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浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
信楽峻麿はなぜ宗学と教団を批判したのか ④     2025年 05月 21日
   3 《知情意の統合→「人格」形成》という宗教論

 信楽の「主客一元論」に立脚した真宗信心理解は、碧海寿広の指摘に学べば、《知情意の統合→「人格」形成》という宗教論に帰結するものといえましょう。
 すなわち、碧海は姉崎正治の宗教論における、「人格と宗教」に関する内容を、「知性と情緒と意志という三つの側面をもち、それぞれがしばしば矛盾をきたす人間の心が、完全に統合された「人格」となり満ち足りている状態が宗教的意識にほかならず、そしてその状態の達成を求めて人が同一化しようとする至高の存在が、すなわち「神」である。宗教における超越性とは、「人格」の統合という心的安定を希求する人間の衝動の向かう先に感得される、「最高無限の理想」なのである。」(碧海寿広『近代仏教のなかの真宗』)と述べ、こうした「人格」概念に依拠した《知情意の統合→「人格」形成》という宗教論は、加藤玄智、姉崎正治、西田幾多郎の宗教論にもうかがわれると述べています。
 さらに碧海は、この「人格」というキーワードが宗教論から仏教史学に取り入れられて、村上専精の「大乗非仏説」の主張になると指摘します。すなわち、「釈尊は人間だ。村上はそう断言する。だが普通の人間ではない。彼はその「人格」において凡人をはるかに越えている。」というわけです。
 この信楽の《知情意の統合→「人格」形成》という宗教論から、「戦時教学」批判、「戦争責任」追求は当然の帰結であったと思われます。
 すなわち信楽は、「戦争中には、阿弥陀仏と天皇は同じだといいつのり、国のために死んだら神となる。神となるなら仏にもなれると主唱した教学者は、その後も自分の過去をすべて棚あげして、いろいろとまことしやかに、親鸞を語っていますが、当人は何らの自己矛盾を自覚しないのか。驚くべき二重人格、三百代言というほかありません。」(『親鸞はどこにいるのか』)と厳しく批判しました。
 さらに、「しかしながら、このような戦時教学について問うたものは、東西本願寺教団の中では、私ただ一人だけで、誰も口を閉ざして何ら問うことなく黙過しました。かくて、そのことから、西本願寺教団は、私を異端者として、徹底して弾圧し排除して、いまに至っております。その点、私はただ一人して、いまなお孤塁を守りつづけているところです。やがて私が命終したら、もはや誰一人として、この戦争責任を問うものはいなくなることでしょう。かくしてこのような戦時教学は、なんらの瑕瑾もなく、また変革もなくして、そのままこれからの伝統教学に移行していくのでしょうか。自らの誤ちを何ら問うことなく、その錯誤について、徹底して反省し、精算しないかぎ、再び、同じ轍を踏むであろうことは、過去の歴史が証明するところです。」と述べています。
 《知情意の統合→「人格」形成》という真宗信心理解からすれば、「戦時教学」を主唱しておきながら、戦後、何らの自己批判もなく、自分の過去を棚あげしてしまう教学者は、「驚くべき二重人格」ということになりましょう。
 以後、「伝統宗学者」と「教団改革の学者」というラベリングが独り歩きし、村上速水の「真宗教学への反省」も生かされることなく、両者の対話の余地を奪ってしまったといえましょう。(続)


