世の後、誰が持って我がために説くであろうか。未来にまさに人があり、南大国(『唐訳経』六には南天竺国中と云ふ)の中に大徳比丘があって龍樹菩薩と名づける。よく有無の見を破り、人のために我が乗大乗無上の法を説き、歓喜地を証得して安楽国に往生する。」(大正大蔵経第十六巻五六九頁、国訳一切経経集部七・一八九頁)とあり、存覚はこの『入楞伽経』の文を『六要鈔』(和訳六要鈔一二八頁、宗祖部二六九頁)に引用しています。隨慧は『入楞伽経』には求那跋陀羅訳(宋訳)、菩提流支訳(魏訳)、實叉難陀訳(唐訳)の三訳あるが、釈迦の懸記は魏訳の第九と唐訳の第六に出ており、さらに「摩訶摩耶経(訳して大術経と云ふ)にも龍樹の懸記あり。文亦略なり。」(『説約』三七八頁)と釈しています。
 親鸞は、この釈迦の懸記の意を『高僧和讃』「龍樹讃」に「南天竺に比丘あらん 龍樹菩薩となづくべし 有無の邪見を破すべしと 世尊はかねてときたまふ」(註釈版五七八頁)と和讃し、龍樹こそ釈尊の再誕、第二の釈尊である意を明かしています。
 深励は、「浄土真宗で竜菩薩を初祖とするのは、この楞伽の経文を拠とするなり。」(『深励』一四一~一四二頁)と述べています。

 龍樹は梵語Nagarjunaの訳で、龍猛、龍勝とも訳されます。紀元後一五〇年から二五〇年頃(別説では紀元後二四〇年~三〇〇年、三枝充悳『世親』三七六頁)に、南インドのベラール地方の富貴なバラモン族の家に生まれたといわれます。生まれつき聡明でその天性は非凡であったようです。一時は享楽主義にふけりましたが[この辺の事情は普門の『發覆』(一七五頁)に詳しく述べられています]、後出家し仏道を求めました。はじめ小乗の経論を学び、たまたま大龍から大乗経典をさずかり、後、コーサラ国を中心に専ら大乗仏教の宣揚につとめました。大乗仏教の顕揚をするあまり異教徒の迫害にあって殉教したとの説もあります(この点については[補遺]「龍樹の死」を参照して下さい)。世に第二の釈迦ともいわれ、また千部の論師、八宗の祖師ともいわれます。
 千部の論師と称され、その著述は多いのですが、現存しているものは二十余部といわれます。
 『中論』四巻
  空観(くうがん)哲学、すなわち中道の実相論を説いたもの。
 『十二門論』一巻
 『大智度論』百巻・・『大般若経』を註釈したもので、一切皆空を説きながら西方の阿弥陀仏を讃じている。
 『十住毘婆沙論』(『十住論』)十七巻・・「易行品」には阿弥陀仏の本願思想が開顕されている。
『菩提資糧論』(『助道法』)六巻・・菩提を得るための資糧として、六波羅蜜等の行を説く。
 『十二礼』一巻・・「礼浄土十二偈」とも「願往生礼讃偈」ともいい、西方の阿弥陀仏を讃嘆した十二の偈からなっている。『易行品』とともに真宗所依の聖典とされている。
 なお、インドの初代首相となったジャワーハルラール・ネルー著『インドの発見 上』(岩波書店、一九五三年)やドイツの実存哲学者カール・ヤスパース著『佛陀と龍樹』(理想社、一九六〇年)も、龍樹を高く評価しています。


[補遺] 「龍樹の死」について
 龍樹は「殉教」したという説があります。しかし、いわゆる龍樹殉教説は、管見によれば、明治になって多田鼎が主張し、その後、井上哲雄や高木昭良が敷衍した説です。
 一般に龍樹の伝記は『龍樹菩薩伝』や『付法蔵因縁伝』(共に大正大蔵経第五〇巻所収)によって語られてきました。『龍樹菩薩伝』には「龍樹の死」を、次のように語っています。
 
