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浄土真宗本願寺派


住職の池田行信です。
令和八年 御正忌報恩講法要 「ご親教」     2026年 01月 17日
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 令和八年 御正忌報恩講法要が1月9日(金)から1月16日(金)まで勤修されました。
 15日の「逮夜法要」に引続き「御親教」(ご門主様のお言葉)がありました。

 本年もようこそ御正忌報恩講法要にご参拝くださいました。
 近年、日本をはじめ世界各地で台風や豪雨、地震などの自然災害や大規模な火災などが頻繁に発生し、甚大な被害がもたらされています。犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。皆さまが一日も早く、平穏な日常を取り戻されますことを心より願っております。
 さて、今年の元日に地上波で、「西本願寺―伝統と葛藤」というテレビ番組が放送されました。ご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、過疎や高齢化が進む中、これまで通りにみ教えを伝えていくことが難しくなっている浄土真宗本願寺派の現状や、その取り組みなどが紹介されていました。もちろん、時代の変化に合わせてさまざまな取り組みを進める上で、最も大切なことは「現代を生きる私たちにとっても、真実信心を頂き、浄土真宗のみ教えが生きる依りどころとなる」ということに変わりはありません。
 仏教を説かれたお釈迦様は、私たちの人生の本質を「苦しみ」であると示されました。具体的には「生・老・病・死」の四苦、さらに「怨憎会苦」などを加えた「四苦八苦」として表されています。そして、ここで言われる「苦しみ」とは、「自分の思い通りにならないこと」ということです。私たちは人生において、憂いや悩み、悲しみなど、自分の力ではどうすることもできない出来事を経験しなければなりません。
 人生の根本的な悩みや苦しみ、その「苦悩を除く法」が仏法です。お釈迦様は、「苦しみ」の根本的な原因は、無常であるこの世界を「常なるもの」と受け止め、無我であるものを「我である」と執着することにあると示されました。物事を自分の思い通りにしか捉えられず、悩み苦しむのが私たち「煩悩具足の凡夫」であり、それは阿弥陀如来の光に照らされて明らかとなる、私自身の本当の姿です。
 阿弥陀如来は、このように煩悩に縛られて苦悩する私たちを救おうと、常にはたらき続けてくださっており、その温かいお慈悲の心は一人ひとりに分け隔てなく注がれています。阿弥陀如来のおはたらきに出遇うとき、私たちは他の人々もまた、私と同じく阿弥陀如来から等しく願われた命であることを知らされます。そして、すべての人びとの幸せを願われる阿弥陀如来のお心をいただいたなら、そのお心にかなうよう、お互いに敬い合い、助け合って生きるという、これまでとは違った新しい生き方が生まれてくるのではないでしょうか。
 これからも阿弥陀如来のおはたらきを聞かせていただき、共々に日々の生活を送らせていただきましょう。本日はようこそご参拝くださいました。



by jigan-ji | 2026-01-17 00:02 | つれづれ記
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