# by jigan-ji | 2025-05-21 00:02 | つれづれ記
信楽峻麿はなぜ宗学と教団を批判したのか ③     2025年 05月 20日
   2 「主客一元論」に立った真宗信心理解

 信楽峻麿は、なぜ「『異義異安心である』という批判」を受けたのでしょうか。
 かつて村上速水は、「私たち真宗の教えを学んできた僧侶にとって、特に反省すべきは、教義論題の形骸化と、訓詁解釈学といわれる従来の真宗学のあり方を問うことではなかろうか。」「完全無欠な教義として整備された論題から、いったい、何の感銘や感激が得られるであろうか。また、精微をきわめた訓詁解釈学によって、果たして聖教全体に、あるいは文字の底に流れる著者の生々しい信仰体験をつかむことができるであろうか。」(村上速水『親鸞教義の誤解と理解』)と「真宗教学への反省」を述べました。信楽も共感するところがあったことでしょう。
 しかし、信楽の宗学と教団批判の本質的な理由は、信楽の強調した「めざめ体験」による「人格主体の確立」という真宗信心理解、言い換えれば、《知情意の統合→「人格」形成》という真宗信心理解にあったのではないかと思います。
 すなわち、信楽の「めざめ体験」における「人格主体の確立」は、《仏と私》という「主客二元論」ではなく、「阿弥陀仏は私の心に宿っている」という「主客一元論」に立った真宗信心理解であり、伝統的な「落ちるものをお助けくださる救済教」という真宗信心理解とは似て非なるものでした(信楽峻麿『親鸞はどこにいるのか』)。
 ちなみに大桑斉は江戸時代の真宗信仰について、「近世の人々は寺檀制の下にあるが、それは信仰が自己の選びとしてあったというよりも、所与のもとしてあったことを意味する。所与のものとしての仏教の下での人々の信仰は、「受動的態勢」とならざるをえない」ので、〈救われざる者=そのままでの救済〉、気がつけばいつとなく救われていたという〈いつとなしの救済〉になると指摘しています(大桑斉「江戸真宗の信仰と救済-〈いつとなしの救済〉への過程」『江戸の思想』1)。
 では、こうした信楽の「主客一元論」の真宗信心理解は、なぜ主張されたのでしょうか。その背景には、二つの理由が考えられます。
 その一つは、信楽は「他力信心非意業の説」の考察を通して、「真宗の信心」を「宗教的意識」として、「ひとつの宗教的態度」として捉える必要性を主張し、「真宗の信心」を「非意業」と理解するかぎり、「真宗者の生活実践においては、つねに真俗二諦論にならざるをえず、信心と実践とは無縁となり、生活実践の原理は、信心以外の他の価値体系を借りてこなければならない」と主張しました(信楽峻麿『宗教と現代社会―親鸞思想の可能性―』)。この「真宗の信心」を「宗教的意識」、「ひとつの宗教的態度」として捉えるたところに、信楽の真宗信心理解の特徴があります。この信楽の真宗信心理解こそ、その後の信楽の伝統宗学と教団批判の原点です。
 二つには、村上のいう「真宗教学への反省」があったように思います。
 すなわち、村上は「親鸞教義が誤解され歪曲される大きな原因」について、次のように述べています。

  親鸞教義が誤解され歪曲される大きな原因は、親鸞聖人にとって結論であったものが、しばしば前提として説かれ、ときにはそれを強制する形で説かれているということである。たしかに聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論―たとえば、他力のすくい、悪人のすくい、往生のすくい―というものにちがいない。しかしその結論は突如として現われたものではない。文字通り彫骨鏤身の辛酸と苦悩と模索のなかから見出されたものである。ある意味ではそのプロセスこそ重要である。しかるに、往々にして聖人の求めたものが語られず、その厳しい道程が語られないで、一挙に結論だけが語られる。真宗の教えを聞く人ならば、面喰うのがむしろ当然であろう。頭から他力でなくてはならぬと強制され、悪人であることを強いられ、浄土に往生を強制されるように考えてしまう。そこに大きなギャップが生まれるのは必然である。(『親鸞教義の誤解と理解』一〇八~一〇九頁)

 村上は、「聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論」であるといいます。その「結論」を解釈しようとすれば「精微をきわめた訓詁解釈学」が要請されましょう。その意味で、「完全無欠な教義として整備された論題」や「精微をきわめた訓詁解釈学」は「主客二元論」とならざるを得ません。しかし、「結論」にいたる「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題にしようとすれば、「主客一元論」の視点が要請されましょう。
 さらに大桑斉は、次のように述べています。