  このとき、ひとりの小乗〔仏教=現代では上座部仏教。以下、一般読者の便宜のため、「小乗仏教」と表記する〕の法師がいて、〔ナーガールジュナに対して〕常にいかりをいだいていた。ナーガールジュナはこの世を去ろうとするときに、かれに問うて言った―「あなたは、わたくしがこの世に永く生きながらえていることを、ねがっておられるのですか」。〔その小乗の法師は〕答えていった―「実は〔あなたの長生きを〕願っていないのです」。そこでナーガールジュナは退いて、静かな庵室に入り、いく日もたっても出て来なかったので、かれの弟子が戸を破って中を見たところが、かれはついに蝉のもぬけの殻のようになって死んでいた。ナーガールジュナがこの世を去ってから今に至るまで百年を経ている。南インドの諸国はかれのために廟を建て、敬いつかえていることは、仏にたいするがごとくである。かれの母がアルジュナという名の樹の下でかれを生んだから、その縁によってアルジュナという語をもって名づけたのである。アルジュナというのは樹の名である。龍がかれの道を完成させたのであるから、龍(ナーガ)という語をもって名づけた。そこでかれの名を「ナーガールジュナ」(龍樹)というのである。(中村元『龍樹』講談社学術文庫三〇頁より)

 多田鼎は、その著『正信偈講話』(明治四十年七月十八日)にて「龍樹菩薩の後年」について言及し、次のように解説しています。

  而して此のいさましき信念の旗をたて、菩薩は印度の中央より、西部及び南部に教化をつたへて、到る處疾風の枯葉を巻くやうな勢であつた。わけて南方印度にあつては多くの国王が之に帰依せられた。彼の猛烈な獅子のやうな迦那提婆が、獅子国、即ちセイロンより来たつて教を菩薩に受けられたのも此時である。かくて菩薩は、伝ふる所によれば頗る長い生涯を送つて、たえず伝道に力を尽くされた。然るに其伝道の盛大は、一方において異教の徒を狼狽せしめ、又恐怖せしめた。それがためであらう、古来殉教といふやうなことを、あまり盛に書き立てない仏教伝記者の常習として、今も明らかには記してをらぬが、どうも此菩薩は異教者の迫害の中に敢えなく終はられたやうであります。而して其臨終の處は、一時、菩薩の伝道の中心であつた南印度の北端コサラの都であつた。菩薩逝きて後南方印度の人々其徳を慕うて菩薩のために廟をたて之に事ふること、ちやうど仏に事へたてまつる様であつたとのことであります。(『正信偈講話』二三二~二三三頁)

 多田は、「古来殉教といふやうなことを、あまり盛に書き立てない仏教伝記者の常習として、今も明らかには記してをらぬが、どうも此菩薩は異教者の迫害の中に敢えなく終はられたやうであります。」と述べています。多田は「龍樹菩薩の後年」にて、『龍樹菩薩伝』『付法蔵因縁伝』に語られる「龍樹の死」について直接言及しているわけではありません。しかし、多田の主張する龍樹殉教説は、『龍樹菩薩伝』や『付法蔵因縁伝』に語られる「龍樹の死」を強く意識した、多田流の解釈に思います。
 この多田流の解釈を、『龍樹菩薩伝』や『付法蔵因縁伝』に語られる「龍樹の死」と結び付け、その「龍樹の死」の解釈の問題として、改めて主張したのが井上哲雄です。
 井上哲雄は、その著『真宗七高僧伝』(昭和十年四月十一日)にて龍樹の「示寂」を、次のように解説しています。

  ○示寂 然るに猶ほ一人の小乗の法師がありまして、菩薩が小乗を貶して大乗の法をお弘めになることを憎んでをりました。菩薩は或時その法師に向つて「お前は俺がいつまでも、生きてゐればよいと思ふか、どうか」とお尋ねになりました。法師は、「いゝや、永く生きてゐて貰ふことはお断りだ」といひました。菩薩はそれきり一室に閉じ籠られて、何日経つても出て来られません。そこでお弟子の方々が戸を破つて御覧になると、はや往生を遂げてをられました。南天竺の人々は、それを聞き伝へて驚き悲しみ、その場に廟を建てゝ、仏跡の如く尊み拝みました。
  この示寂の伝説について某師は、次の様な説明を試みてをられる。〔以下、多田鼎の著から上の文を引用している〕 (井上哲雄『真宗七高僧伝』四七~四八頁)

