浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
真宗余聞 (8) 信楽峻麿はなぜ教団と宗学を批判したのか(その3)     2018年 11月 16日
 信楽峻麿の教団改革運動は、近代の宗教学における「宗教」理解に依拠した「教団批判」であったといえましょう。
 すなわち、近代の宗教学は、それまで伝統されてきた宗門の「宗学」とは別に、人間の良心の呵責や自己の無力さなどの個人的心理に主眼を置き、超越者(仏や神)と人間との個人的な交わりを宗教の本質と捉えました。言い換えれば、宗教を日常的な勤行やお寺参りという実践行為よりも、経典や聖教に書かれた教義を中心とした信念体系として把握し、宗教の本質を儀礼や教団組織よりも、個人の宗教意識の深さや、人格の品性、人格の覚醒(めざめ)に認めようとしました。
 こうした近代の宗教学における「宗教」理解は、心理主義と人格主義が一体となった「宗教」理解であり、この心理主義と人格主義が一体となった「宗教」が、本来の「あるべき宗教の姿」とされました。その結果、倫理的な人格者として親鸞や道元や日蓮が顕彰されることはあっても、それは「宗祖」としてではなく、「ひとりの人間」としてでした。
 そして、心理主義と人格主義が一体となった「あるべき宗教の姿」から見ると、寺院での法事や葬式は儀礼中心の死者供養であり、まさに「葬式仏教」と批判されました。こうして、近代の宗教学は特定宗派の繁盛のためにあるのではなく、個人の精神に仕えるものであるという考えに依拠した「宗教」理解が広まることによって、「人間親鸞や『歎異抄』には興味があるが、宗祖としての親鸞聖人や本山や法要には関心がない」という、愛山護法や宗祖や本山や法要に無関心の「親鸞ファン」を産むことになりました。それは、特定の宗派に属さなくとも、個々の人間の内面に宗教意識が具わっているという近代の宗教学、言い換えれば、宗派単位の学問のあり方を批判した、近代の宗教学の当然の帰結ともいえましょう。(こうした近代の宗教学における「宗教」理解については、磯前順一『近代日本の宗教言説とその系譜』、大田俊寛『オウム真理教の精神史』など参照)。
 信楽はいたずらに教団改革を叫んだわけではありません。信楽は真宗信心の本質を、個人の宗教意識の深さや、人格の品性、人格の覚醒にもとめたがゆえに「教団改革への発言」(『教団改革への発言』昭和四六年)となったものと思います。しかし、信楽の真宗信心理解からは、宗門における募財や宗政を「告発批判」することはできても、宗政や教団運営の施策に対する評価基準を示すことが出来なかったため、その教団批判は観念的にして一方的な批判と受けとられました。
 信楽は権力に対し常に批判的な視座を持し、宗門内では四権の長のひとつである監正局長を二年つとめましたが、その最晩年は、まさに「異端者」として「孤塁」を守りつづけることになりました。
 服部龍二はその著『高坂正堯―戦後日本と現実主義』にて、高坂正堯の言葉、「学者の言う通りにやれば政治がうまくいくわけではない」(二九〇頁)を紹介するとともに、「概して学問の歴史に名を残すのは信念を曲げなかった者たちに多い」(一四九頁)と記しています。