  思うに、開創者の信心は獲得までの独自の過程を持っているが、それが欠落しているのが継承者・受容者であり、従ってその信心は開創者と質的に差異が生ずるのは当然の事だろう。道を切り開いた人の信心、それによって、すでに道ありだから、その道をたどる者の信心は、目的地は同じにしても、その歩みが異なるのは当然だろう。ただ信心をもって要とす、と、受容者は信ずるのみとされたこと自体が差異である。開創者は信心を獲得したが、受容者は頂くのである。開創者は四六時中ひたすら信心獲得にのみ邁進するが、受容者は日常生活を営む中で信心を頂くのである。差異が生まれないほうがおかしい。そのことを意識化せずに、ひたすらに開創者の到達点に至ろうと努めることは、自己を聖道自力化していることに他ならない。到達点としての信心をいかに頂くかが問題のはずであるが、そうはなっていない。(大桑斉『江戸 真宗門徒の生と死』二一六頁)

 信楽の「主客一元論」に立った真宗信心理解は、「真宗の信心」を「宗教的意識」、「ひとつの宗教的態度」として捉えるとともに、村上のいう「プロセス」「厳しい道程」、大桑のいう〈いつとなしの救済〉を自己の課題として、主体的に問題にしようとした結果であるといえましょう。(続)

# by jigan-ji | 2025-05-20 00:02 | つれづれ記
信楽峻麿はなぜ宗学と教団を批判したのか ②     2025年 05月 19日
   1 「国王不礼論争」 ②

 当初の「解説文」には、「ここでいわれる国王とは、財力、武力、権力であり、政治主義、権力主義でありましょう。父母、六親とは、血族、民族、人類であり、拡大すれば、学閥、派閥を意味すると解釈できます。本文でいわれる集団エゴイズムであります。鬼神とは、差別、欲望、怨憎、殺戮を象徴するエゴイズムの神々でありましょう。同朋とはこれらからの訣別を意味していると思われます。自己中心に考え行動していた人間が、如来よりたまわりたる真実信心を自己の主体として生きるということは、具体的に申せば人間の関係と社会のしくみに、国王、父母六親、鬼神に象徴される個人や集団エゴイズムを超えて、平等な人間の関係と権力主義を克服する社会のしくみ、すなわち同朋社会の実現をねがって実践することであります」と説明されています。
 要約すれば、〝国王、父母六親、鬼神に象徴される個人や集団のエゴイズムを超えて、平等な人間の関係と権力主義を克服する〟意での引用でした。それが、「日本の二千年の歴史をゆがめ(中略)象徴天皇の存在性をあやうくせしめ(中略)同時に皇室と非常に似たような形をとっております(中略)東西本願寺にゆさぶりをかけ(中略)目に見えない、ソビエト革命(中略)そういう思想暴力がひたひたと及んできている」との批判となりました。
 そもそも、『昭和五十年度門信徒会運動計画書』に端を発した「国王不礼論争」は、寺川俊昭の言葉をもっていえば、まさに「現代の真宗に対して投げかけられてきた大きな問いは、社会とか国家という問題」であり、「社会倫理や社会的正義の主張に対して、真宗はどのような原理をもち、またどのような姿勢をとろうとするのか。あるいは強大な強制力をもって、個人の私生活にまで干渉してくる国家権力の統制力に対して、真宗はいったいどのような姿勢をとることが求められ、また可能であるのか」(寺川俊昭『念仏の僧伽を求めて・新装版』)との課題として認識すべきテーマです。しかし、「社会とか国家という問題」に対して「真宗はどのような原理をもち、またどのような姿勢をとろうとするのか」の議論には展開しませんでした。
 そうした宗会での議論の中にあっても第一七八回臨時宗会(昭和五〇年一一月一九日・二〇日)において芝原郷音議員は、「教学問題が政争の具に供せられることは、極力慎まねばならない」「宗祖の心血を注がれた御本典の御文が、いわゆる政争の具に事実として供されてきたのではないかという憤激を感ずるのであります」「世に勧学、司教という学階を持ち、世間からは和上といわれる方々がたくさんいらっしゃる。その方々は大体生きておられるのか死んでおられるのか、一言もこれに対する一派門末が向うべき道を教学的に示されていないということを、私は残念に思います。ただ山口県の原田双栄氏が、勇敢にも「中外」紙上において、その見解を表明されたにすぎません。それに対する見解すら、一派教学者であると自認する方々から一言半句承らないことは、もって一派教学の衰退、これにすぎたるはないと思うのであります。私はこの席をかって、教学者一人一人の深い反省を促したい。もしそれがこわくて言えないのならば、いさぎよく学階を返上されたいことを希望します。(「賛成」と呼ぶ者あり)」と「教学者が怠慢である」(『昭和五十年度(臨時) 第百七十八回宗会議事速記録』)と指摘しました。
 後日談になりますが、佐藤三千雄は次のように述べています。