 以上から、龍樹殉教説は、多田鼎と井上哲雄に、その淵源を求めることが出来るように思います。
 ちなみに、今日、石飛道子は『龍樹菩薩伝』や『付法蔵因縁伝』に語られている「龍樹の死」について、次のように解釈しています。

  これが、龍樹の死についての伝記である。菩薩やブッダは人々のために生きる人である。したがって、他者によって請われて生きるのである。かれらの寿命は、みずから自在にできると考えられている。だから、なすべきことをなし終えてしまったら、龍樹にしても、ゴータマ・ブッダにしても、いつこの世から去ってもいいのである。そのとき、誰かが「もっと長生きしてください」と頼むなら、かれらは寿命を延ばしてさらに人々のために教えを説くだろう。しかし、誰も望まないのなら、かれはこの世を去る。部派仏教の法師は、龍樹がこの世に留まることを望まないと答えたので、龍樹はこの世を去った。ここで「蝉が抜け殻を残すように」というのは、身体は残して心が身体から去っていったことを意味しているのだろう。つまり、龍樹菩薩の場合、輪廻の生存であることを示している。菩薩は、煩悩を完全に断つことなく気の遠くなるような果てしない年月輪廻を重ねて、ブッダとなることをめざすのである。(石飛道子『構築された仏教思想 龍樹―あるように見えても「空」という』二〇一〇年、二三頁)

 多田鼎の龍樹殉教説は、さらに高木昭良によって弘められます。高木は、その著『七祖教義概説』(昭和四十三年一月十日)、並びに『正信偈の意訳と解説』(昭和四十七年八月一日)にて、次のように述べています。

  伝記によると、大士は大乗仏教を顕揚するのあまり、異教徒の迫害にあって殉教されたともいわれ、また一説には、命終の近づくのを知って一室にこもられ、後日、弟子が戸を開いてうかがったとき、大士はすでに蟬脱されていたといわれている。(『七祖教義概説』二三頁、『正信偈の意訳と解説』一三五頁)

 高木は「龍樹の死」について、①「異教徒の迫害にあって殉教された」という説と、②「大士はすでに蟬脱されていた」という説の、二つの説を紹介しています。
 高木の指摘する、②の「大士はすでに蟬脱されていた」という説は、『龍樹菩薩伝」や『付法蔵因縁伝』によることは明らかです。しかし、高木のいう①の「異教徒の迫害にあって殉教された」という説の典拠は示されていません。
 推測ですが、高木の①②の二つの説は、『龍樹菩薩伝』や『付法蔵因縁伝』に語られる「大士はすでに蟬脱されていた」という「龍樹の死」の指摘(即ち②)と、その「龍樹の死」の解釈(即ち①)とを混同して、二つの説としたものと思います。
 こうして、以後、浄土真宗内で、典拠不明のまま、龍樹殉教説が独り歩きすることになったものと思います。


[補遺] 「死罪」と「殉教」
 親鸞は「承元の法難」で流罪になりました。この時のことを『教行信証』「後序」に、「真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。」(註釈判四七一頁)と記しています。さらに、『歎異抄』「後序」には、「法然聖人ならびに御弟子七人、流罪。また御弟子四人、死罪におこなはるるなり。」(註釈版八五五頁)と記されています。
 この『教行信証』や『歎異抄』の記述は、「死罪」や「流罪」についての、客観的な事実の記述です。しかし、その後、「承元の法難」の「死罪」について、『法然上人行状絵図』(徳治二[一三〇七]年から約十年の歳月をかけて作ったというのが定説とされている)には、次のように述べられています。

  六条川原にして安楽を死罪におこなはるゝ時、奉行の官人にいとまをこひ、ひとり日歿の礼讃を行ずるに、紫雲そらにみちければ、諸人あやしみをなすところに、安楽申けるは、念仏数百遍のゝち、十念を唱へんをまちてきるべし。合掌みだれずして、右にふさば、本意をとげぬと知るべしといひて、高声念仏数百反のゝち、十念みちける時きられけるに、いひつるにたがはず、合掌みだれずして右にふしにけり。見聞の諸人随喜の涙をながし、念仏に帰する人おほかりけり。(浄土宗宗務庁発行『勅修御伝 法然上人行状絵図』昭和四十五年七月十日、二二四~二二五頁)