# by jigan-ji | 2018-11-16 01:02 | つれづれ記
真宗余聞 (7) 信楽峻麿はなぜ教団と宗学を批判したのか(その2)     2018年 11月 15日

 信楽峻麿の「主客一元論」に立脚した真宗信心理解は、碧海寿広の指摘に学べば、《知情意の統合→「人格」形成》という宗教論に帰結するものといえましょう。
 すなわち、碧海は姉崎正治の宗教論における、「人格と宗教」に関する内容を、「知性と情緒と意志という三つの側面をもち、それぞれがしばしば矛盾をきたす人間の心が、完全に統合された「人格」となり満ち足りている状態が宗教的意識にほかならず、そしてその状態の達成を求めて人が同一化しようとする至高の存在が、すなわち「神」である。宗教における超越性とは、「人格」の統合という心的安定を希求する人間の衝動の向かう先に感得される、「最高無限の理想」なのである」(碧海寿広『近代仏教のなかの真宗』一二六~一二七頁)と述べ、こうした「人格」概念に依拠した《知情意の統合→「人格」形成》という宗教論は、加藤玄智、姉崎正治、西田幾多郎の宗教論にもうかがわれると述べています。
 さらに碧海は、この「人格」というキーワードが宗教論から仏教史学に取り入れられて、村上専精の「大乗非仏説」の主張になると指摘します。すなわち、「釈尊は人間だ。村上はそう断言する。だが普通の人間ではない。彼はその「人格」において凡人をはるかに越えている」(同一三三頁)というわけです。
 村上専精はその著『仏教統一論 第一編大綱論』(明治三十四年)の「余論」「仏身に対する鄙見」にて、「孰れにしても、各仏陀論は理想論の開展にあらざれば、人格論の開展ならん、故に事実の仏陀は釈迦一人にして、其他の諸仏諸菩薩は理想の抽象的形容なるのみ(中略)釈迦を論じて人間なりとし、又仏身を論じて此釈迦以外に具体的なるものあることなし、所謂報身仏なるものは、畢竟理想界の抽象的形容に過ぎざるものと断定せり」(四五四~四五六頁)と述べています。そして「凡例―明治三十四年十月再版の日―」に、「教理眼を離れ、歴史眼を以て見る(中略)余は非仏説と言ふも非仏意と言ふ者にあらず」(四頁)と述べています。
 この信楽の《知情意の統合→「人格」形成》という宗教論から、「戦時教学」批判、「戦争責任」追求は当然の帰結であったでしょう。
 すなわち信楽は、「戦争中には、阿弥陀仏と天皇は同じだといいつのり、国のために死んだら神となる。神となるなら仏にもなれると主唱した教学者は、その後も自分の過去をすべて棚あげして、いろいろとまことしやかに、親鸞を語っていますが、当人は何らの自己矛盾を自覚しないのか。驚くべき二重人格、三百代言というほかありません。」(『親鸞はどこにいるのか』四九頁)と厳しく批判しました。
 さらに、「しかしながら、このような戦時教学について問うたものは、東西本願寺教団の中では、私ただ一人だけで、誰も口を閉ざして何ら問うことなく黙過しました。かくて、そのことから、西本願寺教団は、私を異端者として、徹底して弾圧し排除して、いまに至っております。その点、私はただ一人して、いまなお孤塁を守りつづけているところです。やがて私が命終したら、もはや誰一人として、この戦争責任を問うものはいなくなることでしょう。かくしてこのような戦時教学は、なんらの瑕瑾もなく、また変革もなくして、そのままこれからの伝統教学に移行していくのでしょうか。自らの誤ちを何ら問うことなく、その錯誤について、徹底して反省し、精算しないかぎ、再び、同じ轍を踏むであろうことは、過去の歴史が証明するところです。」(同四八~四九頁)と述べています。
 《知情意の統合→「人格」形成》という真宗信心理解からすれば、「戦時教学」を主唱しておきながら、戦後、何らの自己批判もなく、自分の過去を棚あげしてしまう教学者は、「驚くべき二重人格」ということになりましょう。
 「伝統」よりも「変革」「改革」を重くみた信楽の弁に共感する者は少なからずありました。しかし、伝統宗学者には「従来の先哲の耕した労苦を無視し、聖教の本意に反してまでも、自らの私見を固執してこれを正当化せんとする」「近年の学問的ブームとも考えられる思想史教理史的立場ですべてを解釈し、従来の宗学研鑽の迹を看過する」(稲城選恵『最近における真宗安心の諸問題―龍谷大学・信楽教授の所説に問う―』一~二頁)と映じたようです。
 以後、「伝統宗学者」と「教団改革の学者」というラベリングが独り歩きし、村上速水の「真宗教学への反省」も生かされることなく、両者の対話の余地を奪ってしまったといえましょう。