  かつて「菩薩戒経」の「出家のひとの法は、国王にむかいて礼拝せず、父母にむかいて礼拝せず、六親につかえず、鬼神を礼せず」というくだりが、論議を呼んだことがあった。それをむし返すつもりはないが、事はきわめて簡単明瞭であるように思われる。われわれの礼拝するのは弥陀一仏である。ということは、他のいかなるものも礼拝の対象ではないということである。絶対の権威は仏にのみある。その仏を礼拝するということは、他の一切の権威を相対化するということを意味している。それは国王を軽んぜよということではない、などという注釈は必要ではない。むしろ必要なのは、もし国王に敬意を払うとすれば、いかなるものとして敬するのかという説明である。信仰の外護者としてか、秩序の維持を司るものとしてか、その説明が必要である。そのことは、真宗は国家をどう見るのか、という問題につながる。キリスト教においては、アウグスチヌスからニーバーに至るまで、国家の意味に関する神学的反省の強調するところは、その機能が人間の罪を抑制するためであるということであった。ルターは、国家なしには「人間はお互いに食い合うであろう。そして誰も妻や子を保持し、神に仕えることはできないであろう。そして世界は混沌に帰するであろう」という。つまり、国家は「人類を自滅から救う」とう機能をもっているわけである。しかしそれがすべてではない。どんな国家も、人間の罪を大きなスケールにおいて表現している。ある意味では、国家こそ諸悪の根源であるとの説にも尤もなところがある。その問題に立入ることはできないが、少なくとも明かなことは、仏教はこのような問題に対して教学的な反省を怠ってきた。先の議論は、はしなくもそれを露呈している。蓮如はその問題に対して、一生の間苦斗したといえるのではないだろうか。今はその頃と国家のあり方は大きく変化している。国家とか国王とかという概念をいじくって事がすむのではない。現実の国家の真相を見きわめ、それとの苦斗のなかで、新しい仏教の国家観が形成されねばならない。(佐藤三千雄『生活のなかの信仰』一三五~一三六頁)