 また、覚如が制作した法然の伝記『拾遺古徳伝』(一三二三年)には、次のように述べています。

  善綽房西意(摂津くににして誅す。佐々木判官[実名しらず]が沙汰と云々)・性願房・住蓮房・安楽房(已上近江のくにむまぶちにして誅す。二位の法印尊長が沙汰と云々)已上死罪、四人。このひとびと誅せらるるとき面々に不可思議の奇瑞をあらはす。あるひはながれいづるところの血より青蓮華出生す、あるひはくびおちてのち合掌をあらためて念珠をくること百八の念珠をもて三遍と。云々 あるひはかうべよりひかりをはなて、おつるところのくび高声念仏十餘遍これをとなふ、あるひはくちより蓮華出生す。種々奇特のことらありけりとなん。(『拾遺古徳伝』巻七、歴代部七三七~七三八頁)

 『法然上人行状絵図』は「死罪」がおこなわれたことを、「見聞の諸人随喜の涙をながし、念仏に帰する人おほかりけり。」と記しています。さらに、覚如は「このひとびと誅せらるるとき面々に不可思議の奇瑞をあらはす。」と記し、「不可思議の奇瑞」を具体的に記しています。
 すくなくとも『法然上人行状絵図』や『拾遺古徳伝』の立場は、時の権力から弾圧を受けた側に立って、言い換えれば、「死罪」を誅せられた側に立って、「死罪」の意味付けをしていることが知られます。つまり「承元の法難」での「死罪」は、決して「犬死」ではないとの意味づけです。
 しかし、自ら「死罪」「成敗」を求め、「死罪」「成敗」を受け入れる論理があります。それが「殉教」の論理です。
 時代は下りますが、浦上(長崎市)のカクレキリシタンは殉教を勧めた文献を伝存してきました。その文献が、寛政二年(一七八九)から七年(一八〇〇)の浦上一番崩れ(キリシタン捜索)の際に長崎奉行所に没収され『耶蘇教叢書』として伝わっています。それには「マルチリヨノ勧メ」「マルチリヨノ心得」「マルチリヨノ鑑」が収められ、当時、キリシタンの間にはマルチリヨ(殉教)が勧められていたことが知られます。「マルチリヨノ心得」は、次のように述べています。

  十三、キリシタン成敗ノ時、他所ヘ落[チ]行キ、カクレ忍[ブ]コト不苦トハ雖[モ]、人有[リ]テ丸血留ノ望[ミ]ニモヘ立[チ]、勧[メ]出[デ]テ害セラレハ、是即[チ]勝レタル丸血留也。故ニ其[ノ]徳モ甚重[キ]也。故ヲ如何ニト云[フ]ニ、有[ラ]ユルコトノ中ニ、第一捨[テ]難キ命ヲ、自油ノ上ヨリイサミ悦[ン]テデウスニ捧レバ也。原尾悟編『きりしたんの殉教と潜伏』二〇〇六年一二月一日、一〇三頁)

 「マルチリヨノ心得」は、キリシタンが「成敗ノ時」、つまり処刑されるとき、他の場所に逃げたり、隠れたりすることは、苦しからずといいます。親鸞も「そのところの縁尽きておはしまし候はば、いづれのところにてもうつらせたはひ候うておはしますやうに御はからひ候ふべし。」(註釈版七七三頁)と述べています。
 さらに「マルチリヨノ心得」は、もし殉教の希望に燃え立ち、自分から進んで処刑されれば、それは優れた殉教であり、その徳も極めて大きい。なぜなら、あらゆることの中で一番大切な命を、自由意志で喜んでデウスに捧げたからである、と言います。
 親鸞はここまでは言っていないように思います。親鸞は弾圧される側に立って、「死罪」や「遠流」を解釈することはあっても、弾圧される側で「死罪」や「遠流」を他人に勧めることはなかったように思います。
 「マルチリヨノ心得」は、「有[ラ]ユルコトノ中ニ、第一捨[テ]難キ命ヲ、自油(自由意志・池田注)ノ上ヨリイサミ悦[ン]テデウスニ捧」ることが「殉教」であると述べています。あらゆることの中で一番大切な命を、自由意志で喜んで自らの信ずる神・仏に捧げることを、弾圧される側で解釈するか、それとも弾圧する側で解釈するかによって、「殉教」と見るか、「自爆テロ」と見るかの境目があるように思います。