# by jigan-ji | 2018-11-15 01:02 | つれづれ記
真宗余聞 (6) 信楽峻麿はなぜ教団と宗学を批判したのか(その1)     2018年 11月 14日

 信楽峻麿は、なぜ真宗教団と伝統宗学を批判したのでしょうか。
 かつて村上速水は、「私たち真宗の教えを学んできた僧侶にとって、特に反省すべきは、教義論題の形骸化と、訓詁解釈学といわれる従来の真宗学のあり方を問うことではなかろうか」「完全無欠な教義として整備された論題から、いったい、何の感銘や感激が得られるであろうか。また、精微をきわめた訓詁解釈学によって、果たして聖教全体に、あるいは文字の底に流れる著者の生々しい信仰体験をつかむことができるであろうか」(村上速水『親鸞教義の誤解と理解』七、一二頁)と「真宗教学への反省」を述べましたが、信楽も共感するところがあったことでしょう。
 しかし、信楽の教団と宗学批判のより本質的な理由は、信楽の強調した「めざめ体験」による「人格主体の確立」という真宗信心理解、言い換えれば、《知情意の統合→「人格」形成》という真宗信心理解にあったと思います。
 すなわち、信楽の「めざめ体験」における「人格主体の確立」は、〈仏と私〉という「主客二元論」ではなく、「阿弥陀仏は私の心に宿っている」という「主客一元論」に立った真宗信心理解であり、伝統的な「落ちるものをお助けくださる救済教」という真宗信心理解とは似て非なるものでした(信楽峻麿『親鸞はどこにいるのか』一三、五四、七五~七六頁)。
 こうした信楽の「主客一元論」の真宗信心理解は、なぜ主張されたのでしょうか。その背景には、村上のいう「真宗教学への反省」があったと思います。
 すなわち、村上は「親鸞教義が誤解され歪曲される大きな原因」について、次のように述べています。


  親鸞教義が誤解され歪曲される大きな原因は、親鸞聖人にとって結論であったものが、しばしば前提として説かれ、ときにはそれを強制する形で説かれているということである。たしかに聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論―たとえば、他力のすくい、悪人のすくい、往生のすくい―というものにちがいない。しかしその結論は突如として現われたものではない。文字通り彫骨鏤身の辛酸と苦悩と模索のなかから見出されたものである。ある意味ではそのプロセスこそ重要である。しかるに、往々にして聖人の求めたものが語られず、その厳しい道程が語られないで、一挙に結論だけが語られる。真宗の教えを聞く人ならば、面喰うのがむしろ当然であろう。頭から他力でなくてはならぬと強制され、悪人であることを強いられ、浄土に往生を強制されるように考えてしまう。そこに大きなギャップが生まれるのは必然である。(『親鸞教義の誤解と理解』一〇八~一〇九頁)


 村上は、「聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論」であるといいます。その「結論」を解釈しようとすれば「精微をきわめた訓詁解釈学」が要請されましょう。その意味で、「完全無欠な教義として整備された論題」や「精微をきわめた訓詁解釈学」は「主客二元論」とならざるを得ません。
 しかし、「結論」にいたる「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題にしようとすれば、「主客一元論」の視点が要請されましょう。
 信楽の「主客一元論」に立った真宗信心理解は、村上のいう「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題にしようとした結果であるといえましょう。


# by jigan-ji | 2018-11-14 01:02 | つれづれ記
第16回世界仏教婦人大会     2018年 11月 13日
東京教区仏教婦人会連盟よりのご案内です。
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# by jigan-ji | 2018-11-13 01:02 | つれづれ記
第36回成道会布教大会     2018年 11月 12日
東京教区布教団からの第36回成道会布教大会のご案内です。
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# by jigan-ji | 2018-11-12 01:02 | つれづれ記