 その後「龍谷大学真宗学教授(信楽峻麿・岡亮二の両氏・池田注)の唱える宗意安心についての説が、『信心正因称名報恩』と全く異なる-つまり『異義異安心である』という批判」(『中外日報』昭和五四年三月三一日)がなされ、いわゆる「信因称報」をめぐる安心問題へと発展し、第一九一回定期宗会(昭和五五年一月二四日~二月二日)にて、「我々の本願寺教団の中核となるものは勿論宗義であります。しかるに最近、宗学の中心の府ともいうべき龍谷大学において、一部の学者(安芸教区賀茂東組教円寺住職・信楽峻麿氏。和歌山教区和歌山組念誓寺住職・岡亮二氏。)である真宗学教授が全く従来の教学と異ったと思われる学説を主張し、学生をはじめ、多くの人を惑わしています。(中略)疑義としての問題点  信楽氏の説は従来の宗学を現代化しようとして、逆に従来の先哲の耕した労苦を無視し、お聖教の本意に反してまでも、自らの私見を固執して、これを正当化せんとするところに問題がある。また近時、教団改革を煽動するあまりに、従来の教学(伝統教学)をことごとく批判して、敢えて教義そのものに手を出して、異義、異安心をとなえるのである。その中心となる内容は次の通りである。一 念仏の自力、他力混同の失  一 信心の自力、他力混同の失  一 聖道・浄土混同の失  一 信心正因・称名報恩の否定 以上(以下略)」との「宗義問題に関する建白」(『本願寺宗会百年史 史料編下』)が「紹介議員 藤井映月 下川弘義」により「宗会議長」に提出され、宗会議員の「全員賛成」にて「採択」され(昭和五五年二月二日)、「教団改革をすすめる会」は運動を凍結(昭和五五年七月五日)、昭和五六年七月一一日、同会は解散しました(『教団改革』第二六号)。
 野々村直太郎の『浄土教批判』をめぐる、 いわゆる「野々村事件」を挙げるまでもなく、宗会における「教学問題」は、同時に「政争の具」問題になりやすいことが知られます。その視点で『教行信証』「後序」をうかがう必要もありましょう。(続)



# by jigan-ji | 2025-05-19 00:02 | つれづれ記
信楽峻麿はなぜ宗学と教団を批判したのか ①     2025年 05月 18日
   1 「国王不礼論争」 ①

 昭和五〇年、浄土真宗本願寺派門信徒会運動本部は『昭和五十年度門信徒会運動計画書』を作成し、その〈運動目標の解説〉において、親鸞の『教行信証』に引用されている『菩薩戒経』の「出家の人の法は、国王に向かひて礼拝せず、父母に向かひて礼拝せず、六親に務へず、鬼神を礼せず」(註釈版四五四頁)の文を引用しました。
 しかし、その解説文に対して、国王を否定し、教団を破壊し、門主制の破壊にもつながるような思想を宿しているとの批判が出され(『中外日報』昭和五〇年七月二・三日)、神田寛雄総長は昭和五〇年一一月二七日付にて、『宗法』第五五条第二号にもとづき、大江淳誠勧学寮頭に、「さきに〝昭和五十年度門信徒会運動計画書〟に化身土巻の菩薩戒経の一文を引用してありましたが、このご引文について、教義上の祖意を明示くださるよう照会いたします」「このご引文につきましては、同計画の解説原文では、誤解を生ずる恐れがありましたので、小職としては、既に回収措置をしたのでありますが、このたび十一月十九日の第百七十八回臨時宗会の席上、教学的解明をするよう要請がありましたことに基づいて、照会するものであることを念のために申し添えます」と勧学寮に照会し、勧学寮は「この経(『菩薩戒経』・池田注)をご引用になった意は、まさしく「鬼神を礼せず」というところにあることが明らかに知られます。故に、仏教を信奉する者が他の鬼神を礼するごときは邪偽異執であると誡められる思召しであると窺うべきであります」「したがって、化巻にご引用の「菩薩戒経」に「出家の人の法は国王に向って礼拝せず、父母に向って礼拝せず、六親につかえず」とあるからといって、直ちに宗祖が国王や父母などに対する礼を否定されたものと考えるのは早計であり、曲解であると申さねばなりません」と「回答」しました(以上、『本願寺新報』昭和五一年三月一日号)。
 しかし、下川弘義議員は「教学上根本的に信念を異とする」ことから、第一七八回臨時宗会(昭和五〇年一一月一九日・二〇日)・第一七九回定期宗会(昭和五一年二月二八日~三月一二日)・第一八一回定期宗会(昭和五二年二月一二日~二月二三日)・第一八三回臨時宗会(昭和五二年一〇月一八日~一〇月二〇日)・第一八九回定期宗会(昭和五四年二月二一日~三月五日)にて、当局の昭和五〇年度門信徒会運動計画書の菩薩戒経の扱いを追求しました。しかし、その背景には、「局寮内の不一致」(第一七八回臨時宗会)、「靖国法案と遺族感情」(第一七八回臨時宗会)、「本願寺代表参議院出馬」(第一七九回定期宗会・第一八一回定期宗会)等々の問題がありました。
 第一八九回定期宗会において、下川弘義議員は、当局に対して次のように発言しました。