◎龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
 「龍樹大士出於世」以下四句は、『楞伽経』における釈迦の懸記の内容です。『念仏正信偈』(註釈版四八六~四八七頁)にも同様の文があります。
 「龍樹大士出於世 悉能摧破有無見」は【現代語訳】に「龍樹菩薩が現れて、有無の邪見をすべて打ち破り」とあります。
 「龍樹」とは、梵語ナーガールジュナ(Nagarjuna)の漢訳です。「大士」とは、大志ある士ということで、仏になろうとする大きな志をもつ人、すなわち菩薩の意です。小乗仏教の修行者を声聞・縁覚というのに対して、大乗仏教の修行者を菩薩と称しました。普門は「大士」をまた「上士」ともいい、「瑜伽に云く。自利利他無き行者を下士と名づけ、自利有り、利他無きを中士と名づけ、自他の行を具するを上士と名づく。」(『發覆』一七七頁)と釈しています。
 「出於世」とは、龍樹菩薩が世に出現されたという意です。月筌は「『法苑』(『法苑珠林』)六十六には弉師の伝に依りて曰く「仏滅後三百年出現、壽七百歳、故人錯稱七百年出世」と、従義の『補註』も之に同じ」(『勦説』二二頁)と釈しています。この龍樹の「壽七百歳」について、隨慧は「壽七百歳、亦いまだ所拠を見ず。具に諸文を引く。而して十二門疏を正となす。義纂中末の如し。」(『説約』三七九頁)と注しています。「化身土文類」に引用の『末法灯明記』には、「七百年のうちに、龍樹世に出でて邪見の幢を摧かん。」(註釈版四一九頁)とあります。

 「悉能等」とは「破邪の徳」(『説約』三七九頁)を示します。隨慧は「有無はすなはち断常(中略)見とは分別に名く。梵に達利悉底。此には見と云ふ。」と釈し、「凡夫の外道のわる智慧を見と名く。邪師、邪教、邪思惟より起て、我は死後断滅して畢竟有ること無しと計し、或は外道、宿命通を以て、前後際、生死、相続を見て、常實の執を起す。是の如この諸見、菩薩能く破す。」(『説約』三七九頁)と述べています。
 若霖は「有無見とは若し通方に約すれば即ち外道の断(無)常(有)、小乗の毘曇(有)成実(無)等なり、若し別途に約すれば、世人薄俗にして不急の事を争ひ此身と世に於て常住の想を作すを有と為し、彼仏土に於て実有を信ぜざるをな((ママ))(無か?・池田注)と云ふ。亦己心の修性の徳を隔執し、弥陀の法界に融会することを知らざる之を有と謂ひ、心を離れて他仏あること無しと謬固し、外縁を蔑視し他方を屑しとせざる、之を無と謂ふ。梵に達利瑟致と言ひ、此に見と云ふ、即ち邪智なり」(『文軌』四九頁、『説約』三七九頁)と釈しています。
 「摧破」とは打ち砕く、論破するという意味で、「有無見」を摧破するとは、龍樹の般若・空の思想を意味しています。隨慧は「摧破の相、中観論及び智論第七第三十七等に具に明かすがごとし。」(『説約』三七九頁)と述べています。親鸞は『浄土和讃』に「解脱の光輪きはもなし 光触かぶるものはみな 有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ」(註釈版五五七頁)と和讃しています。
 「悉能摧破有無見」とは、「断・常」「有・無」「損・得」「正・邪」等といった、二元論的な思考から解放される意と解釈することも出来ましょう。   
by jigan-ji | 2016-01-15 01:02 | 聖教講読