  ご承知の門信徒計画運動書の中にあります。もう時間の不経済でやりたくないけれども解説の三行目、宗祖は化身土巻に有名な菩薩戒経を引用されて次のように申されてあります。「国王に向いて礼拝せず、六親につかえず、鬼神を礼せず」と。「ここでいわれる国王とは、財力・武力・権力であり、政治主義・権力主義でありましょう。父母・六親とは血族・民族・人類であり、拡大すれば学閥・派閥を意味すると解釈できます。本文でいわれる集団エゴイズムであります。鬼神とは差別・欲望・怨憎・サツリクを象徴するエゴイズムの神々でありましょう。同朋とはこれらからの訣別を意味しておる。」これは浄土真宗ではありません。こんなことだったら凡夫の真実は仰いで真実になることのできない凡夫の嘆きは起きてこないはずであります。だからこれは断じて外道であるということを一貫して申し上げてきておるのであります。(中略)そこで私も昨年は菩薩戒経の問題はほんのわずかに触れまして、そうして教団改革運動の機関紙である十四号、十五号(中略)そうして宗祖に逆らう勧学寮ということが、十五号には龍谷大学教授信楽峻麿氏、そういう人たちが編集責任者になっておる。(中略)それから第十四号には(中略)天皇制問題に連動させて、そして門主制を(ママ)否定をいう。あるいはいうでありましょう天皇制とか門主制とか、問い詰められるというとあるいは遁辞を設けというかも知れない。本来、現在の日本には真の意味の天皇制は存在しておりません。彼らがいうが如き天皇制。きわめて言論自由で、それからそういう意味の門主制も存在しておりません。彼らは専制君主制、あるいは一党独裁制、もの言えば唇寒しということわざがあります。そういう意味の政治体制の言葉を、それを天皇制という形容詞で表現しておるんであります。そうしてこれが思想の暴力であります。そうして日本の二千年の歴史をゆがめよう、そうして象徴天皇の存在性もあやうくせしめよう、私はそう観測しておる。同時に皇室と非常に似たような形をとっておりますのが東西両本願寺であります。この東西本願寺にゆさぶりをかけようとする。目に見えない、ソビエト革命が成り立ちましてからすでに七十年経過しております。きわめて巧妙、そういう思想暴力がひたひたと及んできているのであります。(中略)菩薩戒経のイデオロギー的解釈を批判された勧学寮の答申に対し、龍谷大学真宗学部(ママ)教授の主宰する教団改革の機関誌第十五号において、堂々と「宗祖にさからう勧学寮」なる論文が編集され、加えて門主制否定の論義も盛んに主張されているのである。これは教団存立の根本問題である。(中略)かるが故に門信徒会運動計画書の菩薩戒経の有名なメチャクチャ解釈は断じて許容することのできない解釈である。見解を改めざる宗政当局はみずから慚愧すべきである。でなかったら伝統奉告法要など勤修する資格はない。(『昭和五十三年度(定期) 第百八十九回宗会議事速記録』一六五~一六九頁)(続)


# by jigan-ji | 2025-05-18 00:02 | つれづれ記
「親鸞聖人の教えを学ぶ 仏教の通信教育」     2025年 05月 14日
 浄土真宗本願寺派中央仏教学院からのご案内です。

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# by jigan-ji | 2025-05-14 00:02 | つれづれ記